《談話室》それぞれの彦根物語2009.9.12
【彦根物語67】
 「ふるさと絵屏風をつくる 絵解き近江八坂図」     




上田 洋平
(滋賀県立大学地域づくり教育研究センター
近江環人地域再生学座研究員者)

 


 「ふるさと絵屏風」は、地域に生きる人々の暮らしの記憶を、その時代を生きた人びとの「五感体験」データや語りをもとに、地域の皆で力をあわせて一枚の絵として表現するものです。絵図の制作や完成した絵の「絵解き」などを通じて、地域の歴史・文化を記録継承し、人びとのふるさと意識を高めることを目指す「地元学」的運動の中で活用します。現在、県内では二十以上の集落で絵屏風を作り、あるいは、それに向けた取り組みを進めています。彦根の八坂町でも絵屏風を作りました。この絵の中には、飲み水確保や炊事洗濯から、漁業、ラッキョウ作り、遊び、夕涼みの語らいまで、まさに人々の生活の場そのものであった琵琶湖の浜の様子を中心に、高度経済成長以前、自然のめぐみ、人のめぐみ、歴史のめぐみといった地域のめぐみをめぐりあわせて織り上げられた八坂の暮らしと文化が描かれています。
 私は、人には頭に溜め込むような「知識」だけでなく、日々の行為の積み重ねを通じて身体の奥底に刻み込まれた「身識」があると考えていて、「ふるさと絵屏風」の取り組みによって、地域に関する「身識」を引き出し受け継ぎ伝えたいと思っています。ただ記録・保存し伝えるだけではありません。茂木健一郎氏が「記憶は育つ」と言っています。これに倣って私は「ふるさと絵屏風」の取り組みによって、「地域の記憶を地域の皆で育てる」活動を展開していこうと考えています。「知恵・ワザ・文化の地産地消」などとも言っています。

聞き取り調査(南比良・大津)


構想を練る(南比良・大津) 

近江八坂図、2009、岡村康臣画 


我がことが描かれている(南比良・大津)

絵解きは大盛況(南比良・大津)

ミニチュアを作成して頒布・活用も

【キーワード】
ふるさと絵屏風、絵解き、五感体験、地域の歴史・文化の継承、地元学、
高度経済成長以前の暮らし、
自然・人・歴史のめぐみ、身識、
地域の記憶を育てる、
知恵・ワザ・文化の地産地消
# by hikonekeikan | 2009-12-14 17:49 | Trackback | Comments(0)
多賀里の駅 12月のつどい ・・12月5日(土)
多賀里の駅 12月のつどい

 忙しい12月ですが、ホッと一息、「里の駅」でくつろいでみませんか。

 12月のつどいは、「多賀鍋」を囲んで心身ともに癒しましょう
「多賀鍋」は、多賀小学校の給食で誕生したもので、食材はすべて多賀産を利用して作る鍋です。野菜たっぷりのおいしい出汁でいただく鍋です。このおいしい出汁も多賀町で作られているお醤油屋さんの出汁なんです。

①お話会 ・・・・ 午前10時30分~12時
  内容:「一圓屋敷でみつけた絵はがき」
    話し手: 細馬 宏通氏(滋賀県立大学)

②試食会 ・・・ 午後12時~  
  「多賀鍋」  参加費:おひとり 500円
  ※試食会に参加ご希望の方は、10時30分迄に受付名簿にご記入下さい。

③野菜市 ・・・ 午前9時~12時

④野鳥の森
   「冬鳥の観察会」  午前9時~10時30分
# by hikonekeikan | 2009-11-21 15:33 | Trackback | Comments(0)
いろは組 一圓庭園講演会 
日本庭園の楽しみ方と
        市民による庭園再生
 
                     平成21年11月15日(日) 多賀里の駅・一圓屋敷
                     主催:彦根景観フォーラム、多賀クラブ、いろは組
                     一般参加者 約30名


いろは組 代表 森口 朝行 あいさつ
 いろは組は、若き庭師の集団で、単に庭木の葉を刈る「葉刈り」ではなく、庭全体の管理を行う「庭師」を目指す団体です。いろは組は、多賀町一円にある「一圓屋敷」庭園で、庭木剪定の講習会を開いたご縁で、このたび私たちの活動を広く知っていただくとともに、この庭園をもっと皆さんが身近に感じていただけるよう庭園講演会を開催しました。
 講師は、彦根城の庭園である玄宮楽々園庭園植栽管理実施設計を担当いただいた京都造形芸術大学芸術学部環境デザイン学科ランドスケープデザインコース教授の仲 隆裕 先生です。
 先生は、1963年京都うまれ、千葉大学外学院園芸学研究科を修了後、京都大学で農学博士の学位を取得、日本庭園史・遺跡整備計画を専攻、宇治平等院の庭園を始め多くの歴史的庭園を修復、オーストリアシェーンブルク宮殿の日本庭園の修復も手がけられております。先生には、日本庭園の見方と市民が参加した庭園再生についても紹介いただきます。


