NPO法人 彦根景観フォーラム

足軽遺産を守り、活かし、育てる

特集 足軽遺産を守り、活かし、育てる
     足軽・辻番所サロンで見えてきた「歴史まちづくり」

足軽・辻番所サロン「芹橋生活」とは
d0087325_21404111.jpg 彦根景観フォーラムと彦根辻番所の会は、彦根市芹橋で「足軽・辻番所サロン『芹橋生活』」を開催しています。2008年12月から始まり2013年3月で38回目を迎えたサロンは、城下町の歴史遺産を、まちの未来を紡ぐための貴重な資源と考え、まちなかに眠るさまざまな足軽遺産を発掘して活用する「歴史まちづくり」を進める目的で、地域の人々と一緒に学習し実践してきました。
 今回は、第37回「足軽屋敷を見てみよう!」で公開された2つの足軽組屋敷の修理の事例と、第38回「新出・中薮組足軽辻番所資料の紹介」で明らかにされた足軽家の相続や組のもめごとなどを紹介し、足軽遺産をどう活用するか、地域をどう育てていくか、「足軽・辻番所サロン」で取り組んできた「歴史まちづくり」の成果を考えてみます。

現地でみる足軽組屋敷の保存修理
d0087325_21443333.jpg  第37回は、2月24日(日)、四番町ダイニング・多目的ホールで、足軽組屋敷の保存修理の説明と現地見学会が行われました。約80名の参加者は3班に分かれて、吉居家~辻番所・旧磯島家~太田家(資料展示)~瀧谷家(初公開・中薮組屋敷・栄町・H24年市文化財指定)を訪れ、雪の降る中、熱心に説明に聞き入っていました。

暮らしに活かす吉居家住宅
d0087325_2154549.jpg 足軽組屋敷「吉居家住宅」の修理については、建築家で彦根景観フォーラム理事の笠原啓史さんが説明されました。
 長年空き家であった吉居家は、①瓦が劣化して雨漏れが各所でおこっている、②雨漏りが原因で、内部に蟻被害がある、③床には、足固めがなく構造的に弱い、④柱が庭側で大きく傾き、南に最大63mm、東に30㎜傾いている、⑤道路側小屋裏の丸太梁が切断されている、などの課題がありました。
 そこで、笠原さんは、市指定文化財としての価値を損なわないよう配慮しつつ、安全性を高め、この家で暮らすことを目的とした改修を行いました。具体的には、屋根の葺き替え、構造的補強として足固めや耐力壁の新設、蟻害、腐朽箇所の修理を行い、妻入りの玄関を当初の平入りに戻し、門・塀も当初に復元しました。
 さらに、増築してキッチンやトイレ、風呂などの水回りを新設し、現代の生活に合わせたコンパクトでシンプルな魅力をもつ空間を実現しています。住むことで建物を維持する例といえます。
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文化財として保存する辻番所・足軽屋敷
d0087325_21562439.jpg 辻番所・足軽組屋敷(旧 磯島家住宅)の保存修理については、彦根市教育委員会文化財課技師で彦根景観フォーラム会員の深谷 覚さんが解説されました。
 この屋敷は、彦根景観フォーラムなどが古民家再生トラストを結成し募金運動を行った後、寄付金を彦根市に寄付して市が買い取り、平成21年2月に市文化財に指定されたもので、現在も修理が続けられています。
 修理は、建築当初の姿に戻すことを基本にされています。辻番所部分は半解体され、足軽屋敷とは接続していなかったことが判明したため道路側からの出入口が復元されました。住宅部分は全解体され、後世の増築であるキッチン、トイレ、風呂は撤去されました。屋根の葺き替えには当初にはない杉板、杉皮張りの補強が加えられ、柱にも必要な耐震補強が行われました。
 さらに、外壁、内壁の白漆喰の下から煤が検出されたことから、外壁は中塗で仕上げられ、内部のトオリニワは荒壁で仕上げられていたと判明し復元されました。
 平成25年度には、室内の壁の中塗仕上げ、建具の設置、西側庭の整備と南側道路との間の高塀の復元などが行われ、いよいよ完成となる見込みです。
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 この建物は、暮らすことを前提としていません。文化財としてどう活用するかが問題となります。
しかし、建物だけでは、当時の人々の暮らしや人生が見えてきません。それを見せてくれたのが、初公開された瀧谷家住宅でした。

