NPO法人 彦根景観フォーラム

カテゴリ:フォーラム( 15 )

城下町で、古民家で、はじめる開業支援戦略

篠山からはじめる・篠山ではじめる

                谷垣 友里 ROOT代表
                      20120902 @ひこね街の駅寺子屋力石

注目される篠山
 兵庫県篠山市、神戸・京都・大阪から電車や自動車で70分で行ける人口4万人の小さな町だ。丹波黒豆の産地として、また盆地に発生する雲海で有名な町だが、今、20~30代の女性をターゲットにした雑誌に頻繁に登場している。京阪神からすぐに行ける「ちょこっと旅」の人気スポットとして、「新店続々の篠山」、「篠山・ごちそう&器」、「新店めぐりと里山ごはん・篠山」、「新しくできたカフェ・ギャラリーへ」などと新しい店舗が紹介される。
 なぜ、地方都市の、しかも店舗がこれほど注目されるのだろうか。


城下町の活性化をめざして
d0087325_743842.jpg 篠山市の中心部には、篠山城址の西から南を経て東にL字型に伸びる国指定重要伝統的建造物群保存地区がある。一つは御徒町武家屋敷群、もう一つは河原町妻入商家群で、ともに平成16年に指定され、平成19年に「美しい日本の歴史風土100選」にも選ばれた地域だ。しかし、年間250万人にもなる観光客は、2~3時間の滞在で、お城の北の二階町付近で丹波黒豆などのお土産を買うとバスに乗って次の観光地に向かうのが常だった。

 一方、河原町妻入商家群のある河原町商店会は、かつて地元客でにぎわったが、幹線道路沿いの大型店に買い物客を奪われ、活力は大きく低下していた。篠山市商工会は空き店舗対策事業に力を入れたが、平成17年から22年の5年間だけで中心市街地の店舗数は約350軒から約300軒に減少した。登録された空き店舗数は、平成22年で13店舗だが、実際にはさらに多くの空き店舗、空き家が存在し、やがては解体され、美しい町なみの崩壊につながると危惧されていた。
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 篠山の資産である城下町の古民家(町屋、武家屋敷など)を再生・活用し、特色のある店舗を展開して、観光客を回遊させ、地域の活性化を図れないだろうか。だれもが考える対策だが、実現はむずかしかった。

d0087325_79176.jpg 谷垣 友里さんは、平成21年に結成された空き家活用プロジェクトチームの地域調整役として、この難問に挑戦した。 そして、ササヤマルシェというイベントに出店した15者の開業希望者のうち、平成22年度中に3者が本格開業し、平成23年にはさらに2者が開業、24年にも2者が開業するという結果につながった。新規開業は、市中心部以外にもひろがり、5km離れた日置地区でも江戸時代の庄屋屋敷を改装した複合店舗が開業したという。

 平成24年9月2日、谷垣さんは、城下町である滋賀県彦根市の花しょうぶ通り商店街に招かれ、「ひこね街の駅・寺子屋力石」で「篠山からはじめる、篠山ではじめる」というテーマで発表を行った。そこから、城下町における新規開業支援の成功要因を探ってみよう。


城下町ではじめる、古民家ではじめる
d0087325_7112664.jpg 城下町で開業することは、他の場所で開業することと、どう違うのだろうか。
 篠山の場合、そのメリットは、住民やNPOの力によって守られ再生されてきた重要伝統的建造物群保存地区の美しい町なみが観光客を惹きつける点にある。デメリットは、商店街としての活力が低下し空き屋が目立つ人気のない町では来店者を確保できない点、閉鎖的な人間関係の影響でよそ者が革新的な店舗展開をする際には、既存店や地域との合意形成をしながら進めて行くために時間がかかる点があげられる。

 次に、古民家で開業することのメリットとしては、レトロな雰囲気や、歴史を感じる落ちつける空間を活用して、手作りの良さ、本物の良さ、ナチュラルさをアピールできる点がある。デメリットとしては、古民家の所有者が近隣との人間関係を配慮して売却や賃貸を避ける傾向にあり、物件があるにもかかわらず流動化しないこと、長年放置されてきたため、改修に人手と時間と費用がかかりすぎることなどがあげられる。また近隣との人間関係が濃密なため、自分の店だけでなく、近隣との調和や連携が求められることが特徴として挙げられる。

 これをみると、新規開業者は、顧客獲得などのビジネス上の課題や古民家の改修費の負担だけでなく、古民家の掘り起しや、所有者および地域の人々との十分な話し合いによる理解と問題解決など、多くの労力と時間を要とする課題に直面する。人員も資金も限られている新規開業者にとっては極めてハードルが高い。地元に理解者がいて、戦略的かつ継続的な支援をしてくれなければ、とうてい開業できそうにない。


みんなではじめる
d0087325_7385075.jpg 篠山では、平成21年、空き家活用プロジェクトチームが発足した。構成員は、篠山商工会空き店舗対策係、篠山市政策部帰ろう住もう係(移住定住促進)、篠山市の歴史文化施設の運営管理や農村集落の再生などのまちづくりを行っている一般社団法人(ノオト)、開業実績のある合同会社、古民家再生を手がける建築家の5者である。これらの機関や団体は、それぞれに「空き家対策」「開業者誘致」「まちづくり支援」「古民家再生」を行っていたが、プロジェクトチームで情報を共有するとともに役割分担することによって、より効果的に動けるようになった。

 たとえば、同じ古民家の空き家に対して、町なみ保存と開業者誘致の関係者が別々にアプローチしたため、所有者が混乱し、以後コンタクトできない事態に陥ったことがあった。そこで、プロジェクトチームでは、ファーストコンタクト者が担当者になるというルールを決めた。関係者で個人情報を共有することは困難なので、担当者が窓口となり、常に窓口を通してコンタクトする方式とした。

 そして、一般社団法人ノオトには、魅力ある商店主の選定を担当する商店主誘致マネージャーと新規開業者を迎える地元の商店会、自治会などとの連絡調整を図る地域調整マネージャーがおかれた。この地域調整マネージャーが谷垣さんだった。

 チームは、最初に、基本となる「地域力」(町の歴史、地域資源)の把握を行い、めざす活性化の方向性を確認した。次に、商店会の調査や退会届から空き家のデータを把握し、物件の状況を確認した。
 そして、開業希望者の発掘、募集、誘致に取り組んだ。希望者は、まず商工会などに相談に行くことが多く、商工会が中心になってリストを作成した。その中から、商店主誘致マネージャーが中心となって出店してほしい開業希望者を選び、お試し出店の機会としてササヤマルシェというイベントを10月に開催した。
 ササヤマルシェで手ごたえをつかんだ希望者には、ノオトと建築家等が一緒に空き家の改修を実施するとともに、地域調整マネージャーが、所有者と開業者のマッチングや地域住民、既存商店主、自治会などへの説明を行い、合意を形成していった。

 谷垣さんは、都市計画や建築の専門家ではない。教育学を学び、ワークショップのファシリテーターとしての経験を積んだ。彼女は、県外から篠山の魅力にひかれ、廃校となった小学校を活用した篠山チルドレンズミュージアムの学芸員(教育普及担当:ワークショップファシリテーター)に就職し(現在は休館中)、社内異動により篠山市が出資する一般社団法人ノオトで働くことになる。そこで、彼女の行動力とファシリテーターとしての力、一人ひとりの考えを活かし、むすびつけ、行動へと促す力が発揮された。


「暮らしの町」であることを第1に
d0087325_8161711.jpg 一般に、開業支援は、開業希望者の意向を最も重視し、既存店主、自治会、近隣の人の順で調整を行う。しかし、谷垣さん達は、城下町で一番重視すべきはそこに暮らしている人であって開業希望者ではないと考えた。

 城下町の商店街では通年で様々な地域活性化イベントが開催される。そのたびに、歩行者天国にしたらどうか、という意見が出る。しかし、歩行者天国は、観光客には有利だが、自動車を使う地元客や住民には不便になり、地元生活の店と観光客相手の各店の意見が分かれ、結論がでないまま実施不能になっていた。こうした状況では、新しい集客をめざして特色のある店舗展開をする開業者は、地域にとって活力源となるよりも混乱をもたらす厄介者ととらえられがちである。

 生活の町でありながら、観光客も受け入れていくことの難しさを見た彼女達は、「暮らしている人」を第1に、住民自身が未来を自らの力で描けるように支援することを優先した。

 そして、地域に推薦できる開業希望者を選択する方法をとった。
 すなわち、開業希望者には、町なみ保存に取り組む住民や商店街の意向を理解して協力できる(外観などの調和に配慮できる)人を求めた。また、店舗イメージの視点からは、本物を創っている、またはセレクトしている店主で自分の言葉でそれを伝えられる人を、さらに新たな顧客創造の視点からは、本物志向の20~30代女性を惹きつける魅力のある人を望ましい開業者として選ぶことにした。