日本庭園の楽しみと市民参加の庭園再生  
     仲 隆裕 京都造形芸術大学芸術学部教授
 
 
 日本庭園には様式があり、それを手がかりにして庭園を見ると庭園のさまざまな工夫や見せ方がわかり、楽しみが増えます。その手がかりをお伝えし、この立派な庭園を皆さんで守っていっていただきたい。

一圓庭園の楽しみ方
 庭と建築は密接につながっており、日本建築では大きく寝殿造りと書院づくりの2つの様式があります。平安時代の貴族の邸宅であった寝殿造りでは、庭はさまざまな儀式や娯楽の場でした。しかし、武士の世になると、寝殿造りでは主人が上位の客を迎えたり、大勢の部下をもてなす公式の部屋がないので、書院という大きな応接間を作りました。書院には上座と下座という位を示す演出があり、床の間のある方が上位とされました。
 一圓屋敷では、座敷が2つあり、東西方向の座敷には床の間と仏壇が、南北方向の座敷には床の間と違い棚が設けられています。この場合、床の間と違い棚がある座敷が最も格式が高く、この床の間と違い棚を背にして庭を見ると最も美しく見えるように庭は設計されています。これを座観式庭園といい、歩いて楽しむ回遊式庭園とは区別されます。
 一圓屋敷は、建物が南北方向の座敷と東西方向の座敷という室町期と江戸期の様式を両方もっている珍しい形態です。庭園は、相当の腕をもつ庭師が作ったと思われます。
日本庭園は、上手が山、下手が海で、山から川が流れ海につながる景色が描かれます。表現様式はほぼ同じで、材料と組み方で特徴を出します。

 庭の構成要素ですが、まず石組みです。「めでたさ」を取り入れるのに、石の由来、石が生み出す雰囲気や物語、中国の故事を利用します。どこどこのいわれのある名石だとか中国の仙人がすむ山を表現した石組みなどがあります。また、灯籠も春日大社の灯籠を模したもので格式を表現します。常緑樹もめでたさの象徴で、石を中心に常緑樹を配して遠近感を出します。
 江戸後期から明治になると一般の民家にも茶庭(露地)のおもしろさを追求した洒落た数寄屋風が導入され、変わり灯籠や飛び石が配置され、飛び石伝いに庭を回れるようになってきます。一般の民家でも山水画の世界に入り込んで遊ぶ「画遊」のように、庭で遊ぶ要素がでてきます。

 縁先手水鉢にもいい石を使っています。「どこの産の石でしょうか?」と話題にするわけです。かがみ石は、手水鉢の水がはねて建物を濡らすのを防ぐために立ててあり、かがまないと見えないので「かがみ石」といいます。手水鉢で人が手を出すと下男が柄杓で水をかけます。手水鉢に水を入れるために木桶を置く台として手水鉢の石の横にもう一つの石が立てられています。その後ろに木を植え奥行きを出すとともに、手前にはハランを植えて清らかさを見せる手法です。
 たたみ石もあります。これは、小さな石を畳のように敷いていくため、千個ぐらい集めて100個ぐらいしか使えません。
 石の橋は3つありますが、奥の橋を高くかけて遠近感を出しています。
広い庭なら中島を作って常緑樹を植えるのですが、狭い庭では岬を作って中島のように見せるテクニックを使っています。三尊石(山)から橋(川)をとおり、水分け石で海に流れるように見せるので、相当の腕をもった庭師だと思います。
 生け垣は、民家や生活の気配などの周辺の風景を消して、空や山を見せるものです。



歴史的庭園を楽しむ

 歴史的庭園には、池庭、枯山水、茶庭(露地)の3つのタイプがあり、実際にはこの3つが組み合わされて造られていることが多いものです。
 修学院離宮や桂離宮の造園は、背景に江戸初期の天皇と江戸幕府の主導権争いがあり、そうした背景の元に庭園をみるとおもしろいのです。修学院離宮は、山の斜面にダムをつくり広大な浴龍池を徳川幕府に作らせますが、いつでも堰を切って闘うという姿勢を見せているように思えます。桂離宮も回遊式庭園ですが、八条宮智仁親王のために徳川幕府が作ったのです。この親王は後水尾天皇と幕府の対立の仲介役で、天皇家が政治の世界から締め出されると、源氏物語の世界を再現しようと藤原道長の旧領地に回遊式庭園を作らせ風雅の世界に遊びます。ここでは、天の橋立を縮めて表現したりしています。
 このほかに、坪庭が京都の町屋では見られます。また、平安時代の寝殿造りの庭でも坪庭がありますが、これは全く別のものです。

