NPO法人 彦根景観フォーラム

カテゴリ:談話室「それぞれの彦根物語」( 118 )

談話室「それぞれの彦根物語」2011.11.12

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by hikonekeikan | 2011-11-22 16:22 | 談話室「それぞれの彦根物語」

それぞれの彦根物語86 ~寺子屋力石家・罹災史料の保存に向けて~

 焼失した寺子屋「力石家」史料から、
          彦根藩の寺子屋の実態をさぐる

     『それぞれの彦根物語』11月号


◆NPO法人彦根景観フォーラムでは、ひこね街の駅「寺子屋力石」で、
  毎月第2土曜日の午前中に、《談話室》を開いています。
◆「それぞれの彦根物語」を話の種に、みんなで語り合い、彦根での楽し
  みごとを共有し、より充実した生活につなげようという企画です。
◆どなたでも、自由に参加できます。一緒に彦根の物語を楽しみましょう。
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【会場】ひこね街の駅「寺子屋力石」(彦根市河原2丁目3‐6花しょうぶ通り)

【彦根物語86】 平成23年11月12日(土)10:30~12:00

罹災史料の保存に向けて
   ~寺子屋力石(ちからいし)家伝来史料~
 

          堀井 靖枝
        (滋賀大学経済学部附属史料館)


 今年1月2日の夕刻、彦根市河原町花しょうぶ通商店街で江戸時代から現存する稀少な寺子屋建築が焼失しました。 この寺子屋力石で罹災した力石家史料について、その概要と今後の保存に向けてのお話しをいたします。
 江戸時代後期、力石家八代目弥左衛門(1716~1788)は現在の河原町に隠居・分家し、寺子屋としての歴史がはじまりました。 罹災史料は主として寺子屋時代の教科書類や、明治以降に営まれていた表具商に関係する夥しい数の日本画の習作・下絵類でしたが、それらとともに、昨年夏にご当主が発見された未調査の「手跡指南職」株仲間の史料がありました。

 1796年、彦根藩主井伊直中は城下町民の教育向上を図り、12名の寺子屋師匠に「手跡指南職」を命じ株仲間組織としました。力石家は終始この職にあり最後の総代を勤め、年番で持ち回りする大切な株仲間史料が同家に残されたものと思われます。

 江戸時代の彦根城下での寺子屋の実体を撮影史料を交えて紹介し、あわせて罹災史料の救出から保存までの写真により保存修復について皆さんのご理解をいただけたら幸いです。
                                                (堀井 靖枝)

コーディネータ: 山崎 一眞 (NPO法人彦根景観フォーラム理事長)

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火災後に再興にむけて動き出す寺子屋力石。中央は再興応援ソング「前へ前へ」を歌うcifaさん(2011年2月)
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by hikonekeikan | 2011-11-09 00:25 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2011.9.3

【彦根物語84】
 「聖なる石に出会う旅」


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須田 郡司
(写真家・石の語りべ)


 日本や世界各地には古くから伝承や伝説を持つ石、景勝地としての奇岩怪石、アニミズムを感じさせる様々な石の世界があります。私は、人と関わる石・巨石をテーマに10数年間、撮影・取材をする旅を続けています。古くから日本には磐座(いわくら)と呼ばれる、神の依り代となる聖なる石、また石神、岩神などと石や岩そのものを信仰されるものがあります。磐座の定義は難しいので、私はこれらを合わせて「聖なる石」と捉えています。
 夏至の日、千葉県市川市から滋賀県彦根市に転居しました。もともと関西地方に住みたいと思っていたのですが、妻の母親が彦根市の稲枝出身ということもあり、ご縁があって彦根市に住むことになりました。
私が初めて彦根を訪ねたのは、約20年前の1991年5月28日です。その時、彦根港から船で琵琶湖に浮かぶ岩の島、多景島に上陸したのですが、その時、高さ10mもの題目岩が印象的でした。想えば、その時のご縁から今、彦根にいるのかも知れません。
 石・巨石の魅力は、地域にあって過去と未来をつなぐ、歴史や信仰、祭りがあることや、自然そのもの造形美などが人々に感動を与えることだと思います。
 私はこれから琵琶湖周辺の石・巨石を巡りながら、各地で「石の語りべ」活動を展開する『琵琶湖キャラバン』なるものを展開したいと考えております。
 「寺子屋力石」の石つながりで、「石の写真展」をさせて頂きありがとうございました。