エリアマネジメント
 篠山の開業者支援活動のもう一つの特徴が、「エリアマネジメント」だ。プロジェクトチームは、観光客が大型バスでやってきて、お城付近でお土産を買って帰る通過型観光の現状に対して、篠山の美しい町なみを積極的にPRし、「町あるき」へと誘導することをめざした。そのためには、町なみの中に素敵なお店を点在させて、ガイドブックとマップで「町あるき」に誘うしかない。

 慎重な観察の結果、パイオニアである20~30代の女性達は、「Richer」「SAVVY」などの雑誌で紹介されるその土地ならではの個性的な店を訪れ、おいしいもの、話題性のあるもの、同世代の共感できる店主との会話に惹かれていることがわかった。

 そこで、チームは、空き家をマッピングし、町歩きには、この場所にこのような店舗が望ましいという理想図を作成した。そして、エリアの特色にふさわしい、地元の人々に受け入れられる商店主に開業を奨め、開業後は、ターゲットとする若い女性に伝わるように雑誌やテレビ番組などに積極的なプロモーション活動を行った。
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イベントではじめる
 開業者の視点でみると、城下町の人通りの少ない場所での開店は極めてリスクが高い。最大の問題は、顧客が来ない点だ。開業者は、当然だが認知度が低く、顧客が来なければ本当のニーズもつかめない。また、実際に古民家での店づくりがうまくいくかどうかも大きな問題である。

 そこで、谷垣さんたちは、お試し出店の機会を作った。ものづくり市「ササヤマルシェ」である。マルシェの開催場所は、重要伝統的建造物群保存地区の「河原町妻入商家群」で、住民が実際に暮らす町屋の土間や一間を借りて、1日単位で最長1ヶ月までお試し出店ができるようにした。そして、イベントの広報、プロモーションを大規模に行い、京阪神からの集客を図った。
 会場では、来場者にマルシェマップを配布し、手作り感あふれる斬新なストリート・ディスプレイで誘導、町あるきとお店めぐりを楽しめる工夫を凝らした。マルシェは10月の毎週末に開催し、お試し出店は14組で、7日間で8,700人の来場となった。この背景には、河原町商店会、上河原町自治会、下河原町自治会の全面的な協力があった。

 マルシェによって、人通りのない静かな古民家の町が、歴史を感じさせる町なみの中に、クリエイティブなショップが点在する「おもしろい町」へと変化しはじめた。こうした視点転換によって、新しい未来、新しい価値を人々に見せ、次の時代への起爆剤となることこそイベントの使命である。
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篠山で開業する
 ササヤマルシェで手応えをつかんだ開業希望者は、11月に2組、さらに2月にかけて1組が本格的に開店した。木の手作りおもちゃ、沖縄雑貨のお店「ナチュラルバックヤード」、武家屋敷エリアで開業した高級中国茶と飲茶の店「岩茶房 丹波ことり」、20~30代をターゲットにしたデザイン性の高い雑貨と若者が集える店「プラグストア」だ。

d0087325_8134872.jpg なかでも、「岩茶房 丹波ことり」の武家屋敷エリアでの開業は、それまで1軒も店舗がなかった地域での開業であり、エリアマネジメントの点からも画期的であった。
地元住民からは、店ができると観光客が来て家の中をのぞかれるので困る、他人は入れないなどの意見があったが、最終的に店主が篠山生まれ篠山育ちで、地域の住民達も店主の人柄を小さな頃からよく知っていたことが信頼となり、開店につながった。d0087325_7542451.jpg

 どの開業者も、篠山に強く惹かれ、篠山でより高い質の商品やサービス、店舗の開発をめざしている。  
特徴的なのは、店舗が連携して、他の店のショップカードを置き、お客を次の店につないでいく仕組みができていることで、これはエリアマネジメントの考え方がよく理解されている証拠でもある。


空き家を「個人」資産から「地域」資産へ
d0087325_823918.jpg 古民家の賃貸は、物件があるにもかかわらず貸したがる家主が少ないうえに、改修に多くの手間と時間と費用がかかり、特に改修費の見通しがつきにくいという問題がある。
 このため、篠山では、一般社団法人ノオトが窓口になって古民家の賃貸物件を掘り起し、家主と話し合い、家主負担なしで改修して新しい商店主にサブリースする方式を採用している。これは、空き家を「個人」資産から「地域の共有」資産として活用するという考え方で、公的資金で改修することから、家主とは10年間の賃貸借契約をほぼ無償で結び、10年後の満期時に家主に返還する。

 こうした事業スキームが成り立つには、まず改修費を極力抑える必要がある。ノオトとともに活動しているNPO法人町なみ家なみ研究所では、プロの職人の指導を受けながらボランティアの手によって最低限の改修することで改修費用を抑えるノウハウを持っている。
 またノオトは国・県・市の補助金1/3〜2/3のほかは改修費用を自社調達してまかない、自社調達分をサブリースした商店主からの10年間の家賃で回収する事業スキームを採用している。なお、設備の導入は商店主の負担だ。


城下町、古民家を、弱みから強みに変える
d0087325_851064.jpg 谷垣さん達が優れていたのは、「町なみ保存」、「空き家活用」、「開業者誘致」、「古民家再生」を総合的に把握し、個別の方法論にとらわれずに「まちづくり全体の方向性」のもとで組み合わせた点だ。これは、ファシリテーションで強調される「鳥の目の視点」である。それを関係者が共有したことで、それぞれの活動がかみ合い、短期間での古民家再生、空き店舗開業、観光振興の実現につながったとみられる。

 新規顧客のターゲットを、パイオニアである20~30代女性としている店舗や地域は多い。篠山が、同じポジションで競争しても、京阪神の都市と比べると不利である。そこでポジションを、城下町、古民家の強みを生かせる軸に変えることによって、差別化を図った。古い埋もれた町でこそ、新しい感性との結合によって創造が生れる。濃密な人間関係は、うるさい反面とても温かい。古くて面倒くさい生活は、伝統の知恵が詰まっている生活へと変化する。

 谷垣さん達が挑戦したのは、弱みを強みに変える視点転換と新結合だった。それが、商店主にも訪れる若い女性たちにも共感された。そして、より根本的な挑戦は、未来に向けた地域の人々の合意形成を支援することだった。   (文責:堀部 栄次)
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by hikonekeikan | 2012-10-04 23:14 | フォーラム

彦根景観シンポジウム 今井町の歴史的まちなみの保存と再生に学ぶ(2)

特集:彦根景観シンポジウム2012
     彦根・芹橋地区のまちづくりに向けて (2)


橿原市今井町の歴史的まちなみの
               保存と再生に学ぶ



今井町町並み保存会の活動 (2)

                 今井町街並み保存会会長 若林 稔さん

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 今井町町並み保存会は、住民の理事が90名、うち活動を主に担う常任理事は23名です。

 「見る建物から、使う建物に脱皮していこう」、「自分たちが主体となってまちを起す人づくりをしよう」を基本方針として、

①尾崎家、旧米谷家の保全と「大和今井を見る食べる会」、寄席、音楽会、奉仕活動の実施、
②今井まちづくりセンター、今井・まちや館、旧米谷家の管理運営とガイド、
③「今井町並み散歩」の開催(5月第3日曜を中心に1週間、茶行列などを実施)、
d0087325_212490.jpg④フリーマーケット六斎市と重要文化財・県指定文化財内部公開の同時開催、
⑤メディアの撮影(年間20本以上)への協力と撮影マナーの徹底、
⑥建物などが景観にそぐわない場合や景観を維持するための支援の市への要望、
⑦講演会・研修会の実施、機関誌「いまいは今」(月1回)の発行、
⑧その他、今井小学校6年生の「大和今井の茶がゆ体験」の開催、留学生や海外研修生、東大、奈良女子大の学生の受け入れ

などを行っています。


今井のまちづくりは第3期へ
d0087325_2132362.jpg 第3期にあたる今後10年を展望すると、保存を基本前提にしてきた今井町は、観光ではなく「人」と「商い」で活性化をめざします。これで町が生き返り、空き家がなくなっていくのが理想です。

 「商いの里帰り」事業は、今井町並み散歩の「今井町衆市」(5月19・20日)で試行しています。地元出身商人への故郷出展の依頼、堺などとの商いの連携が狙いです。

 「今井の食文化」事業は、「茶がゆ」だけでなく江戸時代の食、中世の食を創生し、本物のおもてなしの再現を狙います。

「今井チャンネル」事業は、古老の知識・記憶を記録する番組づくり、各種イベントや来町者に参加いただく番組づくりを仕掛けています。

d0087325_2151467.jpg まちの活性化には、人づくりが最大の課題。今井町だけでは創造的人材の絶対量が足りない。そこで、地域づくり支援機構と連携して「地域プランナー・コーディネーター養成塾」の実習の場、修了生の実践の場として活用してもらうことを考えています。



