NPO法人 彦根景観フォーラム

カテゴリ:世界遺産( 4 )

協働会議からはじめよう! 彦根の「歴史まちづくり」(5)

協働会議からはじめよう!
            彦根の「歴史まちづくり」 その5


彦根世界遺産シンポジウム2009
   世界の城下町彦根の未来まちづくり
    -石見銀山協働会議の事例に学ぶ-

  平成21年6月13日、夏川記念館、主催 彦根景観フォーラム


討論 彦根歴史まちづくりと市民の協働 
         コーディネータ  山崎 一眞 NPO彦根景観フォーラム理事長 滋賀大学教授 


 石見銀山の取り組みへの質疑

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A:押し寄せる観光客への対応をどうしたのか? 
 大森町は、人口500人、200~250世帯のまちで、具体的に世界遺産を見据えて、住民ルールと来訪者のマナー遵守活動を徹底した。

 また、観光客が何人なら支障のない範囲で受け入れられるか社会実験を2.3年行った。その結果、1日千人程度が限度とわかり、抑制策を実施した。
 具体的には、車が地区にはいるのを防ぐため400台の駐車場をバッファーゾーンに設置し、車を停めて往復4Kmを歩く「パーク&ウォーク」とした。当初、バスを運行していたが現在は廃止した。はじめから歩くことがわかっていれば観光客が準備してくる。スニーカーで来ることが当然になる。きちんとした観光ルールをつくり、来訪者にきちんと伝えることが大切。

 さらに、安全なまちづくりのため、土日や祝祭日は駐在さんを1名増員している。

 空屋への出店も、「出店者は自治会に入る、地域行事に参加する、地域に住む、県外資本は断る」という地域ルールを決めて、持ち主も周りも守るように徹底している。

B:宿泊観光は増えたのか。
 石見銀山は登録前の年間入れ込み観光客数が20万人から登録後に80万人にはねあがって、宿泊だけでなくトイレや食事のキャパシティも不足し、日帰り観光になっている。宿泊を増やすことは考えにくい。
 歴史観光の満足度を上げるには、ガイドの質の向上がポイントであり、田舎の魅力+歴史ガイドの魅力でリピーターを狙っている。

C:誰が協働会議を主導してきたか。市の議員は率先して対応したか?
 議員よりも、地域の商工会議所のメンバーがリーダーシップをとって進めた。
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世界遺産をまちづくりに生かすためには

石見銀山の成功の原因 山崎
 かつて白川郷が世界遺産に登録されたとき、多くの観光客が押し寄せ、クルマと多くの土産物店で、生活環境が脅かされ、美しい景観に違和感が生じる結果となった。

 このときは、世界遺産をまちづくりに生かせなかった。その原因は、まちづくりの主体が不統一(各主体が個別バラバラで取り組む)のため、世界遺産の保存と定住環境の維持改善と来訪者満足が対立して、まちの意図が混乱し、方向を見失ってしまった。

 一方、石見銀山のケースでは、まちづくりの活動母体となる協働会議が結成され、めざす姿の統一と必要なルール、役割分担が明確になっていたため、多くの協力が集まり、世界遺産のまちづくりが進展しつつある。
そのきっかけを作るのは行政だ。行政が呼びかけてこうした協働会議を結成するとともに、行政自体も協働へ踏み込むことが大切だ。
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C: 彦根の場合、世界遺産にも展望がなく、伝建地区さえ一つもない。協働会議に人を集めるには工夫がいる。市民の参加意欲も不足しているし、行政や議会の本気度も足りないのではないか。

D:歴史まちづくりでは彦根城下町ばかりが対象になり、高宮・稲枝など周辺部が置き去りにされている。彦根市全体を取り上げるべきではないか



協働会議からはじめよう (山崎:まとめ)
d0087325_057431.jpg 彦根でも、歴史まちづくり計画に伴う歴史的建造物の整備が始まった。
 ただ、歴史遺産を守りながら暮らしや文化・経済を向上させるには、行政、市民、産業界がなにをどうすべきなのか、いまだその役割分担が不明確なままである。さらに、城下町のまちづくりは進んでも周辺地域では展望が見いだせないと感じている市民もある。

 広く市民プランナーを募集し、彦根協働会議を開き、行動を前提とした真剣な議論を積み重ねて彦根「行動計画」をつくろう。基金などの資金確保のしくみを築くことも必要だ。

一人一人の知恵や力はわずかでも、仲間が広がると大きな力になる。そこに参加する私たち自身も大きく成長する。そして、不可能と思われたことが着実に実現に近づいてゆく。そんな経験を、私たちは彦根城築城400年祭で十分に積んだ。
 石見銀山協働会議は、彦根の未来にとっても、大きな希望ではないだろうか。



