NPO法人 彦根景観フォーラム

築城400年祭《談話室》 それぞれの彦根物語 2006.8.16

【彦根物語11】
「江戸時代、彦根の女性の旅―自芳尼「西国順拝名所記」から―」
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青柳 周一
(滋賀大学経済学部助教授)

 


 江戸時代の女性たちは、現在我々がイメージするよりも旺盛な行動力をもって、旅行などにも活発に出かけていた。このことについて、滋賀大学経済学部附属史料館「安政元甲寅三月廿日出立 西国順拝名所記」という表題の旅日記を用いて考えてみる。
 この「西国順拝名所記」は、彦根に居住していたと見られる柴田家の「自芳尼」という女性が、自ら経験した巡礼の旅(「順拝」)について記した旅日記である。彼女の旅は安政元年(一八五四)三月二〇日に同行一五人(内、一名が男性)というグループで彦根から出発して、西国三三ケ所めぐりに伊勢参宮・紀州の名所めぐり・金毘羅詣でなどをセットして回るというコースのものであった。自芳尼一行が彦根に帰って来たのは六月二日のことであり、全ての行程を回り終えるのに七二日もの日数がかかっている。
 柴田家は、善利橋の組屋敷(現、善利町近辺)に住まう彦根藩の足軽の家だったようであるが、自芳尼個人については史料中から知り得ることはほとんどない。しかし七二日もの旅行を成し遂げていることから考えれば、家事から退いたのを契機に剃髪したものの、意欲と体力は衰えていない年頃の女性だったのではないか。
 「西国順拝名所記」には、自芳尼一行が訪れた各地の数々の名所・旧跡と、旅先で自芳尼が体験したさまざまな出来事や見聞についての文章が記されている。なかでも紀州国内をめぐり歩いた際の文章はきわめて詳しく、またバラエティに富む内容にもなっており、この部分が「西国順拝名所記」中のハイライトと言ってよい。たとえば温泉で名高い湯之峰を訪れた際には同地を「日本一の湯」と褒めたたえたり(図1)、和歌浦では外国船に対する沿岸防備のための「台場」の存在に注目したりしている(図2)。こうした文章からは、自芳尼が単に西国三三ヶ所をコースに従って巡礼するだけではなく、社会的・文化的関心を多方面に向けながら、旅先の地域のあり様を仔細に観察する眼を持っていたことが窺われるだろう。
 また、この旅の中で自芳尼一行は高野山などに参拝した折、女人禁制に関わる差別的な扱いを受けているのであるが(図3)、そうしたことも「西国順拝名所記」には記されている。「西国順拝名所記」は、当時の女性が長期間の旅を楽しむなど、意外なほど自由に行動していた側面とともに、その時代的な限界についてもあわせて教えてくれるのである。


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図1 湯の峯温泉(『西国三十三所名所図会』)


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図2 和歌浦・観海閣(『紀伊名所図会)


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図3 高野山(図中、矢印で女人堂の位置を示す。『紀伊名所図会』)


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by hikonekeikan | 2006-08-16 10:44 | 談話室「それぞれの彦根物語」
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