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 地域づくりは地元がまずやるものであると私は信じています。強い臨場感を持てば、地域づくりの課題は見えてくる。社会を変えたければまず自分が変われ。できることを探す力、できることを実行する力、よく周りが見える力が大切で、進んで嫌われることができる人になりましょう。現状を変えるには「事あれ」主義で、機会を創り出しましょう。リーダーに年齢は関係ないと思っています。


空き家再生とNPOの役割

            NPO今井まちなみ再生ネットワーク
                        理事長 上田 琢也さん


d0087325_1635666.jpg 重伝建地区・今井町にも、老朽化した空き家が多くあり、現在も増加しています。そこで、空き家の活用を進め、町に定住する人を増やす取り組みを「今井まちなみネットワーク」では行っています。
 
 主な事業は、空き家バンクの運営、今井まちあるき(空き家紹介)実施と、空き家をプロットしたまちあるきマップと小冊子「今井町町屋暮らしのすすめ」の作成・配布です。

 昨年の空き家の問い合わせが60件以上、空き家情報バンクへのユーザー登録約60名、土地・建物の売買契約3件、賃貸契約22件が成立しています。

空き家を再生した事例には、宿泊体験施設「今井庵・楽」、長屋のサブリース事業、フレンチレストランの開業があります。

 私自身は、今井町に生まれ育った福祉施設の職員ですが、メンバーには建物取引の専門家がいます。空き家バンクは、借り手と所有者のつながりだけでなく、今井町のコミュニティとのつながり、行政やまちづくり組織などとの関係を大切にして、今井に住んでほしい人とはどんな人か、住みやすい町とはどんな町か、を常に考えています。

 空き家対策の基本は、まず所有者と十分に話し合うことです。所有者との関係を整理した後に、ボランティアで草刈りの実施、畳替え、トイレの水洗化などを行い、一つの再生サンプルを作ります。これが広告塔になって口コミで情報が広がります。もちろん、インターネットでの発信も行っています。

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今井庵・楽
 伝統町屋を再生、現代的感覚と耐震性能を盛り込んで町屋暮らしを体験したい方に貸し出す「生活体験用滞在施設」。
部屋は、茶室3畳、1階和室7畳半、2階和室7畳半。茶室、ひのき風呂、ミニキッチンを備え、冷暖房完備。
1泊2日で1名1万円、2~5名で1万5千円。




意見交換 (司会:笠原 啓史さん)

d0087325_17172468.jpg 芹橋でも、老朽化した空き家が突然売却され、潰される。所有者が大阪などにいて情報が入らない。どう対応されているのか。また、若い人は古い町に本当に住んでくれるのか。

 所有者を聞き出して、足を運んで話すのが基本だ。空き家に人が住む実例が出てくると、口コミで情報が広がり、相談が集まるようになる。不動産屋にとって古い町屋は手間がかかるうえに儲からないので、十分に動いてくれない。NPOの方が親身になってくれるといわれている。ただし、古い町屋には、一般住宅と違う課題があり、それらを盛り込んだ契約書を「大和空き家バンク」でつくり、使用している。

 最近は都会暮らしの若い人達の移住が増えている。マンション住まいで子供たちの人間関係の希薄さに不安を感じている人が多く、近所どうしのふれあいが魅力という。古い町のコミュニティこそ、次世代への大切な贈り物だと思っている。


d0087325_1718193.jpg 芹橋では、辻番所の保存運動に関わり「辻番所の会」を有志で立ち上げ、昨年、芹橋二丁目連合自治会に「まちづくり懇話会」ができた。今後、住民協議会などをつくり、まちづくりの合意を形成したいが、芹橋では、すでに多数の建物が失われて空き地になり、現代建築に建て替わっている所も多い。ここでまちづくりの合意を得るには、新しい家にも通じる防災上の協定や施設整備を共通項にしたらと思っている。
今井町では、防災に関する協定や防災広場の整備に至る住民合意は、どのようにしたか。


 今井町では、建物と町並みをそのまま保存するという基本方針で、伝建地区を選択した。都市計画決定までは、住民を二分する深い対立があり、今でも伝建地区について様々な意見がある。しかし、「伝建で保存」という合意が先にあったので、防災でもめることはなかった。


 彦根市では、花しょうぶ通りで伝建地区をめざして住民と協議を進めている。芹橋は伝建地区ではないが、住民の合意による地域協定ができれば、町並み環境整備を実施することは可能だ。

ただ防災は、まず自分たちでするのが基本。防災広場や防災小屋は、他人にしてくれという世界。そこが先走ると自分たちでしないで、行政依存になり、地域自主防災力は却って低下する。

 城下町の町割りや足軽屋敷群などの歴史的な建物を残しつつ、防災に力を入れるのは重要だ。いったん潰したら再生できない。文化も歴史も失うことになる。  (終)
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by hikonekeikan | 2012-05-13 16:36 | フォーラム

彦根景観シンポジウム 今井町の歴史的まちなみの保存と再生に学ぶ

特集:彦根景観シンポジウム2012
       彦根・芹橋地区のまちづくりに向けて (1)


橿原市今井町の歴史的まちなみの
               保存と再生に学ぶ



 2012年3月20日(祝)、彦根景観フォーラム、辻番所の会、芹橋まちづくり懇話会は、11時より芹橋地区で特別公開中の足軽屋敷や路地の見学会を行った後、13時より四番町ダイニング3Fホールで彦根景観シンポジウム2012を開催しました。

 今回は、奈良県橿原市今井町から3名の講師を迎え、歴史的な資産の保存と住民のくらしの共存、まちの防災や活性化、空き家問題への対応などについて議論を深めました。2回にわたって、そのポイントをお伝えします。
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一歩踏み出そう、芹橋まちづくり

                 彦根景観フォーラム理事長 山崎 一眞 

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 芹橋は、旧彦根藩最大の足軽組屋敷地であり、歴史を感じさせる閑静な住宅地です。彦根市の中心部に位置し、買い物や生活に便利だが、路地がせまく車の利用には適していません。中心市街地の例にもれず人口減少・高齢化が著しく、1977年の1,234人が2008年には700人に、高齢化率は彦根市の18.7%に比べ芹橋は36.4%となっています。
 足軽屋敷の数は、1966年の158件が2007年には30件に激減。町並みは、空き家や空き地、青空駐車場が増え、周囲の町なみとは場違いな建物も増えて、歴史的な景観が損なわれています。

 足軽屋敷を保存し、歴史的町並みと路地を再生しつつ、安全で若者も喜んで住む町にできないか。前回の彦根景観シンポジウムでは、次のような町づくりの方向が明らかになりました。d0087325_1528357.jpg 

 ①芹橋の町並みは、路地を挟んで塀があり、少し後に建物がたち、間に庭があって緑が見える建て方でつくられている。この歴史的な建築ルールを守る住民協定が必要。

 ②4m未満の路地の維持は、都市計画法第42条の3項道路の適用で実現が可能。

 ③住民による自主防災の仕組みづくりが前提。

 この建築ルール/路地の維持/防災の仕組みをセットで合意できれば、少子高齢化、脱クルマ時代のまちづくりのモデルになると評価されました。
 シンポジウムを受けて芹橋で防災図上訓練を実施したところ、今の準備状況では震度7の地震に対処できないことがわかり、対応策を模索しました。

 芹橋の歴史的な建物と町なみの再生、防災性の向上をどう進めるか? 今日は、先進地の橿原市今井町のハード、ソフトの経験をお聞きして、住民、行政、NPOの皆さんと議論したいと思います。


今井町伝建地区の制度と事業

                 今井町並保存整備事務所長 田原 勝則さん

d0087325_11435897.jpg 行政の立場から、ハード整備を中心にお話しします。

 今井町の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)は、東西600m、南北310m、面積17.4haで、ここに重要文化財が9件(寺社1、民家8)、県指定文化財2件、市指定文化財5件、伝統的建造物504件があります。芹橋より少し広いくらいの通りがあり、昭和30年代から10回以上、建物や町並みの本格的調査が行われています。