日本庭園の技法
 日本庭園の技法をいくつか見てみましょう。
 まず、借景です。山の稜線を利用する事が多いのですが、中国では、仰ぎ見る、俯瞰する、隣の庭を借りるなどの技法があります。
 次は、三尊石組です。三角形の石組みで、変化がありながら形が安定している技法です。日本では、仏画で中央の中尊と左右に侍立する脇侍(きょうじ)と見立てています。 醍醐寺の三尊石は、藤戸石と呼ばれる石で信長、秀吉と権力の象徴として扱われた石です。
 次に、池、滝、遣水、州浜です。嵯峨の大覚寺では、「なこその滝」の石組みが発掘されました。日本庭園は自然景観に学び、一部を切り取り、省略化して表現しています。
 明治期になると、自然主義が庭園にも影響を与えます。自由な樹形や水の流れが取り入れられます。

身近な庭・公園を楽しむ
 少し前までは、一般家庭では、生け垣が防犯の側面をもって採用されていましたが、最近の住宅は建物自体の防犯性能が高まったため、生け垣が少なくなり、小さな前庭や車よせの植栽が主流になっています。
 小さな面積で立体的に楽しむ、そして道路から見て楽しむ庭になりつつあります。

市民による庭園再生
 舞鶴で、江戸期の庄屋の建物を文化財として1億円をかけて修復したとき、地元の人たちがワークショップで庭園を再生した事例を紹介します。
 もともと地元の人たちは、落ち葉がたまり土で覆われているので、それを取り除くくらいの意識でしたが、指導を受けて取り組んでいくうちに関心が高まり、再生をめざすとなりました。予算はゼロでした。山から粘土を取ってきて水路に打ち込んだり、近くの道路の崖からコケを移植して、強い品種を見極めてさらに植えたり、夏には水をやったり、池の底から壺が出てきたときは色めき立ったり、石を川で洗って敷き詰めたり、毎月1回土日に作業をしました。再生された庭は、みんなで管理しています。
 別の再生事例では、庭底の粘土で鉢を焼き、コケと植物で寄せ植えを作って展示したり、庭木のシュロのひげでシュロ縄や箒を作るワークショップをしました。
 一園庭園も、専門家の指導を受けながらも、皆さんで是非楽しみながら管理していっていただきたい。

質疑
 この後、一圓庭園について、仲先生は参加者の具体的な質問にこたえられました。主な応答は以下のとおりです。
○この庭の造られた時期はわかりますか? 
☆庭の様式だけで時代を特定するのはむずかしい。建物の建設時期と同時と考えるのが自然。安政年間(約150年前)に建物が建っているのでその時期と考えられます。
○庭石の多くが天面が平らになっているが、意味があるのか。人工的に削ったのか
☆平らにすると広がりがでて穏やかな庭になります。二条城には、一方から見ると尖った石の荒々しい庭園に見えるが、別の方向から見ると平らな石の穏やかな庭園にみえる庭があります。石はすべて自然石を選んで使っています。
○鶴島、亀島というが、鶴は正面の岬だと思うが亀はどれか?
☆かならず鶴と亀がいるというわけではありません。どれが鶴で亀かは見立てであり、水面ぎりぎりに現れている大きく平らな石が亀という見立てかもしれません。 (終)
# by hikonekeikan | 2009-11-21 15:13 | Trackback | Comments(0)
すぐわかる日本庭園のみかた講演会
日本庭園の見かた、楽しみ方 講演会のご案内

 多賀「里の駅」一圓屋敷を会場に、若手庭師集団「いろは組」主催の日本庭園講習会を開催します。
一圓屋敷庭園を事例として、意外と知らない日本庭園の見かた、楽しみかたを解説していただきます。

 ● 日時 平成21年11月15日(日)10:00~11:30
 ● 場所 一圓屋敷庭園(多賀町一円149番地)
 ● 講師 仲 隆裕 京都造形芸術大学教授
   (平等院庭園の整備など多数の日本庭園整備に参加、彦根城跡整備検討会委員)
# by hikonekeikan | 2009-11-10 22:46 | Trackback | Comments(0)
お知らせ それぞれの彦根物語、多賀里の駅
それぞれの彦根物語69
 11月14日(土)10:30~12:00 寺子屋力石(彦根市河原2丁目花しょうぶ通り)

 うるわしき湖国よ永遠に 琵琶湖博物館ギャラリー展から
     大橋 洋さん(親子二代のアマチュア写真家)
 