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       多景島


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       多景島の題目岩


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       腹痛石


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       メンナントール イギリス


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       烏帽子岩


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       日吉大社の金大巌


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       地蔵岩 三重


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       イースター島の石笛を吹く須田さん



【キーワード】
聖なる石
磐座(いわくら)
石神
岩神
石の信仰
多景島
腹痛石
石の語りべ
琵琶湖キャラバン
寺子屋力石
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by hikonekeikan | 2011-09-21 17:18 | 談話室「それぞれの彦根物語」

それぞれの彦根物語82 「感動の軌跡」 中村一雄さん

感動の軌跡
―未来に残したい琵琶湖と彦根の情景-


中村一雄さん(写真家、彦根写真連盟会長)

           2011年6月25日(土)10:30-12:00  ひこね街の駅「寺子屋力石」

d0087325_23152096.jpgゆるぎない構成力 
 遙かかなたの暗い雲間に、いま、まさに夕陽が落ちようとして、オレンジ色の最後の光線を送ってくる。一日の終わりを知った一羽のシラサギが、両足と首を前に傾け手前の枝先にとまろうとしている。最後の浮力を得るために大きく弓なりに拡げた白いつばさ、その一枚一枚の羽をオレンジ色の光が透過して、緻密な重なりが浮かびあがってくる。

 中村一雄写真集「感動の軌跡」に掲載された「羽ばたく」と名づけられた作品だ。夕陽の逆光と周囲の暗さのなかで羽ばたく鳥を撮ることは難しい。中村さんの技量の高さがよくわかる。

 写真にはこれが正解というものがない。感じ方は人それぞれだ。私が中村さんの写真から感じるのは、厳密な構成力と渋い色調だ。鮮やかな桜や蓮の花さえ、どこかに渋い色味を隠している。そして古典クラシック音楽のように、主景と背景、添景がこれ以外にないというはりつめた緊張感で組み立てられていて、揺らぎがまったくない。
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写真集「感動の軌跡」 
 中村一雄さんは、彦根生まれ彦根育ち。カメラとの出会いは、昭和22年旧制中学時代で、63年のキャリアを誇る。日光写真に物足りなくなった中村少年だったが、当時はカメラは高級品だった。ある日、通学途中のカメラ屋の店先にドイツ製の蛇腹の中古カメラを発見する。さんざん迷った末に父親に相談すると、驚きしばらく考えてから了解してくれた。250円だった。それ以降、社長や医者に混じって学生服の中村さんが撮影会に参加し、コンテストに次々と入賞。大阪、京都に通勤しながらの活動であったが、市美術展、県展に入賞、昭和42年には日本フォトコンテストなどに応募し、年度賞を受賞した。ここで中村さんはプロにはならず、仕事を続けた。そして定年5年前から再び写真に熱中しだし、定年後は写真に専念した。
 その集大成として平成14年、70才で写真集「感動の軌跡」を出版した。
 
 談話室では、「感動の軌跡」から約100枚の写真を紹介された。
 主体はびわ湖の野鳥、それもシラサギだ。「群舞」と名づけられた写真は、河口部に群れ飛ぶ鳥を「流し撮り」で背景をぶれさせ、さらに一羽一羽の羽ばたきの軌跡をも写し込んだ驚異の作品だ。その他にも中村さんが全国各地で撮影した美しい風景写真が次々とスクリーンに映され、100枚があっという間のように感じられた。
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ふるさと彦根への提案
 中村さんは100名を超える会員をもつ彦根写真連盟の会長であり、撮影会で全国の美しい風景を見てきた。また写真教室の講師として多くの人を指導し、写真展の審査委員としても沢山の作品をみている。その経験に照らしても「びわ湖ほど美しく、自然と人の営みがそろった所はない。びわ湖の朝焼け、夕焼けとその中での鳥たちの営みに魅せられ感動して10年以上写真を撮り続けてきた」という。