 今井町のまちづくりの理念は、文化財としての歴史的町並みと住民生活の共存により、活気のあるまちをつくり、街並みを未来に残していくことです。

d0087325_15402325.jpg 伝統的建造物群保存地区(伝建)制度は、市からの申出により選定され、建物の修理、修景等の経費の一部が国から補助されます。この指定を受けるため、橿原市は伝建地区保存条例(H1.9.27)を制定し、保存計画の策定、現状変更行為の制限と許可基準、経費補助、伝建地区保存審議会設置を定めました。
 ところが、住民の意見が二つに分かれ、都市計画決定(H5,3)までに5年かかりました。この時、住民意見を調整するために市が「今井町町並み保存住民審議会」を設置しました。地区の各組織・団体の代表、学識経験者で構成し、保存計画、現状変更行為、許可関連、整備事業を審議し、市および伝建地区保存審議会に建議します。

d0087325_15375043.jpg 建物の保存・修理については、伝統的建造物の外観を保存する修理・復旧で4/5、非伝統的建造物では外観を伝統的建造物と調和するような修景で1/2、2/3、新築の場合1/3が補助されます。22年度末までで262件、総事業費47億円のうち11億円を補助しています。このほか、伝建地区における建築基準法の制限を緩和するとともに、家屋、土地の固定資産税を軽減しています。

d0087325_15385258.jpg 住環境整備事業(町なみ環境整備事業)は、住環境としての道路が狭い、公園・緑地が少ない問題に対処して、歴史的資産の保存と住環境の改善の両立を図るもので、①道路の美装化、②電線等の地中化 ③旧環濠の整備(復元)、④公園・生活広場・防災施設(防火水槽、防災倉庫、便所を併設した休憩施設)の整備、⑤今井景観支援センター(町屋を改修し東側を見学拠点、西側を事務所に活用)、今井まちづくりセンター(地区住民の交流の場、体験型見学施設)の整備、d0087325_1546887.jpg⑥伝統的建造物以外の建物の修景、屋外設置物、生垣の整備、⑦照明などのストリートファニチャーの整備を行っています。
 総事業費 29億円で、H22年度末で24億円の進捗です。最近、交通広場予定地から昔の環濠が発掘され、復元すべく調整しています。

 これらの公園や防災施設、センターを管理し活用していただいているのが、地域防災会や「今井町並み保存会」、「NPO今井まちなみ再生ネットワーク」、「今井町区域街並み環境整備協議会(大工さん達の勉強会)」で、活発に活動いただいています。


今井町町並み保存会の活動

               今井町街並み保存会会長 若林 稔さん

d0087325_1144336.jpg 最初にお断りしますが、私の意見が今井町の住民の意見とはいえません。まちづくりには様々な意見があり、一本化はできません。私という人間が会長に推されていると考えてください。私は、今井町に生まれ、近畿日本鉄道(株)で広報や都市計画、美術館の仕事を担当、平成8年から街並み保存に関わり、今井宗久を提唱。14年から茶行列等のイベントを企画して本格的に参加した人間です。

 今井のまちづくり第1期は「町並み保存のパイオニア」の時代です。昭和30年代から少数の住民リーダーが町並み保存運動を引っ張り、昭和49年、今井、妻籠、有松で「街並み保存連盟」を結成、昭和53年には町を保存してほしいという陳情から始まり「今井町保存問題に関する総合調査対策協議会」(住民協議会)を作り、昭和63年「今井町街並み保存会」に名称を変更、伝建地区保存条例の制定に結び付けました。その道は住民がもがき苦しんできた汗と涙の成果であり、決して恵まれていたわけではありませんでした。

d0087325_15425190.jpg その後、行政によるハード面での保存が軌道に乗りだすと現在までの第2期が始まります。住民が行政に陳情する受け身の立場から能動的な動きに変わり、イベントの導入と拡大、海外や子供たちへの啓もうと日本文化継承への広がりをめざしています。 (次回につづく)
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by hikonekeikan | 2012-05-13 10:58 | フォーラム

彦根景観シンポジウム2010 彦根・芹橋のまちづくりを考える(2)

特集:彦根景観シンポジウム2010
彦根・芹橋のまちづくりを考える(2) 
    路地がひらく未来の芹橋

 彦根景観フォーラムと彦根辻番所の会は、2010年11月23日、四番町ダイニング多目的ホールで彦根景観シンポジウム2010「彦根・芹橋のまちづくりを考える」を開催しました。

テーマは「路地を生かす」。
シンポジウムに先だち、午前中に芹橋地区に彦根藩時代から残る足軽組屋敷地の路地や辻番所を歩き、さらには足軽屋敷の内部を見学し、急速に変貌していく路地の景観や住宅開発の様子をつぶさに観察しました。

 午後は、山崎一眞彦根景観フォーラム理事長の問題提起に基づき、西村幸夫東京大学大学院教授、青木仁・滋賀大学客員研究員・TEPCO主任研究員、大窪健之・立命館大学教授の3人の講師の講演とその後に約80名の参加者で熱心な討議が行われました。
 今回は、その後半を紹介します。
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歴史地区の住民防災まちづくり(事例報告2) 

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 大窪健之・立命館大学教授は、阪神淡路大震災の経験を教訓に、大規模災害では住民による初期活動が非常に重要なポイントで、住民主体の防災訓練が日常的・継続的に行われる工夫が大切と述べられました。
 そして、この観点から調査すると、国が指定した重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)でも、地区防災計画が策定されているのは全体の半数であり、さらに住民と一緒に計画を作ったのは2地区だけで、行政から住民への一方通行になっている。その結果、いざ住民が初期活動をしようとしても多くの支障が出ると指摘されました。

●図上訓練と発災訓練で課題が明確化
 大窪先生は、重伝建地区である兵庫県篠山市の城下町地区と京都府美山町北のかやぶき集落地区の2地区で、住民と一緒に災害図上訓練と実際の発災対応訓練を行い、そこで浮かび上がった問題点から、住民視点の防災計画と設備整備を検討されました。

d0087325_17404742.jpg 篠山市の例では、住民ワークショップを開催し、災害図上訓練をしたところ、消火栓の水圧低下が起こること、水源としての堀や川に降りる方法や取水の仕方が不明であること、密集した市街地には高齢者世帯が多く、通路がふさがって災害時の避難誘導・救助が極めて困難であるなどの課題に住民自身が気づきました。

 そして、高台への貯水槽の整備や堀や川へのアプローチの整備を行政に依頼するとともに、各戸の井戸を地域で共有する井戸マップを作成し井戸用手押しポンプを復活させる、近隣の若者が多いアパートなどを取り込んだ防災活動を行うなどのアイデアが出され、地域の一体感を向上させ、若者を地域行事に招く取組がはじまりました。

 また、実際に発災対応訓練をしてみると、まちなかでのバケツリレーは5分間続けるのが精一杯で、高齢者の誘導も避難経路が確保できず困難を極めました。この結果、住民自身に災害対応が全くできていないという自覚が広がったと報告されました。

●芹橋の予想される災害リスクと対策
d0087325_17463957.jpg 午前の現地見学に参加された大窪先生は、木造住宅が密集する芹橋周辺でも、地震により発生した火災が延焼すること、路地が閉塞し避難が困難になることの二つのリスクが大きいと指摘されました。

 対策としては、歴史的な水利である芹川と堤防脇水路、井戸の活用をあらかじめ計画しておくこと、路地が閉塞することを想定し、敷地の裏側の庭や背割り水路を横につないで家の後から空き地や駐車場へ逃げられるように小径を準備しておくことなどが考えられるとされました。



地域ルールづくりから始めよう(全体討議)

 講演の後、聴衆から、現代の生活や商売と自動車の必要性、芹橋の観光地化のあり方、市民防災の進め方、具体的なまちづくりの進め方などについて質問が出され、活発な議論がされました。主な質問と回答を紹介します。
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●彦根のような地方都市では、自動車が自宅まで来ないと若者は住んでくれない。路地を広げないと芹橋はますます人口が減る。また、駐車場のない商店街には客が来ないのが現実だが、どう考えるか。

 ○若者が既成の市街地の実家から出て郊外に家を持ち戻ってこないのは、路地があるからというわけではなく、全国共通の傾向でした。しかし、世代替わりとともに高齢化した子ども世代が車に頼らなくても生活できる既存市街地に回帰する傾向が生じています。商店も、人口減少・少子高齢化で郊外の大規模店は採算が悪化し、独自の感性で固定ファンをもつ小さな店が繁栄しています。

d0087325_17541047.jpg 社会の流れは大きく変わってきています。これまでの成功事例や固定観念にとらわれず、未来の視点から芹橋の個性であり強みである街中の立地と歴史資源である路地を生かし、他の方法で欠点を柔軟に補う知恵を出すことが大切だと思います。

小さな子どもを抱えている若い世代は車が必要と思うが、どう考えるか。

○西村 私も狭い道のどんつきに住んでいて、車は100メートル以上離れたところに置いている。車が全く入れないとすごく不便だが、芹橋は何とか車が入れる。そこで長時間止めなくても済むような駐車場が分散的にあって、4、5分ぐらいで行けるのであれば、それほど問題はないと思います。
 不便というマイナス面もあるが、静かだとか、安全だとか、子どもが心配なく遊べるとか、いい面もある。いい面とマイナス面のバランスで考えるといいと思います。