昭和の近江を60年余り撮り続けた父・大橋宇三郎と、平成の滋賀を撮る息子・大橋洋の親子今昔写真館にご案内します。 長曽根から松原に至る湖岸の移り変わり、えびす講でにぎわうマルビシ百貨店、県内各地の祭事などなつかしい写真がいっぱいです。


多賀里の駅 11月の集い 
 11月7日(土) 9:00 野菜市、野鳥の森観察会
          10:30 集い12 お話 「美しい多賀の星空」
                      高橋 進さん(ダイニックアストロパーク天究館館長)
                試食会 赤米と季節野菜の味噌汁
                参加料 500円
  会場:多賀町一円149 一圓屋敷
# by hikonekeikan | 2009-11-03 23:21 | Trackback | Comments(0)
協働会議からはじめよう! 彦根の「歴史まちづくり」(1)
協働会議からはじめよう!
            彦根の「歴史まちづくり」 その1


彦根世界遺産シンポジウム2009
   世界の城下町彦根の未来まちづくり
    -石見銀山協働会議の事例に学ぶ-


  平成21年6月13日、夏川記念館、主催 彦根景観フォーラム

  NPO法人彦根景観フォーラムは、平成21年6月13日(土)、午前10時30分から夏川記念館にて彦根世界遺産シンポジウム2009 「世界の城下町彦根の未来まちづくり -石見銀山協働会議の事例に学ぶ-」を開催しました。


 午前は、濱崎一志 滋賀県立大学教授・彦根景観フォーラム副理事長が問題提起をした後、大田市教育委員会石見銀山課の遠藤 浩巳氏が石見銀山の普遍的な価値と世界遺産登録に至るまでの取り組みの経過を説明されました。

 続いて、石見銀山協働会議世話人(建設会社社長)の波多野 諭氏が、200人の応募者で設立した協働会議の経過や、“石見銀山スタイルのまちづくり”実現に向けた行動計画の作成と現在の取り組みなどを紹介されました。

 その後、山崎一眞 滋賀大学教授・彦根景観フォーラム理事長の司会で約100名の参加者と意見交換が行われました。ほとんどの参加者は、石見銀山協働会議の素晴らしい取り組みを初めて知ったため、彦根でこのような協働会議が実現できるかどうかという点に議論が集中しました。

 午後は、1時30分にひこね街の駅寺子屋力石に集合し、彦根ボランティアガイドの皆さんの案内で、西覚寺-千代神社-金亀会館(旧彦根藩藩校)-長松院(井伊直政菩提寺)-大信寺-来迎寺-善利組足軽屋敷辻番所-足軽屋敷中居邸-芹川犬走り-芹川けやき道-七曲がり仏壇街-街の駅「戦國丸」を巡りました。 なかでも、千代神社では特別に本殿を公開していただくことができました。

今回は、午前中のシンポジウムの主な内容をお知らせします。


第一部 世界遺産石見銀山に学び、未来を語る

問題提起 「歴史まちづくりから世界遺産登録へ」  

                濱崎一志 彦根景観フォーラム副理事長・滋賀県立大学教授
 
 彦根城は、平成4年(1992年)世界遺産登録暫定リストに掲載されたが、その後は進展していない。
 一方、石見銀山は平成13年(2001年)暫定リストに掲載され、平成19年(2007年)に世界遺産に登録された。国際記念物遺跡会議(イコモス)からは登録延期の勧告を受けたが、補足情報を提出して世界遺産委員会で登録が決定された。

 世界遺産は878件(2008年時点)登録されているが、その内訳は文化遺産679件、自然遺産174件、複合遺産25件と、文化遺産の登録数が圧倒的に多い。また、イタリア43件、スペイン40件、中国37件、ドイツ・フランス各33件と多くの登録がされている国がある一方で、1件も登録物件を持たない国が40か国ある。
 こうした内容的・地域的な偏りを是正するために、未登録国の物件や文化的景観、産業遺産、20世紀建築などを優先する傾向にある。また、世界遺産は、保全状況をモニタリングしてゆく必要があり、その制約から1500から2000が登録数の限界ではないかと言われている。

 このように世界遺産の新規登録は厳しくなっている。
 その中で彦根城の世界遺産への登録は、城単独では姫路城の先行事例があり困難とみられ、①城下町彦根で申請する、②姫路城の登録を松本、犬山をふくむ国宝四城に拡大する、③琵琶湖を世界遺産にする運動の一部とするなどの案が出されている。
 ただ、どんな形でも世界遺産になりさえすれば、それでいいのだろうか? (つづく)
# by hikonekeikan | 2009-07-06 23:34 | Trackback | Comments(0)
芹橋辻番所の会 第3回辻番所サロン  2009/02/15
芹橋足軽組の居住配置の復元
                                渡辺 恒一 (彦根城博物館学芸員)
 

