NPO法人 彦根景観フォーラム

いろは組 一圓庭園講演会 

日本庭園の楽しみ方と
        市民による庭園再生
 
                     平成21年11月15日(日) 多賀里の駅・一圓屋敷
                     主催:彦根景観フォーラム、多賀クラブ、いろは組
                     一般参加者 約30名
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いろは組 代表 森口 朝行 あいさつ
 いろは組は、若き庭師の集団で、単に庭木の葉を刈る「葉刈り」ではなく、庭全体の管理を行う「庭師」を目指す団体です。いろは組は、多賀町一円にある「一圓屋敷」庭園で、庭木剪定の講習会を開いたご縁で、このたび私たちの活動を広く知っていただくとともに、この庭園をもっと皆さんが身近に感じていただけるよう庭園講演会を開催しました。
 講師は、彦根城の庭園である玄宮楽々園庭園植栽管理実施設計を担当いただいた京都造形芸術大学芸術学部環境デザイン学科ランドスケープデザインコース教授の仲 隆裕 先生です。
 先生は、1963年京都うまれ、千葉大学外学院園芸学研究科を修了後、京都大学で農学博士の学位を取得、日本庭園史・遺跡整備計画を専攻、宇治平等院の庭園を始め多くの歴史的庭園を修復、オーストリアシェーンブルク宮殿の日本庭園の修復も手がけられております。先生には、日本庭園の見方と市民が参加した庭園再生についても紹介いただきます。


日本庭園の楽しみと市民参加の庭園再生  
     仲 隆裕 京都造形芸術大学芸術学部教授
 
 
 日本庭園には様式があり、それを手がかりにして庭園を見ると庭園のさまざまな工夫や見せ方がわかり、楽しみが増えます。その手がかりをお伝えし、この立派な庭園を皆さんで守っていっていただきたい。

d0087325_14594727.jpg一圓庭園の楽しみ方
 庭と建築は密接につながっており、日本建築では大きく寝殿造りと書院づくりの2つの様式があります。平安時代の貴族の邸宅であった寝殿造りでは、庭はさまざまな儀式や娯楽の場でした。しかし、武士の世になると、寝殿造りでは主人が上位の客を迎えたり、大勢の部下をもてなす公式の部屋がないので、書院という大きな応接間を作りました。書院には上座と下座という位を示す演出があり、床の間のある方が上位とされました。
 一圓屋敷では、座敷が2つあり、東西方向の座敷には床の間と仏壇が、南北方向の座敷には床の間と違い棚が設けられています。この場合、床の間と違い棚がある座敷が最も格式が高く、この床の間と違い棚を背にして庭を見ると最も美しく見えるように庭は設計されています。これを座観式庭園といい、歩いて楽しむ回遊式庭園とは区別されます。
 一圓屋敷は、建物が南北方向の座敷と東西方向の座敷という室町期と江戸期の様式を両方もっている珍しい形態です。庭園は、相当の腕をもつ庭師が作ったと思われます。
日本庭園は、上手が山、下手が海で、山から川が流れ海につながる景色が描かれます。表現様式はほぼ同じで、材料と組み方で特徴を出します。

 庭の構成要素ですが、まず石組みです。「めでたさ」を取り入れるのに、石の由来、石が生み出す雰囲気や物語、中国の故事を利用します。どこどこのいわれのある名石だとか中国の仙人がすむ山を表現した石組みなどがあります。また、灯籠も春日大社の灯籠を模したもので格式を表現します。常緑樹もめでたさの象徴で、石を中心に常緑樹を配して遠近感を出します。
 江戸後期から明治になると一般の民家にも茶庭(露地)のおもしろさを追求した洒落た数寄屋風が導入され、変わり灯籠や飛び石が配置され、飛び石伝いに庭を回れるようになってきます。一般の民家でも山水画の世界に入り込んで遊ぶ「画遊」のように、庭で遊ぶ要素がでてきます。

 縁先手水鉢にもいい石を使っています。「どこの産の石でしょうか?」と話題にするわけです。かがみ石は、手水鉢の水がはねて建物を濡らすのを防ぐために立ててあり、かがまないと見えないので「かがみ石」といいます。手水鉢で人が手を出すと下男が柄杓で水をかけます。手水鉢に水を入れるために木桶を置く台として手水鉢の石の横にもう一つの石が立てられています。その後ろに木を植え奥行きを出すとともに、手前にはハランを植えて清らかさを見せる手法です。
 たたみ石もあります。これは、小さな石を畳のように敷いていくため、千個ぐらい集めて100個ぐらいしか使えません。
 石の橋は3つありますが、奥の橋を高くかけて遠近感を出しています。
広い庭なら中島を作って常緑樹を植えるのですが、狭い庭では岬を作って中島のように見せるテクニックを使っています。三尊石(山)から橋(川)をとおり、水分け石で海に流れるように見せるので、相当の腕をもった庭師だと思います。
 生け垣は、民家や生活の気配などの周辺の風景を消して、空や山を見せるものです。
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歴史的庭園を楽しむ