●市民が簡単に使えるような消火栓があると聞いたが、教えてください。
d0087325_17552795.jpg○大窪 易操作性消火栓といいます。ホースの直径が35ミリぐらいで、消防が使う65ミリに対してはパワーは非常に弱いんですが、コックをひねるだけで使え、1基10万円ぐらいまでです。
京都の清水寺周辺地域で震災対策の防火設備を整備する事業で、公設の消火栓と同時に市民用の消火栓を25メートル間隔で置いています。ホースの中にコイルが入っていて、誰でもすぐ使えます。それを普段から使うという考え方で、道路の水まきから車の水洗い、庭木の水まきにまで使っています。
市民用の消火栓を身近なところに設置して、維持管理は地域が担うシステムは、ポテンシャルが高いと思っています。

●芹橋が観光地化し、沢山の見知らぬ人が入ってくると、住民は不安を感じるのではないか。

○観光地化は本来の目的ではないが、芹橋の歴史的資源に磨きをかければ、副次効果として魅力のある街になり、住む人も増えるが見たい人も増える。そうなれば、店をしたい人が地元からも出てこられ、店をしながら住み続ける人も出てくるので、それを一概に否定することはできないと思う。

 問題は変化のスピード。ゆっくりと観光地化が進むのであれば、地域でまちづくりの統一ルールを決めて、良いものを選択し悪いものを排除することは十分可能だと思う。
実際、全くの住宅地が、環境がよくなり少しずつ良い感じの店が増えていって、周りもそれなりに受け入れている所が多くあります。                

●地域でまちづくりのルールを決めようということだが、路地の保全、交通、防災と多くのことが絡み、どこからどう始めればいいのか?

d0087325_1756201.jpg ○芹橋の路地を見ると、塀が道路境界に立ち、少し下がって建物が建ち、それらが連続して美しい景観になっている。足軽屋敷など重要な建物は現状のまま保存しなければいけないが、それ以外は、境界線に塀を立て、少し下がって建物を建て、庭の緑が路地から見える方式でルールが統一されると違和感がなくなる。

この景観ルールを彦根市の地区計画に位置付け、ルールに従って耐震化・不燃化する建て替えであれば、建築基準法42条3項を適用して認める仕組みをつくることは、十分考えられる。

また、電柱も屋敷の裏に移し裏側配線にすれば費用も少なくて済む。同時に裏側で横方向の避難路を確保し、車回しや小規模な駐車場を整備してこれと結べば、交通と防災を兼ねた対策ができる。

こうした防災と交通と景観をセットにしたまちづくりルールを芹橋の小地域で合意できるか、それを行政と一緒に進めることができるかが、今後の大きなポイントになると思う。(終)         (文責:堀部栄次)
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by hikonekeikan | 2011-05-04 17:59 | フォーラム

彦根景観シンポジウム2010 彦根・芹橋のまちづくりを考える(1)

特集:彦根景観シンポジウム2010
彦根・芹橋のまちづくりを考える(1)
     路地がひらく未来の芹橋 

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 彦根景観フォーラムと彦根辻番所の会は、2010年11月23日、四番町ダイニング多目的ホールで彦根景観シンポジウム2010を開催しました。

 テーマは「路地を生かす」。

 シンポジウムに先だち、午前中に芹橋地区に彦根藩時代から残る足軽組屋敷地の路地や辻番所、さらには足軽屋敷の内部を散策し、急速に変貌していく路地の景観や住宅開発の様子をつぶさに見学しました。

 午後は、理事長の問題提起に基づき、3名の講師の講演とその後に約80名の参加者で熱心な討議が行われました。

その主な内容を2回に分けて特集します。



「若者も住みたい芹橋」をめざして
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 冒頭に、山崎一眞・彦根景観フォーラム理事長が、次のように問題提起しました。

 足軽屋敷や幅一間半(2.7m)の路地が残る芹橋地区では、人口が減り高齢化が進んで、くしの歯が抜けるように空き地や青空駐車場が増え、周囲とは異質な外観の建物、自動車を自宅前に駐車する住宅が次々と建てられて、歴史的まちなみと路地の維持が危うくなっている。

 2010年1月、「まちの活性化・都市デザイン競技」発表会が開催され、芹橋二丁目を対象とした「路地を生かす」提案(国土交通大臣賞ほか)が発表された。

 今回は「路地と歴史的まちなみを生かし、同時に若者も喜んで住む芹橋をつくる」ことを課題とし、路地の現代的価値や交通・防災の対応などについて、専門家と住民、関係者で十分に議論したい。

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路地からのまちづくり (基調講演) 
d0087325_21114441.jpg 西村幸夫・東京大学大学院教授は、1月のデザイン競技が、本来不適格とされている道幅4mに満たない路地を生かす提案を取り上げたのは時代の変化を象徴するものだ。 景観まちづくりの近年の動向をみても、身近な景観の価値が重視され、国も特色あるまちづくりを積極的に応援する方向にあると述べられました。

 そして、東京、倉敷、鞆の浦、佐渡などの路地を紹介され、武家地として芹橋に匹敵する路地を持つのは中津(大分県)ぐらいで、塀と屋敷で構成される直線的な路地の構成が武家地の特徴であるとされました。


路地のもつ現代的な価値と意味
 これには、3つの側面があるとされました。
1,レトロとしての路地
 路地は、現代人に懐かしい感覚を起こさせ、人を惹きつける。ビルの中に路地を作り集客に活用するなどビジネスにも利用されている。
 この懐かしさの根本には、路地の人間になじんだスケール感がある。

2,問題提起としての路地
  車中心の広い道が便利ないい道であり、路地は不便で危ないとされる。だが、そこには、自動車が家の前まで来て、ドア・ツウ・ドアで効率的に速く移動するのが良いとの価値観がある。
 一方、路地には人間が歩くことを基本とした空間感覚があり、車中心の空間のあり方に問題を提起している。
  近年は、歩くスピードで楽しみや利用施設が展開するまちが求められている。大阪の法善寺横丁は、火事の後、路地を4mに拡張すれば横丁の雰囲気やにぎやかさが失われると約40万人の署名を集め、元の2.7m幅で再建された。

3,文明論としての路地
  路地は、個性的で、人間中心で、細やかな仕掛けがあり、速度と効率を重視する20世紀自動車文明に対する異議申し立てとなっている。
  人口が減少し高齢化する日本が21世紀型の人間中心社会を目指すなら、車がアクセスする「表」とアクセスしない「奥」をセットで街をつくり、路地と広幅員道路が共存する仕組みづくりが必要になる。
 人同士が会話し住民が協力し合う人間関係を支える空間としての路地はますます重要になる。

路地からまちづくりを計画する
 路地からのまちづくりを計画するには、次の配慮が必要であるとされました。
①各敷地の利用をある程度統一し、皆で合意する。
②路地園芸などのセミ・プライベート(半私的)な空間利用を可能にする。
③地域の個性として路地を位置づけ、行政的に認める仕組みをつくる。
④交通問題の解決。
   路地と路地以外のものを並立・協調させる交通計画をつくる。
⑤防災問題の解決。
   再建された法善寺横丁では、路地の幅は2.7mだが、2階部分は中心線から3m下がり、建物全体を不燃化する対策をした。

芹橋のまちづくりへの期待
 「まちづくり」は、次のような特色があると述べられました。
1,住民がルールを決め合意することを重視する。
2,生活者である住民が、様々な分野の専門家を横つなぎして地域ビジョンをつくる。
3,やる気のある人が率先して実践するので、一定のルールの下でも、内容は個性的で様々な裁量が可能になる。
4,住民はまちづくりの主役であり、それを地域のコミュニティが支える。さらに、まちづくりには、経験を積み常識的な判断ができる高齢層が必要である。

そして、 「路地からのまちづくりは、新しい時代のまちづくりであり、芹橋の取組に期待している」と結ばれました。


現代版・路地のまちと芹橋(事例報告1)
 
d0087325_21125273.jpg 青木仁・滋賀大学客員研究員・TEPCO主任研究員は、脱クルマ時代には、日本型の街の再評価が大切と述べられました。

 日本型の街は、歩くための路地が多く入り、小区画の敷地が集まっている。このため、最小限しか車が入らない中低層のまちなみが形成され、小区画での建物の更新が可能、狭い路地が人間的ななじみやすさを生む、などの特徴があり、東京・目白台のような高級住宅地や、小さな店が多数ならんで歩行者で賑わう裏原宿のような商業地になるとされました。

●現代の路地再生事例・鎌倉に学ぶ
 再生事例では、鎌倉市の路地再生が注目されました。
 道幅4m未満の道は、建築基準法で42条2項道路と呼ばれ、この道に面した建物を建て替えるときは道路の中心線から2m下がることとされています。そこで、鎌倉市では、その下がった部分を道路にせず、塀の設置や緑化を住民に奨め、歩きやすい美しい路地を再生しています。