 毎月第3日曜日、芹橋二丁目の足軽屋敷で開かれる辻番所サロン「芹橋生活」。
 第3回目は、彦根城博物館学芸員 渡辺 恒一さんが、御城下惣絵図や古文書などを駆使して足軽組の居住配置を復元し、これまで漠然と語られてきたイメージをくつがえすとともに、辻番所の役割や配置を解きあかす重要な手がかりを示された。
 今回も狭い足軽屋敷は、60人を超える人で超満員となった。

リーダーの歴史から市民の歴史へ 
 渡辺さんによると、これまでの近世の歴史研究は、武将や大名、有力家臣などの政治や権力争いなどの解明が主力であったが、近年は足軽や武家奉公人、商人、農民などの一般庶民の生活にスポットが当たってきており、彦根でも足軽に関する基礎的な事実が明らかにされてきた段階だという。(「新修 彦根市史」、「彦根藩の藩政機構」に収録)
 本格的な研究はこれからだが、当面、
①江戸時代を通じての足軽組の編成の推移
②足軽の職務実態、勤務体制、組織の機能
③足軽組の屋敷配置のあり方 
の3点の解明が課題とされている。 今回は、③について、最新の研究が披露された。

足軽組の居住配置を復元する
 滋賀大学経済学部附属史料館所蔵青木家文書絵図20は、原題が欠けているが、寛政12年から文化5年の「足軽37組家並帳」ともいうべき絵図である。この文書は、同じ組の屋敷を束ねる形で「いろは」文字が朱書きしてあり、誰がどの組に属しているか、その住宅がどう配置されているのかがわかる貴重な資料だ。渡辺さんは、これを天保8年の武家の屋敷配置を描いた御城下惣絵図と重ね合わせて、善利組足軽組配置図(芹橋1丁目~7丁目)を作った。

食い違う足軽組屋敷のイメージ 
 試作図につき転載できないのが残念だが、これまで、南北の細い道筋毎に向かい合って同じ組の屋敷が配置された(両側町)とされていたのが、実際には組と道筋は必ずしも一致しないことがわかった。
 また、20人1組、30人1組とされてきたが、実際には23軒、27軒などとなっており、どの組にも入らない家さえみられる。
 さらに、「普請手代」や「御番人」と呼ばれる人たちも善利組屋敷の地域にまとまって住んでいたことがわかってきた。「普請手代」とは土木工事などの監督に携わる人たちで24俵3人扶持と足軽より2俵多い禄を受けている。また、「御番人」は城内や城下町の門の番人などを勤め、禄も16俵2人扶持と少なく、足軽などが高齢になり兵役には適さないが長年の貢献により門番を勤める「御番上り」ではないかと推定された。

辻番所の配置と管理
 青木家文書絵図には「辻番」の記述があり、その右肩にも「いろは」文字が朱書きされている。これは、辻番所も組の物頭が管理することを示しているのだと判明した。地図に落としてみると、ほぼ組毎に1つの辻番所があることがわかった。
 芹橋地区では、中辻通りと記入された通りに接して辻番所が多く配置されており、城下の警備体制の一環として計画的に配置されたとみられるが、組の配置によって中辻通りからはずれる場合もあり、辻番所の性格としては組の詰所の意味がより強いとみられる。試作図でも、普請手代や御番人の居住地には辻番所は見られない。

辻番所とは何か?
 さらに、それを補強する史料が「奥平源八火事割申渡書」(佐藤家文書D-316、彦根城博物館寄託)である。これは、奥平源八という足軽組の物頭が、火事の場合の消火班、防火班、連絡班などの分担を個人毎に示した命令書で、その組の構成員から青木家絵図の「そ」の組に該当するとわかった。
 そこには、次のように書かれている。

                    田附員平(たづけかずへい)
                    西村孫右衛門(にしむらまごうえもん)
右両人辻番ニ残り、組中火之元万事心ヲ付可被申事
(みぎりょうにんつじばんにのこり、くみちゅうひのもとばんじこころをつけもうさるべきこと)
 
 以下省略。
 これは、他の者が消火に行っている時に組の防火に注意する役を田附と西村の2名に命じており、場所を「辻番に残り」としていることから、辻番所は組が管理する組詰所として機能していたことを示している。

 渡辺さんによると、足軽に関する史料は、各藩士の家の古文書や彦根市立図書館保管文書などに少なからず伝えられている。今回、御城下惣絵図、家並帳、古文書を連結することで、具体的な足軽組や組屋敷の場に即して足軽の生活実態を把握することができることがわかったという。
 さらに、人別帳などとも連結されれば足軽の生活文化史が克明に見えてくるのではないだろうか。ますます、目が離せなくなった。 (By E.H)

