NPO法人 彦根景観フォーラム

歩いて暮らせるまち、歩いて巡るまち 犬山城下町再生物語 その2 


「そのとき歴史は動いた」風 第2回

 しかし、全国町並みゼミで決議された道路拡張をすべきでないという外からの意見は重視されることなく、翌1997年2月、地元合意を得た地区から測量が始まります。

 ところが、いよいよ現実に自分たちの伝統的な建物が壊される段階になって、古い町並みがことごとく変わってしまうこと、広いクルマ道路によってコミュニティが分断されること、犬山祭の山車(やま)が美しく映えないことなどについて懸念の声が強くなり、1年後の1998年2月「魚屋町住民との対話集会」では反対論が噴出。
 さらに4月には「犬山のまちなみを考える会」から、道路拡幅によって壊される町家を含む11件の登録文化財申請が市に出され、9月の新町線地権者意見交換会では反対論で収拾のつかない状態に陥りました。

 このため、石田市長は9月議会で、「道路整備事業の一時凍結、拡幅見直し」を宣言します。こうした経過には石田市長の巧みなリーダーシップがあったと言われていますが、すでに、ところどころ家を建て替えた人は、補償金をもらってセットバックしているので、「行政が方向転換するのはけしからん」と怒り、愛知県や建設省も、「都市計画を覆すとは気違い沙汰だ」と市との協議を拒否します。


 この「凍結宣言」によって、住民は、反対の要望は通ったものの「市役所に見捨てられる」という強い危機感を抱きます。凍結によって人が来なくなる、人が住まなくなるのではという危惧は高まり、自分たち自身で解決の方向を探し出さざるを得なくなったのです。
 一方、市役所も国や県に見捨てられるという危機感をいだき、活路を探し始めます。市役所にとって、凍結は一部住民のエゴではなく市民の自己決定による総意であることを国や県に現場で理解してもらう以外の道はなかったのです。
 両者は直ちに動き始めます。d0087325_0473234.jpg

 新町線まちづくり検討会が10月から7ヶ月間で計9回開催され、まちづくり基本理念が掲げられます。1999年7月には、本町通線まちづくり検討会が開催され、町内会単位で、きめ細かく毎晩議論を続けました。はじめは激しいやり取りが続きましたが、行政主導ではなく犬山北のまちづくり協議会、犬山祭保存会、城下町を守る会を中心に地域住民が、外部の専門家の力を借りても自分たちで決定し、責任を持って行政に提案し、行政はこれを応援する仕組みがつくられていきます。
 その原動力となったのが地域リーダーたちでした。かれらも、市役所も「まちを愛することを原点として、対立せず、徹底した話し合いを行ってそれぞれの意見に理解を深め、互いに協力して解決策を見つけていく」姿勢に転換していきます。

 石田市長は、「それまでは城下町の土地を売って郊外に家を建てる人が多かったが、道路拡幅をしないでここに住み続けるという合意ができあがると、みんなの気持ちが落ち着いて、定住のためのまちづくりへの模索が始まった。自分でいろいろなところを視察し、話を聞いてきて、朝から晩まで話をし出した。」と語っています。

 2000年8月「犬山市歴史のみちづくり整備計画策定委員会」が、国や県・市の都市計画審議会の委員を巻き込んで発足します。そして、2002年「犬山市歴史のみちづくり整備計画」を策定、通過交通の排除、電線類の無電柱化、道路の美装化などを推進すると決めました。都市計画道路の変更への道を開いたのです。d0087325_0482010.jpg

 2001年3月には、中心市街地活性化基本計画において城下町地区のまちづくりのコンセプトを「歩いて暮らせるまち、歩いてめぐるまち」と設定しました。同時に、まちづくりを推進する会社組織であるTMOの設立を決めます。2003年9月、市役所から1500万円、地元企業400万円、一口5万円の個人株主1100万円の出資を元にTMO犬山まちづくり株式会社が設立され、空き店舗対策として弐番屋1号店がオープンします。d0087325_0485571.jpg 