芹橋のまちづくり基本戦略の提案 
 各地の路地を生かした事例をもとに、芹橋のまちづくり基本戦略を以下の通り提案されました。
①路地の幅員は現状2.7mを維持。
②建物の建替時には中心から2m下がるが、下がった部分は塀や緑地にする。
③敷地はコンパクトな規模を維持。
④小規模・低層の町を維持しつつ、住宅中心から店舗などを誘導して複合化する。
⑤建物は、修復、建替、リフォームなどで不燃化・耐震化を進める。
⑥現状の緑が多い庭を維持する。

 これにより、退職後の団塊世代や個性的な感性をもつ若者の流入で地域を活性化できると述べられました。

                                      (つづく 文責:堀部栄次)
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by hikonekeikan | 2011-04-09 23:40 | フォーラム

歴史・景観・まちづくりフォーラム

歴史・景観・まちづくりフォーラム
会場:夏川記念会館(彦根市京町2丁目)

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彦根の歴史を尊重し、未来への布石となる知恵を話しあうフォーラムを開催いたします。
文化庁の重要伝統的建造物群保存地区とは、どんな制度なのでしょう?
制度を知ることは、大きな意味で徳し、さらに得します。
万が一の災害の時は、日常においては?
地域の個々の財産は、どう守られるのでしょう? いろいろな疑問を解説していただ きます。

渋谷博氏の「彦根今昔」写真展を展示しています。
ゑびす講の写真には、昔の平和堂や高島屋ののぼり旗、にぎわう銀座街。そして、正 木屋の昔の店構え、消えてしまった映画館、懐かしい彦根の写真の数々は、フォーラ ムの中で紹介していただきます。

d0087325_1852781.jpg歴史や景観は、地域の文化です。
育った街の再評価の為、写真も大事な資料です。
古い写真をお持ちの方は、是非、お持ちよりください。
地域を思い出す写真館を作りたいと思います。

PCに取り込んだものをデジタル・アーカイブと言います。
ワークショップで、それらを地図上に置いて見たいと思います。
みなさまのご参加をお待ちいたします。(入場無料)

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2008 年12 月7 日 (日) 
第一回
フォーラム&ワークショップ






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■ 第1 回フォーラム・・・・・開場 10:00・開始 10:30~ 12:00

伝建地区と地域資産の生かし方について   
文化庁文化財鑑査官・苅谷勇雅氏 

彦根の今と昔について その1          
渋谷写真館・渋谷博氏  
   
彦根の歴史まちづくりについて          
滋賀大学・山崎一眞教授

彦根の観光と情報について            
滋賀大学・谷口伸一教授
     
デジタル・アーカイブ事業と地域の今後について  
滋賀県立大学・柴田いづみ教授  

■ ワークショップ・・・・・・・・・・・・・・開始 13:30~ 15:30
歴史を保存するデジタル・アーカイブづくりについて、みんなでできるやり方を実際 にしてみます。
学生と一緒に地域の写真も撮ります。
PCの使えない方も、街の今昔について楽しめます。

講師:NPO 法人基盤地図情報活用研究会副理事長、星稜女子大学・沢野伸浩准教授
     滋賀県立大学・細馬宏通准教授


事業費:内閣府 「平成20年度 官民パートナーシップ確立のための支援事業」
主催:歴史・景観・まちづくりフォーラム、NPO 彦根景観フォーラム
後援:彦根市、滋賀県、彦根商工会議所、彦根商店街連盟、彦根青年会議所、滋賀県 建築士会彦根支部、花しょうぶ通り商店街、LLPひこね街の駅、ACT(滋賀県立 大学学生サークル)
滋賀大学山崎一眞研究室、滋賀県立大学柴田いづみ研究室


問合先Tel:滋賀県立大学柴田いづみ研究室:0749-28-8301
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by hikonekeikan | 2008-12-05 19:32 | フォーラム

第2回 辻番所・足軽屋敷活用ワークショップ

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平成20年8月2日(土)、辻番所・足軽屋敷の活用を考える第2回ワークショップが、彦根市芹橋二丁目に残る辻番所をもつ足軽屋敷で開かれ、約40人が参加されました。
その概要をお知らせします。






d0087325_20293784.jpg ■ 急がれる辻番所・足軽屋敷の修理・保全
    滋賀県立大学 濱崎一志教授(建築)

 足軽屋敷はシロアリの被害がひどく、地震などで倒壊する危険があり、柱の応急補強を行う。
 辻番所も、基礎が腐るなど老朽化が著しく、支柱で支える対策が必要。辻番所は、元の姿を確定してから本格的な修理を行う。
 彦根の城下町遺産として、足軽屋敷、辻番所は極めて重要であり、市が買い取ったあとは、文化財として早急に保存・修理が行えるよう努力したい。



■ 辻番所・足軽屋敷の取得運動と今後の運営
      彦根景観フォーラム理事長 山崎一眞・滋賀大教授

 市民の努力で集まったトラストの寄付金600万円を彦根市に寄付し、市が文化財保護基金を活用して8月中に買い取る。市は、運営は市民とNPOにお願いしたいという意向。
 建物は、元の姿を取り戻すことが優先する。
 その上で、どう運営するのか、地域の皆さんと考えたい。
 さらに足軽組屋敷の保存と芹橋の未来をどう描くのか、「歴史遺産を活かしたまちづくり」を、住民主体で実践してゆきたい。
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辻番所・足軽屋敷の再生キャンペーンの経過(8/31現在)
2007年    8月初旬  足軽辻番所の所有者より売却の意向が伝わる
         9月12日  彦根景観フォーラム理事会で対応策の検討を決定
         10月10日  彦根景観フォーラム理事会で募金活動の実施を決定
         10月31日  彦根古民家再生トラスト呼びかけ人会合
         11月 7日  彦根古民家再生トラスト設立の記者発表
         11月11日  募金キャンペーン開始(街歩きイベント)
         12月 1日  彦根古民家再生トラスト設立総会
                   ~   (募金活動 累計 250万円)
         12月末    彦根市文化財保護基金条例の議会承認
2008年   1月18日  第1回トラスト理事会(市買取案を協議)

         3月15日  第1回辻番所シンポジウム
         3月16日  市長へ市買取の打診(戦国商店街宣言時)
                   ~   (募金活動 累計 500万円)
         3月末     市買取を6月議会提出を決定
         4月 4日    第2回トラスト理事会(市買取・寄付を承認)
                   ~   (募金活動 累計 600万円)
         6月 1日    第2回辻番所シンポジウム(第一回ワークショップ)
         6月 2日    彦根市20年度補正予算で辻番所買取を発表
         6月 7日    辻番所実測調査
         7月11日   辻番所耐震応急対策(8/11~8/22)
         8月 2日    第二回ワークショップ
         8月中      市が辻番所・足軽屋敷を購入


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■ 保存と活用をめざすワークショップ
 芹橋自治会役員や関心の高い人たち約40人で2班に分かれ、活用案と担い手を議論した。

 第一班では、自治会館として、老人会の料理教室、趣味のグループへの貸出、コミュニティ食堂の開設という案と、足軽屋敷記念館として、芹橋の歴史や遺産を紹介し見所をガイドする拠点とする案が示された。  
 担い手は、芹橋二丁目自治会、足軽倶楽部、景観フォーラム等で連合会をつくり、足軽屋敷に「屋敷守」をおき、当面土・日を開放するなどの運営ルールが提案された。
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 第二班では、芹橋の地域的な背景として、高齢世帯、単身老人世帯、空家が多い、小学生が減って従来の地蔵盆ができなくなった、歴史好きな人が多いということから、①歴史講座や手作り甲冑教室などの開催、②地域の古民具、古文書、ひな人形の展示イベントなどの開催をおこなう「芹橋サロン」を開設する、芹橋二丁目の合同地蔵盆をするなどが提案された。
 担い手は、新・足軽倶楽部を、芹橋や市内から会員を募集して組織し、芹橋自治会、景観フォーラムも参加する、建物の管理や活動経費は、当面、助成金などを活用するが、将来的にはボランティアガイドを養成して、地域のガイドツアーを行うなど観光ルールを導入して経費を確保するなどの提案がされた。
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by hikonekeikan | 2008-10-09 20:48 | フォーラム

街なかの道路拡張を止めた 歩いて暮らせるまち、歩いて巡るまち 犬山城下町再生の物語 第1回

(「その時、歴史が動いた」風) 

 こんばんは。
 今夜も「その時、歴史が動いた」をごらんいただき、ありがとうございます。
 さて、今日の「その時」は、2005年(平成17年)3月11日。
 愛知県犬山市で、ひとつの歴史的な決定が下されました。