次回のお知らせ
 第4回は、3月15日(日)10:30~12:00 彦根市教育委員会文化財課 課長 谷口 徹さんによる「芹橋地区の歴史遺産の保存活用 -世界遺産に向けて-」です。

 コーディネーターの母利・京都女子大学文学部教授・彦根景観フォーラム副理事長は、前日まで山口県の萩に出張され、彦根ではほとんど残っていない500石取りクラスの武家屋敷が多数残っていることに驚いたそうです。
 しかし、足軽屋敷となると皆無で、そもそも城下町に足軽が全部住んでいたということが珍しく、「日本中で足軽屋敷が現地にあるのは唯一彦根だけだろう。その意味で『足軽屋敷こそ彦根の売りだ』」と感慨を込めて話されました。
 その貴重な歴史遺産を保存活用する方策について、次回はお話しいただきます。 お楽しみに。
# by hikonekeikan | 2009-02-22 21:25 | Trackback | Comments(0)
それぞれの彦根物語58 彦根リキシャにかける夢
彦根リキシャにかける夢
                 彦根リキシャ開発プロジェクト委員 竹内洋行  2009/02/14

 「彦根の町に似合う、彦根で作る、彦根で走る」をコンセプトに開発された自転車タクシー「彦根リキシャ」が、いよいよ3月1日から営業運行を開始する。
 「彦根リキシャ」には、開発プロジェクト委員の竹内洋行さんの夢と人生の出会いがいっぱい詰まっている。
それだけではない。実際にリキシャに乗ってみると自然に笑顔になり、町を歩く人に手を振りたくなる。今回の彦根物語では、そんな未来の可能性を感じることができた。

竹内さんの生き方
 竹内さんは、花しょうぶ商店街の中ほどにある小さな店「エコスタイル自転車店」の店主だ。寺子屋力石にも、戦国丸にも近い。
 彼は、元々自動車のシートベルト関連部品を製造する会社に勤めていた。ものづくりが好きで、部品の開発にも参加し、毎日が楽しかったという。ところが、安定した収入があり働き甲斐もある会社を辞めて、小さなリサイクル自転車店をはじめた。
 「一体、なぜなんだろう」とずっと疑問だったので、思い切って聞いてみた。
 「子どもに、お父さんの仕事はなに?と聞かれたら、自信をもって答えられないでしょう。子どもに自信をもって語れる。それが私の生きる基準です。」
 一瞬、何のことか解からなかった。
 彼は、自動車は環境に良くない。環境に悪いことをしていては子どもに胸をはれないと言っていたのだ。おどろき、そして彼らしいと思った。彼は、寺子屋力石で週1回、滋賀大学の学生達と一緒に、家に帰ってもテレビゲームをするしかない小学生たちを集めて、みんなで遊んだり宿題をしたりしているのだ。


自転車の世界へ 
 「人力」で「ヒト」も「荷物」も運ぶ。「クルマ」では当たり前の世界を、自転車で「簡単に」「あたりまえに」実現したい。竹内さんは2003年から毎年のように試作に挑戦した。
 試作1号は、2台の中古自転車のフレームを横につなぎ椅子を取り付け、後ろ向きに2人を乗せるものだった。その後、低重心オープンタイプ、シンプル椅子型、幅800mmの箱型、幅狭子ども用、鉄枠板張り部屋型と2007年までに5台の試作車を作る。
 この間、彦根城築城400年祭の市民プロジェクトとして江戸時代の彦根藩士が発明した世界最古の自転車「陸舟奔車」の再現にも参加、多くの仲間達に出会った。


彦根リキシャへの道
  「陸舟奔車」の製作過程で出会った料亭経営者やボランティアの主婦、OL、デザイナーとその卵、地場産業である彦根仏壇の職人、漆芸家、蒔絵師、滋賀県立大学のプロダクトデザイン研究室の印南先生と学生達、高校の美術教師、プロのおもしろ自転車製作者やオリジナル原付製作者たちが集まって、2008年3月、「彦根リキシャ開発プロジェクト」がスタートする。

 彦根では、すでにベロタクシーが導入され、竹内さんもドライバーとして活躍していたが、ドイツ製で部品の供給に課題があった。また、卵形の斬新なデザインも彦根の町の風景には似合わないと感じられた。「彦根の町に似合う、彦根で作る、彦根で走る」が開発コンセプトになった。
 特に県立大学の研究室の参加により、デザインコンセプトが徹底的に詰められた。彦根をイメージする言葉を大量に集め、マトリックスで整理してデザイン要素に展開していく手法が竹内さんには新鮮だった。その成果はコンセプト・カーに結晶するが、大きすぎて宴会ができたほどだった。