 さらに、市民と行政のワークショップによって計画され、公募による市民委員が企画運営にあたる市民の拠点施設がオープンします。2000年10月に山車の展示・保存場を兼ねた「どんでん館」が、2001年には明治の空町家を改装した「しみん亭」が、2002年には「余遊館」が、市民と行政の持ち味を生かした協働で実現します。

 
 そして、みなさん、「その時」がやってきました。都市計画道路の計画変更は、市の都市計画審議会で発案され、県の審議会の承認、国の認定を要するものでしたが、2000年の地方分権一括法で「同意を要する協議」に変更されていました。さらに、少子高齢化の影響、公共事業の抑制などで、「コンパクトなまちづくり」がめざされる時代に変化してきました。こうして、2005年3月、本町通線と新町線の現行幅員への変更手続きが完了したのです。

 いま、犬山市城下町には、再び人の流れがうまれ、賑わいがもどってきています。d0087325_0505531.jpg
歴史遺産などの「今あるもの」を活かしたまちづくりを基本に『歩いて暮らせるまち、歩いて巡るまち』を基本コンセプトに、4つの目標をたててまちづくりを推進しています。
 第1は「歴史的遺産にであう風格に満ちたまち」、町割や町家などの歴史的資産を大切に守り伝えていくため、歴史的資産の保存活用、まちづくりのルールづくり、景観形成基準の見直し、助成制度の充実などを行っています。
 第2は「人に優しい歩いて巡るまち」、地区に用のない車を排除して歩行者が主役のみちづくり をめざすため、速度規制などの実施、違法駐車の排除、公共駐車場の整備、案内板の整備を実施しています。
 第3は「歴史的遺産を活かした賑わいとふれあいのまち」、たくさんの人が集い、歴史や人々との交流を楽しめるまちづくりをめざすため、空き家・空店舗の活用、「食」をテーマとした魅力づくり、情報発信の充実などを推進しています。
 第4に「いつまでも安心して快適に暮らせるまち」、震災や火災などの災害に強いまちづくりをめざすため、公園などの防災拠点の整備、消火栓や防火水槽などの充実、自主防災組織作りなどを推進しています。

 
そして、2006年、豪商旧磯部邸の保存修理が、市からの委託をうけた「犬山の町並みを守る会」の手で完成し、守る会によって公開されています。学生と市民の格子戸清掃活動なども展開され、古い町家を生かした商店や飲食店、フレンチレストランなどが増えて、町歩きを楽しむ人が増えています。もし、道路を拡張していたら、このような賑わいと温かいまちなみは復活していたでしょうか。d0087325_0511982.jpg


司会:「さて、今日のゲストは都市計画が専門のT大学のK教授です。番組をご覧になってどのような感想を抱かれたでしょうか。」

K教授:「都市計画とは何か、中心市街地はどうすることが活性化につながるのかという問題に対して、都市の生い立ちや現状を無視して全国一律に東京のプロトタイプを適用することが本当の都市再生にはつながらないのだいうことを明確に示したものだと思います。 
 現在では、都市の個性や地域資源を活かしたまちづくりは基本中の基本といわれていますが、現実の都市計画では、つい数年前までそうではなかったということを改めて認識しました。  そして、まちのあり方は、誰がどう考え、決めるのかという点でも画期的なものでした。都市計画は、都市全体の発展や広域的な観点から決められるもので、住民の意思で変えるものではないという考えはもはや通用しないと思います。まちづくりでは、住民のしあわせ、訪れる人のしあわせは、結局自分たちが選んで主体的に取り組んでいくしかないということを示してくれているという気がします。」

司会:「さて、K先生、今日の「その時」を一言で言うとどうなりますでしょうか?」
K教授:「私は、日本の地方都市がようやく市民とともに自らの選択した自前の都市計画を持つことができた瞬間といえると思います。」
司会:「どうもありがとうございました。」

現在の犬山城下町は、人々が歩いて巡るまちとして再生しつつあります。市長は、重要伝統的建築物群の指定を得て、世界遺産への登録をめざしたいと夢を語ります。

(終)
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by hikonekeikan | 2008-04-13 00:52
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