第2部 歴史的風致をめぐる 13:30~15:15 
 
 街の駅「寺子屋力石」(集合)-西覚寺-千代神社-金亀会館(旧彦根藩藩校)-長松院-大信寺-来迎寺-善利組足軽屋敷辻番所-善利組足軽屋敷中居邸-芹川犬走り-芹川けやき道-七曲がり仏壇街-街の駅「戦國丸」(解散)

     リーダー:松居敏彦 氏(彦根ボランティアガイド)
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by hikonekeikan | 2009-07-14 00:34 | 世界遺産

協働会議からはじめよう! 彦根の「歴史まちづくり」(4)

協働会議からはじめよう!
            彦根の「歴史まちづくり」 その4


彦根世界遺産シンポジウム2009
   世界の城下町彦根の未来まちづくり
    -石見銀山協働会議の事例に学ぶ-

  平成21年6月13日、夏川記念館、主催 彦根景観フォーラム


事例報告2 石見銀山協働会議の経験
               波多野 諭  石見銀山協働会議副会長(建設会社社長)

(前号から続く)
協働会議の果たした役割
 世界遺産登録後、石見銀山を訪れる観光客が急増した。もし、協働会議の行動計画がなかったなら、世界遺産を目当てに来られる観光客も満足度が低いままで、観光客と地元住民と観光資本で大きな混乱と対立を招いていただろう。

 幸いにも協働会議で、事前にまちづくりのめざすべき姿とルールを決め、きちんとみんなで話し合う仕組みを作ったことから、住民には、「自分たちの町はこうするんだ」という自信がうまれている。

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 石見銀山行動計画では、行政ですべきこと、地域住民ですべきこと、民間企業等がすべきことに分けてまとめた。これがまちづくりを進める協働会議の現在の活動の原点となっている。

 行政は、施設の整備や交通整備を着実に実施し、信頼感があがった。地域住民は、特産品の開発、石見銀山ルールの設定、空き家紹介などを意欲的に進めている。
 観光ガイドは、ボランティアガイドからすべて有料ガイドに移行しガイド内容のレベルが上がった。きちんとしたルールに基づき、きちんとガイドしていくようになった。

 現在の課題は、民間の情報発信が弱いこと、基礎的な学術調査が遅れていることだ。


今、協働会議は
 現在、協働会議は、運営委員会と行動計画推進グループに分かれ、情報共有と計画の進行管理をきちんと行うとともに、行動計画を具体化するための企画や行動を実践していく体制をとっている。

 こうした活動の状況はシンポジウムやホームページで公開され、市民や民間団体と情報共有されている。

 当初参加のメンバーが市民プランナーから市民プレーヤーとして活動していくことをめざしている。その活動資金として石見銀山基金の活用が必要となるが、協働会議は市役所の石見銀山課に事務局を置く任意団体で、独立した運営組織や法人格がなく、現在NPO法人化を検討している。


石見銀山スタイルのまちづくり
 石見銀山は、鉱山遺跡と自然と暮らしが一体となって価値をもつ。

 この価値を理解し伝える、価値を守り育む、価値を活かし高める、価値を来訪者と共有することにより仲間が広がる関係を作り出す、そのことで一層石見銀山の価値を高めていける持続可能なまちづくりを「石見銀山スタイルのまちづくり」と呼んでいる。

 アドバイザーの西村幸夫教授は、協働会議としての「石見銀山スタイル」は、遺産登録の原動力であり、これからの行動の指針である。今後は、各分野の調整を行いながら、どう展開させていくかが課題であるが、自信をもってやってほしい」と述べられた。


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彦根へのアドバイス
 昨日、彦根を案内してもらい、すばらしい歴史遺産をみせてもらった。

 石見の場合は過疎が背景にあり地域の利害関係の調節が少なかった。彦根は、人口も多く歴史的な遺産も多く、多様な職業と価値観をもった都市生活者が多い。石見でできたから彦根でできるとは限らない。

 ただ、どの地域でも自分たちの住んでいる地域のすばらしいものを未来に伝えていく責任が自分たちにはある。壊してしまっては未来に伝わらない。 (つづく)
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by hikonekeikan | 2009-07-10 20:57 | 世界遺産

協働会議からはじめよう! 彦根の「歴史まちづくり」(3)

協働会議からはじめよう!
            彦根の「歴史まちづくり」 その3


彦根世界遺産シンポジウム2009
   世界の城下町彦根の未来まちづくり
    -石見銀山協働会議の事例に学ぶ-

  平成21年6月13日、夏川記念館、主催 彦根景観フォーラム



事例報告2 石見銀山協働会議の経験
               波多野 諭  石見銀山協働会議副会長(建設会社社長)


石見銀山協働会議とは 
d0087325_209474.jpg 石見銀山協働会議は、平成17年6月、「石見銀山を保存・活用し、地域振興を図っていける“石見銀山スタイル”のまちづくり」を求め、住民と行政が同じ目標に向かって動くこと」を目的に設置された。