 ここから、設計、製作(鉄と大工と伝統工芸)、調整と時間がかかり、11月の環境ビジネスメッセのお披露目の当日朝まで徹夜で製作が続いた。
 こうして、総重量150kg、全長3.8m、高さ2mの彦根リキシャが完成し、各地のイベントに出展。秋篠宮殿下もお乗りになったという。直接制作費は約150万円だった。

彦根リキシャのディテール  
 実際にリキシャに乗せてもらった。
 銅版で葺いた唐破風の屋根と頑丈なケヤキの柱、釘を使わない伝統建築の木組みに、「ふきうるし」の漆塗りと蒔絵の彦根仏壇の技法を施した「重厚さ」。座面の畳地や編み天井は茶室の「簡素さ」。ドライバーの法被(はっぴ)や車体に蒔絵で描かれたリキシャの炎のエンブレムは「遊び心」。楽しい発見がいくつもある。

 重い車体の安定した乗り心地は極めて上質だ。
そのうえ、意外にも軽快に走る。走り出すと、路面から町なみ、大空までが視野の中で動き出し、全身にそよ風を感じ爽快な気分になる。思わず笑顔になり、歩いている人に手を振ってしまう。

 走ってくる姿は牛車に似ていてどこか祭を連想させる。走り去る後姿も、なかなか素敵だ。漆塗りの車体の深く渋い色と古い街なみの暗い色が溶け合って、毛氈の緋色が際立つ。


リキシャの可能性
 「彦根リキシャ」は最高級のフラグシップモデルだ。豪華で楽しい。速く走るのではなく楽しく走る。「クルマ」で歩行者に手を振る人はもはやいないが、リキシャなら歩く人と心が通い合う。ぜひとも観光で成功してほしい。

 竹内さんの夢は、さらに広がる。より軽快で使い勝手の良い安価な普及型を製作し、みんなに使ってもらいたい。人も荷物も運べる「あたりまえの足」にしたいのだ。
 もし、普及版リキシャが完成したら、観光とあわせて会員制のコミュニティ・タクシーができないだろうか。彦根の狭い路地は軽自動車がぎりぎり直進できる幅しかなく、足の悪い高齢者の通院や大きな荷物の搬送に不便が生じている。高齢化の進展でクルマを運転したくない人も増えてくる。リキシャなら、人にも環境にもやさしい。だれでも運転できそうだ。

 「クルマ」の問題は私たちにとって最も悩ましいものだが、「歩く」と「クルマ」の間に「リキシャ」が入ると暮らしも社会も大きく変わる予感がする。環境にやさしい、持続可能な社会の具体的な姿が見えてくる。

新しいベンチャー 
 私の目には竹内さんはベンチャー、それも社会起業家に見える。また、彦根リキシャの開発プロジェクトは、新しい地域ビジネスが生まれる過程を示唆してくれている。だが、ビジネスとしては入り口に立った段階だ。成功するかどうかは、これからにかかっている。

 彦根リキシャは、3月1日10時から滋賀大学彦根キャンパスで行われる「開国フェスタ」で出発式をした後、花しょうぶ通りにある戦国丸で結婚式を挙げる新郎・新婦を彦根城から戦国丸まで送迎する。華やかなデビュー・パレードだ。私も沿道で若い二人と竹内さんとリキシャの未来にエールを送りたい。  (By E.H)
# by hikonekeikan | 2009-02-21 15:44 | Trackback | Comments(0)
辻番所サロン・芹橋生活 第3回 開催のお知らせ
【辻番所サロン・芹橋生活3】 平成21年2月15日(日)10:30~12:00

「芹橋足軽組の居住配置の復元」
           渡辺 恒一(彦根城博物館学芸員)


 組を単位として組織され形成されたといわれる善利組足軽屋敷ですが、どのような配置になっていたのでしょうか。 辻番所の位置や複雑な住居の配置など謎が多い「組屋敷」の配置について話していただきます。
 江戸時代の絵図と城下町の町割(街路)がしっかりと残っている彦根ならではの居住配置の復元にご期待ください。

会場:彦根市芹橋二丁目 辻番所・足軽屋敷
定員:30名   ※暖房費 100円
主催:NPO法人彦根景観フォーラム、彦根辻番所の会
※駐車場はありません。駐輪場は利用していただけます。
# by hikonekeikan | 2009-02-11 17:16 | Trackback | Comments(0)
里のつどい4 「みそづくり体験」 フォト・レポート 2009年2月7日
「多賀里の駅」・一圓屋敷は、里の自然、文化、実りを満喫するプラットホーム