d0087325_23341970.jpg ところが、彦根のまちは撮りにくい、写真的な面白味に欠けるという。彦根城は立派だが、撮影する場合は視点が限られる。木や建物、電柱が邪魔したり、背景が美しくない場合が多い。さらに、写真撮影の要点は、主役+脇役+背景をそろえるということだという。
 この観点から中村さんはいくつかの提言を市にしてきた。例えば、旧市民病院跡の駐車場に展望台をもつ美術館をつくり彦根城と城下町を高い角度から見られるポイントにする、住友セメント工場跡地に花木を植えて花見山にして写真家達を誘致することで観光の促進を図る、彦根城の堀に蓮や花しょうぶを植えて屋台舟で巡れるようにしたり彦根城に上れない高齢者のために人力籠を導入したりして新しい脇役をつくるなどだ。

 参加者からも、彦根城やその周囲の写真が木や電柱などで撮れなくなったという声が上がった。文化財を保護するだけではなく、観る人の視点も考えた幅広い観点がまちづくりには必要だ。


仮説を持って写真を撮る
 最後に、中村写真の神髄と私が考えるキーワードを紹介しよう。それは、「仮説をもって写真を撮る」という言葉だ。中村さんは、この一瞬のために膨大な時間をかけて現場に通い詰める。鳥の行動を予測し、ここにきたらこの光でこの一瞬を撮ると頭の中で思い描く。そうして待っていると、不思議にも予想通りに鳥が行動してくれるという。

 後日、別の要件で中村さんを訪ねたとき、キャプションのことが話題になった。私が、写真のテーマを表現するキャプションはできあがった写真をみて考えるのですかと聞くと、中村さんは、「そういう時もありますが、いい写真は先にキャプションが浮かんできて、それに合うように写真を撮るのです。」と答えられた。意外な答えだったが、同時にこれが中村さんの写真術であり、生み出される作品の美しさの本質だと納得した。        (文責:堀部栄次)

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by hikonekeikan | 2011-07-16 22:48 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2011.6.25

【彦根物語82】
 「感動の軌跡―未来に残したい琵琶湖と彦根の情景―」



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中村 一雄
(アマチュア写真家、彦根写真連盟会長、彦根文化連盟会長、滋賀県写真家協会副会長、滋賀県写真連盟副会長)


 日本一の湖、琵琶湖に接する水と緑と歴史の町、彦根に生まれ育ち、写真を撮り続けて63年。四季を通じての琵琶湖の美しさに魅せられ、そこに生息する野鳥達の姿に興味をもち、長年琵琶湖に通い続け、数知れない多くの感動の光景をカメラに収めて来ました。平成13年には70歳を迎えると共に、その年に彦根市文化功績者として表彰の栄に浴しましたので、これを機に写真人生の一つの区切りとして写真集の作成に取りかかり、平成14年に中村一雄写真集「感動の軌跡」を出版致しました。この写真集は、琵琶湖(特に湖北)とその周辺の写真でまとめた第1部「湖風」(うみかぜ)と、私が国内を旅して撮った写真を四季に分けて編集した第2部「四季のふれあい」の2部門で構成しております。
談話室では、これらの写真の中から約100点を抜粋し、その時の状況や撮影の思いを交えて話をしました。そして、彦根写真連盟の撮影会活動などを通じて全国各地の美しい情景を見てきた経験から、彦根城やお堀だけでなくその周囲の景観や風物もきちんと整えて本当の魅力をより向上させ、全国の写真家たちがファインダーをのぞいて感動する情景を創造し、季節ごとに何度も撮影に訪れたくなる「フォトまちづくり」を提案させていただきました。

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写真の紹介

【キーワード】
琵琶湖
写真人生
写真集
湖風
四季のふれあい
彦根写真連盟
フォトまちづくり
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by hikonekeikan | 2011-07-11 11:24 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2011.5.14