 私は建設会社の社長をしているが、たまに観光ガイドを引き受けると、観光客に異口同音に「いままで知名度の低かった石見銀山がなぜ世界遺産なのか?」ときかれる。それほど遺産の価値はわかりにくいし、平成13年の暫定登録後、あれよあれよというまに世界遺産になってしまった印象がある。

地域活性化、観光開発と世界遺産
 銀山の地元である大森地区は過疎で空家が目立ち、遺跡の活用に活路を求めていた。
 昭和30年代から全戸加入の文化財保存会が国の史跡指定をめざして活動をしており、昭和50年代には石見銀山資料館が開設され、60年代には重要伝統的建造物群保全地区の指定をうけた。冬の寒さを我慢して住宅のアルミサッシを取り除き、格子戸に改修したのも、なんとか地区を守り活性化したかったからである。

 そこに、平成初年代に島根県知事が替わり、「島根県フィールドミュージアム構想」が発表され、「石見銀山のようなネームバリューのない観光地を生かすのは世界遺産だ」という、今思えば不純な動機から、平成7年に県・市・町共同の総合調査がはじまった。
 そして、平成13年に暫定リスト登録となり、平成19年7月に世界遺産登録をめざすと決まった。

行政と地元と民間の思いの違い
 大いに喜んだが、地元では石見銀山の価値やめざすべき姿がよくわからないという人がほとんどだった。さらに、行政の求める世界遺産にふさわしい厳格な保存・保全と、大森町などが求める地域の活性化と、民間企業の求める観光開発や、地元以外の市民の声が全部異なるという状態であった。
 このため、遺産調査に関わった専門家からは、「行政は確かに保全や保存に向けて懸命に努力しているが、地域や民間の姿勢はどうなっているのか」という問いかけが頻繁に行われるようになった。


200人の協働会議
 そこで、平成17年6月、市役所の石見銀山課が事務局となり、東京大学大学院 西村幸夫教授をアドバイザーとして、協働会議の会員を募集したところ、100人の予定に200人が応募され、年齢や職業、銀山との関わりや思い入れ、また、夢や自然への価値観の異なる人々が集まった。

基本的な考え方は、
 ① 石見銀山はどんな姿がふさわしいのか
 ② どんな形で次世代に伝えていかなければならないか
 ③ そのために、行政、地元、民間でどのような役割を分担しなければならないか

であり、平成18年3月末までに行動計画を作ることとした。

 石見銀山の価値を ①理解し、伝えます ②守り・育みます ③活かし、高めます をテーマに、4つの分科会を設置し、平成17年6月から18年3月までに、全体会4回、「受入」分科会15回、「活用」分科会16回、「保全」分科会15回、「発信」分科会15回、これらの分科会を運営する世話人会12回、現地を見学するフィールドワーク6回を実施した。
 10ヶ月間で、何らかの会議を、3日~1週間に一回づつ開催した。毎回、議論をまとめて記録し、議事録を次回の冒頭に確認して、議論を先に進めた事務局(石見銀山課)の役割が大きかった。


石見銀山行動計画
 こうして、行政と民間が共有する「石見銀山行動計画」を平成18年3月に作成した。
 その内容は、以下のとおり。

1,石見銀山を守る
   ①石見銀山ルールの構築(遺跡や暮らしを守るため、来訪者と地域住民がともに守るべき
     マナーやルールを策定し遵守を図ること、関連マナーの明示と徹底する仕組みづくり)
   ②地域ルールの設定(新規出店の制限、土地売買等の制限)
   ③維持保全活動の拡充(市民による美化活動と参加拡大のためのコーディネートの仕組み
     づくり)
   ④保存管理基金の設置運営(地域・民間の保全活動を実施するための資金確保のため
     の基金の設置と来訪者への呼びかけ)

2,石見銀山を伝える
   ①ブランドイメージの構築
   ②情報発信拠点の整備(石見銀山ライブラリーの設置、ホームページの連携)
   ③PR活動の推進(各種イベント、広報誌発行、マスメディアの活用など)
   ④教育・普及活動の推進(「わかりにくい」遺跡の価値について地元で理解を高めるため、
     地域学習活動、学校学習活動、学習活動の支援)

3,石見銀山を究める 
   ①基礎的調査研究の実施(考古学、文献史学、自然科学的研究)
   ②テーマ別調査研究(鉱山技術・経営、社会構造・文化、銀流通と世界の鉱山の比較研究)
   ③調査研究の総合調整機能の充実(拠点整備、結果の公表、研究調査への市民参加)

