NPO法人 彦根景観フォーラム

浅井三姉妹、将軍家光と井伊直滋についての逸話

それぞれの彦根物語 第71回  平成22年2月13日(土)

浅井三姉妹、将軍家光と井伊直滋についての逸話
                         畑 裕子


d0087325_194435.jpg 小さな町屋である寺子屋力石は、人々で溢れた。
 今回の彦根物語の語り部は「浅井三姉妹物語-花々の系譜」を昨年6月に出版された作家の畑 裕子さん。
 来年のNHK大河ドラマは、「江(ごう)-姫達の戦国」に決まったが、江とは、浅井長政と信長の妹お市との間に生まれた3人の娘、茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、小督(おごう)の小督のことで、注目度が高い。しかも、畑さんは史実に基づき近江の現地を綿密に調査し、抑制の効いた筆致で描きだしているので、地元の者には風景と物語が重なるような臨場感がある。

 畑 裕子さんは、京都府京丹後市出身で、奈良女子大文学部国文科を卒業後、公立中学で国語教師を勤め、16年前に京都市内から滋賀県竜王町に転居。これを機会に小説を書き始め、小説「面・変幻」で朝日新人文学賞を受賞した。2005年12月に「近江戦国の女達」を出版、これが小説「浅井三姉妹物語-花々の系譜」(サンライズ出版)に結実した。小柄な体で、やさしいけれども溌剌とした語りからは昭和40年代の女子大学生の姿が透けて見えるようだ。

浅井三姉妹物語-花々の系譜
d0087325_19143642.gif 畑さんは、小谷城下の御殿屋敷、長政と市の婚礼が行われた大広間跡、長政が自刃した赤尾屋敷跡、お局屋敷跡の写真を紹介しながら、信長の朝倉攻めに反旗を翻した浅井家が織田家と断絶状態になったとき、当時の常識に反して実家に帰らなかったお市の行動に注目し、夫婦仲の良かった長政とお市の関係こそが三姉妹の心に理想として刻まれたのではないかと語られた。また、長政と側室の子「万寿丸」が米原市の福田寺の浅井御殿にかくまわれ生き残ったとみられる証拠が近年発見されたとのことで、小説では浅井喜八郎と改名した万寿丸が浅井の血を引く者として重要な場面で随所に登場している。
 お市と三姉妹が小谷城から脱出したのちの消息は不明であったが、本能寺の変で再び歴史の表舞台に立たされる。政略からお市が柴田勝家に再嫁、1年後に北之庄城の落城とお市の自刃、浅井三姉妹は大坂の秀吉の元に送られる。小説は、ここから始まっている。その後は小説をお読みいただきたい。

小督は、恐妻・鬼嫁?
d0087325_1940486.jpg 長女茶々は秀吉の側室となり、秀頼を生み、豊臣家とともに滅亡。次女初は京極高次の妻となるが子がなく、姉のために徳川との和解に最後まで尽力する。三女お督は、12歳で尾張大野城主佐治一成に嫁がされるが1年もたたないうちに別れさせられ、大阪城にもどる。そして、20歳で小吉(羽柴)秀勝に嫁ぐが、秀勝が朝鮮で病死。秀吉によって、23歳で家康の3男秀忠(17歳)と結婚させられる。
 小督は将軍秀忠を尻に引く恐妻といわれるが、本当は違うのではないかと畑さんはいう。
小督は、24歳で長女千姫を出産、26歳で次女子子姫、27歳で三女勝姫、30歳で四女初姫を出産、31歳ではじめて男子(竹千代、後の三代将軍家光)、33歳で次男国松を出産している。世継ぎの男子への執念が感じられるが、当時は、正室に男子がなければ直ちに側室に生ませるのが普通で、後の大奥では27歳で将軍の相手から外されたという。それなのに、生み続けたのはやはり夫婦仲が良かったからではないか。理想の夫婦を小督も求めていたのではないかと畑さんは考えている。

