NPO法人 彦根景観フォーラム

街なかの道路拡張を止めた 歩いて暮らせるまち、歩いて巡るまち 犬山城下町再生の物語 第1回

(「その時、歴史が動いた」風) 

 こんばんは。
 今夜も「その時、歴史が動いた」をごらんいただき、ありがとうございます。
 さて、今日の「その時」は、2005年(平成17年)3月11日。
 愛知県犬山市で、ひとつの歴史的な決定が下されました。

 それは、城下町のなかに幅16mで計画され、すでに着手した都市計画道路を、それまでの決定をくつがえして、現在の道路幅である6mに変更して整備するという計画変更でした。国が認定し着手までした都市計画道路を実質的に廃止するという、この変更が実現した裏には、実に10年にも及ぶ市民と行政との紆余曲折の歴史と、苦難に果敢に立ち向かった名もなき多くの人々の取り組みがあったのです。
 今夜は、ついに国と県を動かした犬山市民と市役所との城下町再生にかける熱い思いの物語をお伝えします。♪


 国宝犬山城。戦国時代から続く城郭は、国宝4城の中でも最も古い城です。その城下町として発達した犬山市中心部は、現在の都市の骨格図と江戸時代の城下町絵図を重ね合わせると、ぴたりと合う歴史的な町割の残る街です。

 戦後間もない昭和25年、この歴史的な町割を縦横に分断する形で都市計画道路が計画されました。その後、高度経済成長期に突入すると自動車の交通量増加に対応する形で昭和46年に、城前線、本町通線、新町線の3路線が幅16mに拡幅する計画が決定されました。時を同じくして郊外にニュータウンが開発され、駅前や幹線道路沿いに大型店が進出、中心市街地の衰退が始まります。そこで、多くの地方都市は、中心市街地の道路を広げ、人と車の流れをつくり、そこに商業施設をつくれば中心市街地は再生すると考えました。狭い道路の拡幅がまちづくりの切り札となったのです。


 d0087325_0115565.jpg1993年、犬山市でも全国から少し遅れて新しいまちづくりへの動きが始まりました。
 市からの要請で城下町の地区ごとに街づくり委員会が設立され、翌年1994年平成6年には、各地区のまちづくり委員会を総括する組織として「犬山北のまちづくり協議会」が設立されました。これは、犬山城大手から南に伸びる本町通とこれに直交する新町通を幅16mに拡幅することを前提として、新しい城下町風の商業施設を中心としたまちづくりを推進しようという、行政とタイアップした組織でした。

 一方、1984年、名鉄犬山駅裏に大型ショッピングセンターが開業することをきっかけに発足した「犬山の街並みを考える会」の人々は、この道路拡幅によって歴史的な建造物がことごとく消えてしまうことを危惧し、道路拡張に反対を表明、古い町並みを生かして活性化を図ろうと活動を始めます。しかし、古い城下町の人々は、お上である行政に反発はしても結局は依存する保守的な気風で、反対は一部にとどまっていました。

 翌1995年、市長選の争点に一つに道路拡張問題が取り上げられます。そして、激戦の末に、道路拡張派である現職を破って石田芳弘市長が誕生します。
 とはいえ、道路拡幅は選挙の争点の一部に過ぎず、賛成者も多いこと、激しい選挙戦のしこりもあって、道路拡張の流れはとまりません。


 1996年、市長は議会で城下町地区の都市計画道路の事業着手を表明。地元説明会を開催し、住民の合意を得ていきます。一方、「犬山のまちなみを考える会」は、「全国まちなみゼミ」を1996年9月に犬山市に誘致、道路拡幅の是非を、外の目に問いました。

 この「全国まちなみゼミ」で、最初に取り上げられたのが滋賀県彦根市でした。彦根も犬山と同じく江戸時代の城下町絵図が現代の都市の骨格とぴたりと一致する城下町でした。
 国宝彦根城から、まっすぐに南へ伸びる「夢京橋キャッスルロード」。
 ここは、彦根城下町建設の起点となった場所で、築城当時からの幅6mの道路が自動車交通の増加にそぐわないという理由で1985年に工事を開始、幅18m、セットバックを含めると幅20mの道路の両側には江戸町家風の商店が整然とならぶ美しく新しい街が1999年(昭和11年)に完成しました。
 都市景観大賞を受賞したこのまちづくりは、城下町活性化の新しいモデルとして、犬山市で開かれた「全国まちなみゼミ」でも紹介されました。これこそが、犬山市の行政、そして全国の地方都市が目指していた姿でした。


 ところが、思いがけないことが起こります。

 次に事例報告をしたのは、宮崎県日南市の市長でした。日本の伝統的建造物群保存地区制度(1975年)は、1970年代前半、日南市長が城下町飫肥(おび)地区の町並みや飫肥城の復元の為に大規模な運動を行ったのがきっかけとされ、復元された飫肥城大手門、本丸御殿の松尾の丸をはじめ、藩校や武家屋敷通、町並みと合わせて、国の「重要伝統的建造物保存地区」に選定されています。この保存地区でも、1976年から1983年にかけて道路を拡幅した江戸商家群の復元による商店街づくりを、55億円をかけて実施、1984年(昭和59年)「潤いのあるまちづくり」で自治大臣表彰を受賞しています。
 この歴史的空間のデザインを取り入れた大改造、大手術によって美しく再整備された中心市街地は再び活性化するはずでした。

 しかし、市長は「手術は成功したが、まちは死んでしまった」と言ったのです。道路を拡幅し、古い建物を壊して新しい江戸町家風のまちなみに建て替えても必ずしもまちが復活するわけではない、逆にさびれることもあるという事実は衝撃的でした。

結局、全国町並みゼミは、犬山市は道路拡幅をすべきではないという決議をして終わりました。

(つづく)
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by hikonekeikan | 2008-03-30 23:49 | フォーラム
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