 それは、城下町のなかに幅16mで計画され、すでに着手した都市計画道路を、それまでの決定をくつがえして、現在の道路幅である6mに変更して整備するという計画変更でした。国が認定し着手までした都市計画道路を実質的に廃止するという、この変更が実現した裏には、実に10年にも及ぶ市民と行政との紆余曲折の歴史と、苦難に果敢に立ち向かった名もなき多くの人々の取り組みがあったのです。
 今夜は、ついに国と県を動かした犬山市民と市役所との城下町再生にかける熱い思いの物語をお伝えします。♪


 国宝犬山城。戦国時代から続く城郭は、国宝4城の中でも最も古い城です。その城下町として発達した犬山市中心部は、現在の都市の骨格図と江戸時代の城下町絵図を重ね合わせると、ぴたりと合う歴史的な町割の残る街です。

 戦後間もない昭和25年、この歴史的な町割を縦横に分断する形で都市計画道路が計画されました。その後、高度経済成長期に突入すると自動車の交通量増加に対応する形で昭和46年に、城前線、本町通線、新町線の3路線が幅16mに拡幅する計画が決定されました。時を同じくして郊外にニュータウンが開発され、駅前や幹線道路沿いに大型店が進出、中心市街地の衰退が始まります。そこで、多くの地方都市は、中心市街地の道路を広げ、人と車の流れをつくり、そこに商業施設をつくれば中心市街地は再生すると考えました。狭い道路の拡幅がまちづくりの切り札となったのです。


 d0087325_0115565.jpg1993年、犬山市でも全国から少し遅れて新しいまちづくりへの動きが始まりました。
 市からの要請で城下町の地区ごとに街づくり委員会が設立され、翌年1994年平成6年には、各地区のまちづくり委員会を総括する組織として「犬山北のまちづくり協議会」が設立されました。これは、犬山城大手から南に伸びる本町通とこれに直交する新町通を幅16mに拡幅することを前提として、新しい城下町風の商業施設を中心としたまちづくりを推進しようという、行政とタイアップした組織でした。

 一方、1984年、名鉄犬山駅裏に大型ショッピングセンターが開業することをきっかけに発足した「犬山の街並みを考える会」の人々は、この道路拡幅によって歴史的な建造物がことごとく消えてしまうことを危惧し、道路拡張に反対を表明、古い町並みを生かして活性化を図ろうと活動を始めます。しかし、古い城下町の人々は、お上である行政に反発はしても結局は依存する保守的な気風で、反対は一部にとどまっていました。

 翌1995年、市長選の争点に一つに道路拡張問題が取り上げられます。そして、激戦の末に、道路拡張派である現職を破って石田芳弘市長が誕生します。
 とはいえ、道路拡幅は選挙の争点の一部に過ぎず、賛成者も多いこと、激しい選挙戦のしこりもあって、道路拡張の流れはとまりません。


 1996年、市長は議会で城下町地区の都市計画道路の事業着手を表明。地元説明会を開催し、住民の合意を得ていきます。一方、「犬山のまちなみを考える会」は、「全国まちなみゼミ」を1996年9月に犬山市に誘致、道路拡幅の是非を、外の目に問いました。

 この「全国まちなみゼミ」で、最初に取り上げられたのが滋賀県彦根市でした。彦根も犬山と同じく江戸時代の城下町絵図が現代の都市の骨格とぴたりと一致する城下町でした。
 国宝彦根城から、まっすぐに南へ伸びる「夢京橋キャッスルロード」。
 ここは、彦根城下町建設の起点となった場所で、築城当時からの幅6mの道路が自動車交通の増加にそぐわないという理由で1985年に工事を開始、幅18m、セットバックを含めると幅20mの道路の両側には江戸町家風の商店が整然とならぶ美しく新しい街が1999年(昭和11年)に完成しました。
 都市景観大賞を受賞したこのまちづくりは、城下町活性化の新しいモデルとして、犬山市で開かれた「全国まちなみゼミ」でも紹介されました。これこそが、犬山市の行政、そして全国の地方都市が目指していた姿でした。


 ところが、思いがけないことが起こります。

 次に事例報告をしたのは、宮崎県日南市の市長でした。日本の伝統的建造物群保存地区制度(1975年)は、1970年代前半、日南市長が城下町飫肥(おび)地区の町並みや飫肥城の復元の為に大規模な運動を行ったのがきっかけとされ、復元された飫肥城大手門、本丸御殿の松尾の丸をはじめ、藩校や武家屋敷通、町並みと合わせて、国の「重要伝統的建造物保存地区」に選定されています。この保存地区でも、1976年から1983年にかけて道路を拡幅した江戸商家群の復元による商店街づくりを、55億円をかけて実施、1984年(昭和59年)「潤いのあるまちづくり」で自治大臣表彰を受賞しています。
 この歴史的空間のデザインを取り入れた大改造、大手術によって美しく再整備された中心市街地は再び活性化するはずでした。

 しかし、市長は「手術は成功したが、まちは死んでしまった」と言ったのです。道路を拡幅し、古い建物を壊して新しい江戸町家風のまちなみに建て替えても必ずしもまちが復活するわけではない、逆にさびれることもあるという事実は衝撃的でした。

結局、全国町並みゼミは、犬山市は道路拡幅をすべきではないという決議をして終わりました。

(つづく)
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by hikonekeikan | 2008-03-30 23:49 | フォーラム

第5回 世界遺産を目指す彦根の課題

世界遺産準備状況報告書

 前回まで、西川先生の講演「世界遺産をめざす彦根の課題」と、市民討論の内容をお知らせしてきました。
 結論としては、①彦根は、城下町を含む「文化的景観」で世界遺産に登録できる可能性があること、②現状は、彦根の目指すべき都市ビジョンがなく大部分の市民は世界遺産をまちの発展のなかに位置づけられない状態である。③外からの目をいかして彦根の魅力を磨く方向を持った「市民と行政の問題解決プログラム(仕組み)」をつくること、④そのことに気づいて実践しているとまちが輝いてくる。普段の暮らしの延長に世界遺産があるようなまちづくりをしていきたい、という市民の提案でした。d0087325_2018477.jpg

 それにしても、西川先生のビジョンといい、市民の皆さんの意見・提案といい、すばらしい。まちは最高の教科書といいますが、私に言わせれば市民こそ最高の「師匠」、「マエストロ(芸術家)」です。「世界遺産がなんなの! 市民には迷惑なだけ」というTさんの意見は、世界遺産が目的ではなく手段であること、究極の目的は市民がまちに誇りをもち、いきいきと暮らせる、彦根の強みをいかした「年輪を刻むまちづくり」であることを教えてくれます。「外からの目を活用した市民と行政の問題解決プログラム」というSさんの言葉も、核心をついています。まちづくりには、具体的な問題がいっぱい出てきます。それを、大局を見失わずにどう解決していくか、よく練られた言葉です。

 まちは生きていて、そこに生きる市民のさまざまな物語があり、その物語はちゃんと歴史的な意味と意図があり、外からの目を活用して、きちんと読み解けば、自分たちのまちの輝きを自覚でき未来を描くことができる。そして、青い鳥が足元にいることに一旦気づけば、まちの美化や歴史イベントなどの普段できることから実践していくことによって魅力的なまちになり、その魅力に魅せられて多くの人と人材が集まり、ますます魅力的になってゆく。 そんなことを教えてくれます。

 ところで、2月29日の新聞に次のような記事がのりました。

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 彦根城の世界遺産登録を推進する方策を考える有識者の懇話会が2月28日、彦根市民会館で本年度最後の会合を開いた。市側は世界遺産暫定リスト記載資産としての準備状況報告書を昨年12月、文化庁に提出したことを明らかにした。
 報告書のタイトルは「彦根城と城下町-大名文化の華ひらく近世城郭都市」。城郭だけでなく城下町なども広く構成資産(コア・ゾーン)に含めた。
 6月末から開かれてきた懇話会での意見を反映。彦根城や佐和山城跡のほか、旧魚屋町や善利組足軽組屋敷、花しょうぶ通り商店街、七曲がり仏壇街といった城下町、高宮や鳥居本といった中山道の宿場町も構成資産として挙げた。
 この日の会合では、長野県松本市からの働き掛けで市が近く共同研究を始める国宝4城での登録案については、委員から「城下町の残る彦根城独自の位置付けにもっと自信を持つべきだ」などと、消極的な意見が相次いだ。
 今後、市は準備状況報告書をもとに構成資産の調査や彦根城の普遍的価値の証明に取り組むとともに「選択肢の1つ」として4城の共同研究にも参加していくという。
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 彦根市が提出した報告書は、私たちの考えと大きな方向(ベクトル)が一致しています。本当にうれしいことです。(ただ、「大名文化の華ひらく」という言葉は「文化的景観」の意味を取り違えているのかもしれません。)
 国宝4城での登録案については、私も疑問を抱きます。姫路城と同じカテゴリーの遺産が他に3つあるから、変更認定で4城を一括して認定するというのは、手法的にはあり得る話です。ただ、この場合は城郭しか視野にありません。手っ取り早く世界遺産になりさえすればよいという意識があるのではないか心配です。(世界遺産は目的ではないというTさんの言葉が身に浸みますね)
 ただ、4城が一緒に検討することには大いに賛成です。近世の城の特色は城下町とともにあったことであり、現在抱える課題も共通しています。そしてそこには問題解決のすばらしいモデルがあることを最近知ったのです。