 歴史的庭園には、池庭、枯山水、茶庭(露地)の3つのタイプがあり、実際にはこの3つが組み合わされて造られていることが多いものです。
 修学院離宮や桂離宮の造園は、背景に江戸初期の天皇と江戸幕府の主導権争いがあり、そうした背景の元に庭園をみるとおもしろいのです。修学院離宮は、山の斜面にダムをつくり広大な浴龍池を徳川幕府に作らせますが、いつでも堰を切って闘うという姿勢を見せているように思えます。桂離宮も回遊式庭園ですが、八条宮智仁親王のために徳川幕府が作ったのです。この親王は後水尾天皇と幕府の対立の仲介役で、天皇家が政治の世界から締め出されると、源氏物語の世界を再現しようと藤原道長の旧領地に回遊式庭園を作らせ風雅の世界に遊びます。ここでは、天の橋立を縮めて表現したりしています。
 このほかに、坪庭が京都の町屋では見られます。また、平安時代の寝殿造りの庭でも坪庭がありますが、これは全く別のものです。

日本庭園の技法
 日本庭園の技法をいくつか見てみましょう。
 まず、借景です。山の稜線を利用する事が多いのですが、中国では、仰ぎ見る、俯瞰する、隣の庭を借りるなどの技法があります。
 次は、三尊石組です。三角形の石組みで、変化がありながら形が安定している技法です。日本では、仏画で中央の中尊と左右に侍立する脇侍(きょうじ)と見立てています。 醍醐寺の三尊石は、藤戸石と呼ばれる石で信長、秀吉と権力の象徴として扱われた石です。
 次に、池、滝、遣水、州浜です。嵯峨の大覚寺では、「なこその滝」の石組みが発掘されました。日本庭園は自然景観に学び、一部を切り取り、省略化して表現しています。
 明治期になると、自然主義が庭園にも影響を与えます。自由な樹形や水の流れが取り入れられます。

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身近な庭・公園を楽しむ
 少し前までは、一般家庭では、生け垣が防犯の側面をもって採用されていましたが、最近の住宅は建物自体の防犯性能が高まったため、生け垣が少なくなり、小さな前庭や車よせの植栽が主流になっています。
 小さな面積で立体的に楽しむ、そして道路から見て楽しむ庭になりつつあります。

市民による庭園再生
 舞鶴で、江戸期の庄屋の建物を文化財として1億円をかけて修復したとき、地元の人たちがワークショップで庭園を再生した事例を紹介します。
 もともと地元の人たちは、落ち葉がたまり土で覆われているので、それを取り除くくらいの意識でしたが、指導を受けて取り組んでいくうちに関心が高まり、再生をめざすとなりました。予算はゼロでした。山から粘土を取ってきて水路に打ち込んだり、近くの道路の崖からコケを移植して、強い品種を見極めてさらに植えたり、夏には水をやったり、池の底から壺が出てきたときは色めき立ったり、石を川で洗って敷き詰めたり、毎月1回土日に作業をしました。再生された庭は、みんなで管理しています。
 別の再生事例では、庭底の粘土で鉢を焼き、コケと植物で寄せ植えを作って展示したり、庭木のシュロのひげでシュロ縄や箒を作るワークショップをしました。
 一園庭園も、専門家の指導を受けながらも、皆さんで是非楽しみながら管理していっていただきたい。

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質疑
 この後、一圓庭園について、仲先生は参加者の具体的な質問にこたえられました。主な応答は以下のとおりです。
○この庭の造られた時期はわかりますか? 
☆庭の様式だけで時代を特定するのはむずかしい。建物の建設時期と同時と考えるのが自然。安政年間(約150年前)に建物が建っているのでその時期と考えられます。
○庭石の多くが天面が平らになっているが、意味があるのか。人工的に削ったのか
☆平らにすると広がりがでて穏やかな庭になります。二条城には、一方から見ると尖った石の荒々しい庭園に見えるが、別の方向から見ると平らな石の穏やかな庭園にみえる庭があります。石はすべて自然石を選んで使っています。
○鶴島、亀島というが、鶴は正面の岬だと思うが亀はどれか?
☆かならず鶴と亀がいるというわけではありません。どれが鶴で亀かは見立てであり、水面ぎりぎりに現れている大きく平らな石が亀という見立てかもしれません。 (終)
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by hikonekeikan | 2009-11-21 15:13
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