4,石見銀山に招く
   ①ガイダンス機能の充実(ガイダンス施設、総合観光窓口の設定)
   ②来訪者の誘導(モデルコース設定、域内交通対策、遺跡トレッキングルートの設定、
     サインの整備、トイレ・休憩所等の提供)
   ③ガイド体制の充実整備(ガイド窓口の設置、ガイド内容の充実・有料化、ガイド人員の
     確保、トレッキングガイド体制)
   ④アクセスルートの整備(主要アクセスルート設定、案内標識等の整備)
   ⑤ホスピタリティの醸成(観光業者の親切度向上、バリアフリー対策、外国人対応)
   ⑥安全対策の充実(安全施設整備、危機管理体制の構築、携帯電話通話エリアの拡大)

5,石見銀山を活かす
   ①ツーリズムの推進(魅力スポット発掘と観光コース設定、連絡会議の設置)
   ②マーケティングの推進(石見銀山ブランド登録制度、地域の関連産業の振興、特産品
     の開発)
   ③伝統文化の振興(伝統文化の保存・振興と活用)
   ④空家活用の推進(空家のデータベース作成、空屋活用の仕組みづくり、空家活用の
     促進)

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by hikonekeikan | 2009-07-10 19:50 | 世界遺産

協働会議からはじめよう! 彦根の「歴史まちづくり」(2)

協働会議からはじめよう!
            彦根の「歴史まちづくり」 その2


彦根世界遺産シンポジウム2009
   世界の城下町彦根の未来まちづくり
    -石見銀山協働会議の事例に学ぶ-

  平成21年6月13日、夏川記念館、主催 彦根景観フォーラム


問題提起 「歴史まちづくりから世界遺産登録へ」  
                濱崎一志 彦根景観フォーラム副理事長・滋賀県立大学教授

(前号からつづく)
「歴史まちづくり」から世界遺産へ
 彦根市では、平成20年10月の歴史まちづくり法制定をうけて、歴史まちづくり計画が動き出している。新たに文化財保護基金が設けられ、歴史的な建造物の保護がより機動的に実行できるようになった。
 こうしたことを考えると、彦根の歴史環境の保全をおし進めた結果として世界遺産登録も実現すると考えるべきではないか。

 歴史まちづくり計画によって行政は歴史的建造物などの保存で手一杯になる。しかし、それを活用し「歴史まちづくり」につなげられるのは住民だ。これまでの行政主体のまちづくりから、住民が主体となり行政と協働する「歴史まちづくり」が必要である。

 石見銀山は、銀山だけでなく街道や町も含めて世界遺産になっている。その特徴は、彦根の歴史まちづくりと似ている。石見銀山の取り組みに学び、住民と行政がともに未来を語る場が必要になっているのではないだろうか。


事例報告1 「石見銀山遺跡と文化的景観」の価値と
              世界遺産登録までの歩み


               大田市教育委員会石見銀山課 課長補佐 遠藤 浩巳

 (石見銀山世界遺産センター(ガイダンス棟)の解説ビデオで世界遺産の概要を説明。)
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世界遺産石見銀山の構成と価値
 石見銀山遺産の構成は、
 ①銀鉱山跡と銀山町 (大森重要伝統的建造物保存地区など)
 ②石見銀山街道 (鞆ヶ浦道、温泉津沖泊道)
 ③銀の積出港と港町 (鞆ヶ浦、沖泊、温泉津重要伝統的建造物保存地区など)
であり、銀山遺跡の面積が広い上に、町並みや集落、景観保全地域など住民生活と関わる部分が多く含まれる。
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 世界遺産としての普遍的価値は、
 ①世界的に重要な経済・文化交流を生み出したこと
 ②伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残していること
 ③銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示していることである。
 特に、③の生産から搬出にいたる全体像が文化的景観として価値が認められ保全すべきものとされた点に大きな特徴がある。


世界遺産登録までのあゆみ
 大森町文化財保存会は、全戸加入で1957年(S32年)から活動しており、
 1969年に石見銀山遺跡が国史跡に指定。
 1983年には発掘調査、歴史資料・民具資料の調査開始。
 1987年に大森町が重要伝統的建造物保存地区(伝建地区)に選定され建物の保存修理を開始。
 1995年 島根県知事から世界遺産登録への期待が表明され、県・市町による合同調査開始。
 1999年 総合調査報告による史跡追加申請。
 2001年 世界遺産暫定リスト登載。
 2002・2005年 史跡追加指定。
 2004年 温泉津が伝建地区に指定される。
 2005年 石見銀山協働会議発足、市で管理計画策定、管理団体指定。
 2006年 推薦書が正式受理。協働会議が行動計画を策定。国際記念物遺跡会議(イコモス)現地調査。
 2007年 イコモスから登録延期の勧告を受けたが、補足情報を提出し世界遺産委員会で登録が決定。

(つづく)
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by hikonekeikan | 2009-07-07 23:10 | 世界遺産