NPO法人 彦根景観フォーラム

2010年 12月 12日 ( 2 )

それぞれの彦根物語79のお知らせ

【彦根物語79】
   【日 時】 平成22 年12 月18 日(土)10:30~12:00
   【会 場】 ひこね街の駅「寺子屋力石」

虫喰った野菜はおいしいって本当なの?
         ~ おもしろ、なるほど 野菜の話 ~
 

   児島 久三 (滋賀県湖東農業農村振興事務所農産普及課 参事)

 農業改良普及員(県職員)として長年、野菜の生産者に対する栽培指導に携わってきたことや、自分でも野菜を作っている経験から、野菜のよもやま話をさせてもらいます。
 旬、鮮度、害虫、野菜の抵抗、農薬、諺などなど、今までの視点とはひと味ちがう野菜の話しです。
 彦根ならではと云うものではありませんが、松原や長曽根にも触れてみたいと思います。

コーディネータ: 山崎 一眞
     (NPO法人彦根景観フォーラム理事長、滋賀大学地域連携センター特任教授)
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by hikonekeikan | 2010-12-12 20:52 | 談話室「それぞれの彦根物語」

郷土史家たちの奮闘の物語

【彦根物語78】   平成22年11月20日(土) 10:30-12:00

長野主膳の志賀谷「高尚舘」と志賀谷村領主水野氏      谷村潤一郎さん (柏原宿古文書を楽しむ会) 

 運送会社の倉庫前に残る四角い土地。そこだけ草木が雑然と茂り、倉庫への出入りを邪魔している。倉庫会社に尋ねるとどうしても売ってくれないのだという。
 この土地が、今回の彦根物語の主人公、谷村潤一郎さん達が突きとめた長野主膳の志賀谷「高尚舘」跡だった。

郷土史家たちの奮闘 
 谷村潤一郎さんは、米原市在住だが、旧制彦根中学の卒業生で滋賀大学経済学部に学び、銀行の彦根支店にも勤務したことのある彦根通だ。
 退職後、米原市の地元有志でつくる「柏原歴史館ふれあい友の会」の一員として柏原宿の歴史を調べていたが、長野主膳の門弟 巌佐由子(いわさよしこ)の文書に多数の長野主膳と妻たきに関する文書が含まれているのを知る。そこから、市場の三浦北庵と志賀谷代官阿原助大夫が長野主膳の「高尚館」立ち上げに尽力したことを掴むが、決定的な史料がない。阿原代官の菩提寺と掛け合い関係する寺を調べ阿原家子孫にも会って、ようやく概要をまとめ、平成14年に柏原宿歴史館で企画展「志賀谷高尚舘・長野主膳義言と柏原宿の門人巌佐由子」を開催した。
 そして、これが機縁となり、平成16年に阿原家の子孫から、平成19年には分家の孫四郎家子孫から計1,300点余りの文書を預かることができ、解読の結果、ついに通説を覆す事実を発見した。
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高尚館跡の発見と領主水野氏の系統
 長野主膳義言は、幕末の大老井伊直弼が心酔し、志賀谷から家臣として彦根に招いた国学の師である。直弼の懐刀として安政の大獄での攘夷派の摘発や公武合体策などの朝廷工作に活躍したが、桜田門外で直弼が暗殺されると急速に支持を失い、最後は彦根で斬首された。長野が近江に入り刑死するまでの21年間のうち前半の12年間は、志賀谷の相楽院で国学塾「高尚館」を開いていたとされる。また長野を庇護した志賀谷村の領主は、紀州藩の筆頭で附家老の新宮城主水野土佐守であるとされていた。

 ところが、谷村さん達は、阿原代官文書から阿原家の家系や代官屋敷絵図とともに、国学塾「高尚館」の平面図と場所が特定できる地券書を発見した。さらに天保期と思われる志賀谷村絵図で相楽院が高尚館とは別の場所にあったことを確認し、高尚館と相楽院は別の建物だと断定した。
 さらに、谷村さん達は、紀州藩志賀谷村領主の水野氏は、新宮城主水野土佐守ではない分家の系統の水野家であることも系図から確認した。

歴史的発見の魅力  
 こうした発見は、歴史のベールに覆われていた事実が明らかになる爽快感がある。しかも、新たな解釈や仮説を生む。
 参加者からは、天保12年11月に市場に三浦北庵を頼って来た出自不明の国学者が、翌年2月には志賀谷村に移り、代官の絶大な支援の元に高尚館や本居宣長を祀る神社などを次々に建てていくことができたのはなぜかという質問があった。谷村さんは、長野は紀州藩が彦根藩に送り込んだ工作員だったという説を紹介した。紀州徳川家は幕府将軍職を獲得するため、重大な影響力を持つ彦根藩を抱き込む作戦を立て、素性を隠して長野を送り込んだ。この策は、紀州藩出身の第14代将軍家茂の擁立となり、みごとに成功したというものだ。

えたいの知れない魅力 
 一方、私には、谷村さんの探求の物語(ストーリー)展開が魅力的だった。「能」の物語の基本構造と似たものが、谷村さんの物語に感じられた。
 能では、すぐにはそれとはわからないが得体の知れない人物が登場し、やがて本性をあらわし、ぼんやりとした歴史のベールを上げ、時間の壁に穴をあけて、その地に生きて死んだ人の思いを打ち明け、舞を舞う。終わると再び時間の霧のかなたに消えていく。
 谷村さんの物語も、運送倉庫前の土地にはじまり、えたいの知れないものの魅力に導かれているようだった。振り返ってみると、この種の物語の材料は、近江には当たり前に存在する。すぐにそれとはわからないが、やがて本性をあらわす「えたいの知れない」魅力。この近江の魅力に「はまった」人が、司馬遼太郎や白州正子かもしれない。
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地元情報のクリエイティブな価値 
 現代は、圧倒的なマスメディア優位の時代であり、「地元の情報」が継承されない。
 今回の例をみても、地元ではすでに情報は失われており、もし阿原家文書が日の目を見ることなく失われていたなら、もし谷村さんたちの粘り強い解読がなかったなら、長野主膳の志賀谷「高尚舘」は歴史のベールに覆われたままだっただろう。
 「歴史的事実の発見は、結局はそれだけではないか。それで現在や未来が変わるわけではない」という人もいる。だが、よく考えてみると、過去を生かすのは、現在の人次第である。地元の情報を失うことは、過去、現在、未来をつなぐ地域の文化や文化を生む人間のアイデンティティの問題と深くつながっているのではないだろか。
 この歴史的発見を契機に、長野主膳が化身して我々に世の無常を告げてくれるクリエイティブな作品が作られるかもしれない。さらに展望すれば、日本経済が「クリエイティブ経済」の色彩をますます強くする中で、地元の情報と文化は、地域の重要な資源になるだろう。
 谷村さん達には、これからも大いに活躍していただきたい。(By E.H)
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by hikonekeikan | 2010-12-12 20:38 | 談話室「それぞれの彦根物語」