 NPO彦根景観フォーラムでは、寄付された古民家「一圓屋敷」を活用した「地域おこし」、「まちづくり」、「都市と農村との交流」の活動を、地元の「多賀クラブ」の皆さんと一緒に進めています。
 「里の駅」は、地元の人々も、都市の人々も、旅行者も利用できる駅のような共有財産(コモンズ)としての古民家の保存・活用をめざしています。

「里の集い」&「地元農家の野菜市」
 毎月第1土曜日は、「里の集い」と「地元農家の野菜市」を開催しています。
2月7日(土)は、「みそづくり体験」でした。多賀クラブの皆さんたちが、事前に準備を整えて、手早く大豆をつぶし、麹を混ぜて味噌を作る熟練の技を披露してくださいました。
そして、参加者にも体験させてくださいました。味噌づくりの参加者は34人でした。

 この日は、1月11日(日)の朝日新聞で紹介されたこともあり、たくさんの人が集まっていただき、にぎやかで、楽しい時間を過ごせました。
 子供さんを連れてきてくださった方や、初めての方も多く、多賀「里の駅」が少しずつ知られてきている手ごたえがありました。
 また、新聞を読んで、一圓さんの親戚の方も草津から来てくださり、小さい頃に泊まった家の様子や馬のことなど、なつかしい話をきかせてくださいました。「大切に使ってもらっているのを知って安心した。」と言ってくださいました。
 みんなが集う楽しい場所として、広がっていくようにしていきたいですね。

 では、フォトレポートをどうぞ。


手作りみそ    
       材料 大豆 1.5kg(約1升)
           米麹 1.5Kg(約1升)
           塩500g

作り方
①大豆は、洗って塩をひとつまみ入れ、3倍の水に一晩つけておく
②豆をやわらかく煮る(豆を指でつまんで花形につぶれるくらい)

いい香り。すこしつまみ食い。「どう、おいしい?」とちいさな子に食べさせ、自分も食べる。
何も加えない豆本来のやさしいかすかな甘さとこくがある。大人にも勧める。みんなで
食べれば怖くない。


③煮えた豆をざるに移し、煮汁(あめ)はよくさましておく。(あめは後で使用する)
④豆はあついうちによくつぶす。(すり鉢、もちつき機などで)
⑤つぶした大豆は、よく冷ます。急ぐときは、扇風機やうちわを使う。



⑥麹は手でよくほぐし、塩と混ぜ、塩麹をつくる。
⑦冷めた大豆と塩麹を木じゃくしでよく混ぜ合わせ、「あめ」を7~8カップほど加える。



⑧壺か広口のびん(プラスチックではない方がよい)は、熱湯でよく洗い水分をよく乾かしておく。
⑨容器に詰めるときは、空気の残る隙間ができないように、きっちりと詰める。


⑩表面をラップで覆い、「ぬか座布団」か「塩座布団」で空気に触れないようにしっかりと押さえ、
さらにビニールか紙で覆い、ゴム紐でくくっておく。
 これが、「塩座布団」。大量の塩をビニール袋に入れて表面を押さえ、密封する。
なぜ、塩なのか?殺菌作用があるから? では、砂糖では?と大論争に発展しかけたが、
「なんでもいいんだけど、塩は安いからよ。」の主婦の一言で決着。



保存場所
 日陰で温度差の少ないところがよい。ガラス容器の場合は、日光などが当たらないように全体を紙で覆っておく。
発酵が進み、夏を越すとおいしい味噌ができます。表面に部分的にカビが発生することがありますが、取り除いてください。
自分で作った味噌が出来上がるのがとても楽しみです。



 

みその甘さと野菜の甘さがみごとに溶け合った味噌汁、古代米を加えたご飯と漬け物の簡素な昼食ですが、おいしくてみんながお代わりをし、多賀クラブの皆さんの分がなくなってしまいました。ごめんなさい。軒先では、恒例の野菜市。おつけものがおいしそうで、買いました。


 一圓屋敷に飾られた大きなお内裏様とおひな様。
殿上飾りは、いわゆる高貴な人を表現した顔や衣装で、現代人の我々がみても日本人の理想とした美しさに見とれてしまいます。
この髪飾りは、豪華ながら、どこかに清楚さを感じさせますね。

 このお雛様は、彦根市花しょうぶ通りの寺子屋力石で展示していただけるとのことです。
みなさんに見てもらえるのを楽しみにしています。

次回のお知らせ                         
3月7日(土)は、「ふきのとう三昧」です。
あわせて、井伊直弼も泊まった大庄屋である一圓屋敷の実測調査結果を滋賀県立大学人間文化学部の濱崎教授に報告いただきます。
 是非お出かけください。
 
「多賀クラブ」のブログは、こちら。 http://blog.taga-station.com/ 

# by hikonekeikan | 2009-02-11 11:30 | Trackback | Comments(0)
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