井伊直滋・隠遁の謎
 畑さんが彦根にまつわる謎として紹介してくれたのが井伊家彦根藩の二代直孝の長男井伊直滋の逸話。直滋は、二代将軍秀忠、後の三代将軍家光に寵愛された。家光からは、将来100万石を取らせるとまで言われる人物だったが、突然、百済寺に籠もり隠遁してしまう。その原因は未だに不明だが、彦根城博物館所蔵の井伊氏著作には、末松治氏の説として、二代直孝は、井伊家が徳川の君下に徹するため、井伊家は分家を認めない、長男以外は他家への養子または臣下とするという厳格な方針を打ち出したが、直滋は長男であり、家光の寵愛を受けていることもあって有頂天になり、ついに父から弾劾されたと記載されているという。
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なぜ小説を書くのか
 参加者からは、なぜ小説を書くのかという質問があった。畑さんは2つの理由を挙げた。まず、江戸時代以降で言われていることが事実と違うのではないかという疑問を抱いたこと。第2に、戦国の女は運命に翻弄されるだけの弱い存在ではなく、運命に立ち向かう強い存在でもあったことを明らかにしたいということだ。
 女性の場合、生き様を示す史料が特に乏しい。畑さんの小説は、限られた史実の綿密な調査を下敷きにしつつ、三姉妹の幸せな家族を願う思いとそれを許さない現実との葛藤を描く。同じ構造が井伊家の系譜にもある。夢も能力も持ちながら、政治の現実に翻弄される人間の葛藤と、それでも前向きに生きていく敗者の姿だ。敗者は決して弱くない。弱いと決めつけられているだけなのだ。

「(焼け落ちた小谷城の)大広間跡に到着すると、小督が礎石と礎石の間をぴょんぴょん飛んでいた。初は思わず微笑んだが、茶々はそんな末妹をみても表情をこわばらせたままであった。」三姉妹の心理をこのような筆致で描き出す畑さんの小説を読むと、やはり、その場所に行ってみたくなる。浅井町(現長浜市)平塚の実宰院へは是非行ってみたい。
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伝わる・伝える
 畑さんは、近々、江戸東京博物館で150人の大ホールで講演されるという。寺子屋力石の話し手と聞き手の距離の近さ、気さくなやりとりが楽しくてとてもよいと評価していただいた。私も、とても楽しかった。

d0087325_19422914.jpg さらに、思いがけず「合羽(かっぱ)タルト」の差し入れがあった。これは、鳥居本の画家で料理経験豊富な宮原勇作さんが考案し、昨年10月の「とりいもと宿場まつり」で大好評だったお菓子で、バナナ味のタルトの上に香ばしい様々なトッピングがやさしい味を演出している。形は、雨をしのぐ合羽と傘を着た昔の旅人を模しており、柿渋を塗った合羽が名産だった宿場町鳥居本らしいお菓子だ。

 もう一つ、とても感心することがあった。
会場で4月から始まる彦根市民大学講座「歴史手習塾」(主催:ひこね市文化プラザ http://bunpla.jp/event/detail/204/?m=29 )の参加案内があったが、その企画・プロデュースを商店街の人たちがしているのだ。自分たちが知りたい歴史を文化施設とタイアップして楽しく学べる通年の市民講座にする。そんなことを軽々と実現してしまった人たち。大きな変化を実感した日でもあった。 (By E.H.)

次回案内
それぞれの彦根物語72 平成22年3月20日(土)10:30~12:00
「『小小』の見聞録」 ショウ ショウ(滋賀県立大学人間文化研究科博士後期課程)
(来日してからの6年間、ずっと琵琶湖の畔に住んでいる中国人娘です。交換留学生、修士、そして博士、躓きながらも何とか勉強を続けてきました。6年間のすべてを書きためてきたノート、私の宝物「小小の物語」を聞いてください。)
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by hikonekeikan | 2010-02-14 19:47 | 談話室「それぞれの彦根物語」
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