 きっかけは、福田首相がトップを勤める内閣官房地域活性化統合本部で、今年の1月29日に「都市と暮らしの発展プラン」が承認されたことでした。そのプランの3つの柱の一つに「安全・安心で豊かな都市生活の実現」があり、「地域の歴史・文化・景観を活用したまちづくりの取組例」として彦根そっくりの城下町が取り上げられ、歴史まちづくり法案の提出予定、20年度に歴史的環境形成総合支援事業の創設を盛り込んであることを知ったのです。わが目を疑いました。どう見ても彦根をモデルにしているとしか思えません。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/siryou/pdf/0801hattenplangaiyou.pdf


 ところが、調べてみると、国宝犬山城をもつ犬山市の取組がモデルになっているようだとわかりました。さらに、犬山市では驚くべきまちづくり、市民と行政が紆余曲折のなかから10年がかりで進めている城下町復活の物語が展開されていることもわかりました。

 そこで、次回は犬山市の物語を、NHKの人気番組「その時、歴史は動いた」風に紹介します。世界遺産が地域経済を沈滞させるという疑問にも答えられると思います。題して、♪「街なかの道路拡張を止めた! 歩いて暮らせるまち、歩いて巡るまち 犬山城下町再生物語」♪ お楽しみに (つづく)(By E.H)
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by hikonekeikan | 2008-03-08 20:25 | フォーラム

第4回 世界遺産を目指す彦根の課題

市民討論 世界遺産登録への期待


前回までの西川幸治先生の講演を要約します。

世界遺産の新しい傾向として注目される「文化的景観」とは、一つひとつの遺産が人類共有の普遍的な価値を有していなくても、独特の地域の生活・なりわいを重視して、関連する景観を一体として維持・保全するものに価値を認め、世界遺産に認定するもの。
彦根のように彦根城が単体では世界遺産に認定されにくい状況でも、城郭、大名の居宅や庭園、武家屋敷、足軽屋敷、商人の町家、職人の町家、街道沿いの宿場町、街路や河川、伝統的農家までを一体として「日本近世城下町の社会とくらし」を形づくる「文化的景観」とし、主要なポイントを保全してネットワーク化することで世界遺産への道が開ける、ということでした。さらに、城下町の発展を近江の各地の城跡や琵琶湖の舟運、経済関係と関連づけて歴史的価値を主張できるということでした。

これこそ、彦根の価値を生かし切ったワクワクする構想ですね。



では、市民の皆さんは、彦根が世界遺産を目指すことをどう思っているのでしょうか。

Tさん(男性)
①市が設置している世界遺産の懇談会のことが市民に伝わってこない。市民は、世界遺産になって、何のメリットがあるのか疑問に思っている。
②石見銀山が世界遺産になったが、島根出身の人に聞くと、石見銀山は山があるだけで、遺産としての量は彦根の方がたくさんある。しかし、違うのは市民が銀山を愛していること。太田市は小さな町だが、市民が銀山を誇りに思い、まちなみも含めて一生懸命に守ろうとしている。彦根は、市民が無関心で冷淡である。
③鎌倉も問題は地元の盛り上がりだと言われる。
④世界遺産というが、そのねらいは何なのか、市民は「観光だけが得する」と思い、共感できない。

Oさん(女性)
①アブシンメル宮殿に行った時、地元のガイドに各国政府の保存への貢献を聞いたが日本の名は出てこなかった。多大の貢献をしているのに、PRしていない。外から見たらどう見えるかを意識しないで、内向きの論理ばかりを気にしている。それと同じ構図が彦根にもある。
②早くから彦根の文化的景観の保護と活用を訴えてきたが、彦根城が世界遺産に暫定登録されても市民は知らなかった。彦根城博物館に井伊家の遺産を継承するときも、余計なことをして税金を使うなという反対意見が強かった。どうしても地元の論理が優先され、外からの意見は無視される。
③海外の文化都市との提携の話があっても放置された。機会に対して適切な決定がされないまま、成り行きまかせになっている。
④外からの目を生かして、まちのあり方のビジョンをつくることが必要。都市経営のビジョンや長期構想がないから、未来に向けた適切な対応・選択ができないのではないか。

Sさん(女性)
①わたしも彦根は「外からの目を意識していない」と思う。外から見れば非常にユニークな町である。内に住む人は自分たちの持っている宝に気づいていない。逆に負担感がある、価値がなく早く壊せと思っている。その価値を活かす、市民の工夫次第で活かせるということに気づいてほしい。
②私の印象では、芹橋周辺は、まるで藤沢周平の世界である。
③地元の人は「ないものねだり」で「あるもの」を否定している。本当の自立への道のために、外部を利用した市民と行政の解決プログラムを実施することを提案する。
④イタリアのボローニャに住んだが、市民は古い町に誇りを持っていた。是非、世界遺産のまちの市民の暮らしも見てもらいたい。これまでの意識は変わると思う。

Tくん(男性) 
①大都市の新興住宅地で育ったので、学生時代に、教科書に載っている歴史のある町・彦根に来て感激していた。だが、学生時代は町中はわからなかった。
②彦根市民には、彦根の古いモノ、歴史を誇りたいという意識と、近代化への遅れ・都会と比べて田舎だという劣等感が混じっている。しかし、自分からまちづくりにのりだすのではなく、彦根はダメだという。ダメな原因を古い町や市民気質のせいにしてすべて他人が悪いとする傾向がある。

Tさん(女性)
①生粋の彦根生まれ、彦根育ち。世界遺産には疑問がある。
②以前に彦根城を世界遺産にするため、滋賀大学の教員住宅(ボーリス建築)を壊すという市の説明があった。そんなことまでして世界遺産にする価値があるのか、観光業者がもうけるだけで、市民は迷惑だというのが私の正直な感情。
③世界遺産は、町の発展を阻止する。生活の向上を否定する。多くの人は、世界遺産になると、不動産価値が下がるとか、住宅の建て替えができなくなるとか、市の税金を城ばかりにつぎ込んで、さらに世界遺産かと思っている。

Nさん(男性)
①彦根に住むとき、「彦根は人間がむずかしい」と反対された。
②彦根の市民性は、一言で言うと「ずるい」。人に仕事を押しつけて自分は何もしない。地域の役職を新住民にさせ、文句をいう。出る釘があればみんなで足を引っ張る。非常に利己的で小市民的。もっと大きな目を持って協力しないと共倒れになる。
③市民は、彦根を遅れたダメな町という。自分は違うが、周りが悪いのでよくならない。周りが変わらなければ自分だけ損をする。行政がやってくれないのに、なんで自分がしなければならないのか、という気質だ。本当に市民の目覚めが必要である。

Kさん(男性)
①彦根は古くて汚くて住みづらい町。そして、交通の便も悪く道も狭いどうしようもない商店街だと思っていた。しかし、外からの目でみると魅力があることがわかった。ちょっと磨くと、きらっと光る町になる。NPOや学生と一緒に歴史の掘り起こしやイベントなどを楽しんでいると、人の交流がうまれ、まちが輝いてきた。一歩踏み出せば、普段の生活の延長が世界遺産になるのではないかと思っている。


要約すると、次の4点になります。
①現状では、彦根市民は世界遺産に対して無関心もしくは冷淡である。
②彦根は何を大切にし、どんなまちにしたいのかという長期ビジョンがないから、世界遺産もまちの発展の中に位置づけられない。
③「しがらみ」と他人の足を引っ張る偏狭な市民意識がある。
④外からの意見をいかす形で、市民と行政の課題解決プログラムが必要である。


 私は、③の市民意識は400年祭の成功で大きく変わったと思います。情報を公開し、市民事業を公募したことで「私から」という意識がうまれ、みんなで400年祭を盛り上げよう、楽しもうという一体感と、できたという成功体験が大きな自信につながったと思います。そして、Kさんのように、外から見た人々の意見に耳を傾けると、探していた「青い鳥」が実は足元にいたんだ、ということに気づく人が出てきました。
これは、私が彦根にきたフランス人の言葉を聞いたときの驚きと同じです。「東京には神がいない。彦根には神が宿っている。」
 
「青い鳥は足元にいる」という気づきが彦根を変えると、私は信じています。(By E.H)
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by hikonekeikan | 2008-02-29 00:49 | フォーラム