初公開・瀧谷家住宅
d0087325_22374765.jpg 瀧谷家は、善利組の隣にあった中藪組に属する足軽屋敷で、安政2年(1855)の「家相図」などの古文書や歴史的工芸品が豊富に伝来しています。当日は、古文書とともに、火縄銃や的、鉄砲を500発撃って命中、外れを記した記録、さらに新式銃の弾丸と火薬をセットして紙で包んだ早盒(はやごう)などが展示されました。


足軽家は相続されたのか?
 中藪組・瀧谷家で新しく発見された資料については、3月17日(日)に足軽組屋敷「太田邸」で開かれた第38回サロンで、彦根城博物館 学芸史料課長の渡辺恒一さんが解説されました。
 瀧谷家は、江戸時代を通じて同じ鉄砲足軽三十人組に属していました。瀧谷家略年表によると、滝谷丞右衛門に「素明き」が下し置かれ、養子で初代の滝谷伴六が享保15年(1730年)に召抱えられます。「素明き」とは、足軽の欠員のことと思われます。ところが、江戸期の7世代のうち、初代から5代までが養子であり、他の足軽組の家の男子や他国の百姓の倅、浪人が瀧谷家を継承しています。相続というより、足軽の地位が株のように譲渡された可能性が高いと言わざるをえません。
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辻番所で好き寄りの宴会?
 「辻番所に好き寄りして酒肴で騒ぎ、無駄づかいをする」。同じ鉄砲足軽30人組に属する8名の足軽が連名した天保11年(1840年)の口上書も瀧谷家から見つかりました。古参の出人(藩の役所や江戸詰に出向した足軽)が、わがまま放題で、当番を新参の者に押し付け、組内の年寄りの指図も手代からの申しつけも聞き入れない。組頭から言い含めてほしい。あわせて、一統に「御直書」を示し引き締めてほしいという内容です。
 口上書からは、辻番所の経費が組の共同負担であること、組内には借金をしている者が多く、破綻した瀧谷家資料からは、足軽組屋敷で生きた人々の人生や経済状態、さまざまな事件などがうかがえ、復元された足軽屋敷にも活かすことができます。
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足軽・辻番所サロンの成果
 足軽・辻番所サロンでは、足軽組屋敷の敷地や建物の特色、そこに暮らした足軽と家族の変遷、家計の状況、足軽の仕事や組織と掟、昭和の暮らしなどを、専門家の協力を得ながら掘り起こしてきました。
 さらに、足軽組屋敷と1間半の路地がつくり出した都市の原風景とも言うべき景観について、現代における価値を再評価し、「路地」を生かしたまちづくりをどう進めるか、その際に課題となる災害に対する備えをどうするか、若者も住みたいと思うコンパクトで人間的な絆が息づくコミュニティをどうつくるかなどを議論してきました。

2つの足軽屋敷から見えてくること
 住むことで再び活かされる吉居家、文化財として過去の人々の暮らしや人生に触れる場に活かされる辻番所・足軽屋敷。2つの実例が生まれたことは、歴史まちづくりにとって大きな一歩といえます。
 どのような形であれ活用されない建物は存続できなくなる。これは経験から得た教訓です。地域に埋没する資源を活用するには、現代、そして未来における意味を発見し、価値を創造することが欠かせません。こうした価値は、見ようとしなければ見えないもので、意識的に行う必要があります。そして、活用によっては人々に感銘を与える地域の宝になり、さらには未来を育てる種になるのではないでしょうか。 (堀部 栄次)
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by hikonekeikan | 2013-05-28 22:31 | 辻番所・足軽屋敷
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