【彦根物語81】
 「幻の名窯湖東焼
―絹屋窯、藩窯、山口窯から、まからずや湖東、再興湖東焼まで―」

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中川 一志郎
(陶芸家、NPO法人彦根景観フォーラム会員)


湖東焼と言う名前を聞けば名品・高級品という認識を持たれる人は増えてきた。
しかしながら、どんな焼き物かと問われると説明出来る人はほとんどない。まず特徴からいうと「青みを帯びた素地に繊細な絵付けが施された上品な作品が代表である。究極の職人技ともいえる、それらの作品が『幻の名窯』と呼ばれる湖東焼の名声を作り上げたのは確かである。しかしながら、それらは湖東焼の名品の一部にすぎない。湖東の銘が入って無い雑器類が窯の商業ベースを護っていたのも事実である。
桜田門の変の後、廃窯となりさまよう職人達。大半は出身地である産地へ戻った。当時、窯頭であった幹山伝七は清水焼へ移った。共に付いて行った職人「奥村松山」は後(明治から大正期)に、彦根で焼かれた『まからずや湖東』の祖先である。明治末頃に「湖東」の銘を入れた贋物が多く造られた。これは名品の証といえる。昭和になってから松山の子孫である『奥村宗山』が細々と湖東焼を護っていた。他にも湖東焼に想いを馳せて復興を夢見た人達がいたようである。
今、そんな想いを持った仲間によって「NPO法人湖東焼を育てる会」が発足して、伝統を守り次世代に繋げようと活動している。湖東焼は彦根の誇れる伝統文化です。

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湖東焼窯元 一志郎窯


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藩窯期の安政2年(1855)に彦根藩普請方が作成した茶碗山の窯場絵図


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湖東焼窯跡


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湖東焼年表


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NPO法人湖東焼を育てる会

【キーワード】
直弼・絹屋半兵衛・楽焼・まからずや湖東・幹山伝七・奥村宗山・鳴鳳・幸斎・自然斎
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by hikonekeikan | 2011-05-30 17:57 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2011.4.16

【彦根物語80】
  「大橋利左衛門 ―荒神山に木々を再び」   
 
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寺村 二三夫 (元高校教師)

 寺子屋力石の再オープンの平成23年4月16日、再生の物語として「大橋利左衛門」について話をしました。きっかけは「こんきくらぶ」3月号の巻頭特集として取材を受け記載された記事です。大橋利左衛門氏は彦根の南部に位置する日夏という農村地帯に生まれ、明治の初めの激動期に先見の明を持って地域の発展に貢献した若き政治家です。嘉永5年(1852)に生まれ、明治21年(1888)37歳で亡くなられますが、明治11年には荒神山の造林計画を立て、山林保護規則を設けて禿山を緑の山に再生させます。明治13年には県会議員・村会議員・自由民権運動にも参画します。明治18年の水害の時には戸長として田の排水事業を実施、明治20年には連合戸長として中仙道と朝鮮人街道を繋ぐ道路の工事を施行します。
 談話室では最初に、江戸時代から明治に変る激動期にこのような若き政治家を生んだ背景について考察しました。次に郷土史「日夏の歴史」の発行に際して発見した古文書をもとにして、寛永6年(1629)の草場問答、宝暦8年(1758)の山論、江戸時代末の山林保護の取り組みを基にして、禿山になった経緯を考察し、利左衛門氏の取り組みについて紹介しました。最後に明治13年の最初の村会の延べ13日・271ページに及ぶ議事録や議事堂の新築など地域の人たちと共に考え、取り組まれた地域づくりの実践について考えました。このことは現代にも通じる課題であると考えます。

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唐崎神社の森(手前は宇曽川)

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大橋利左衛門顕彰碑

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宝暦8年10月の山論の絵図

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荒神山の城山(手前は荒神山公園)

【キーワード】
荒神山
禿山
草場問答
山論
湖東移民
留山
排水事業
水害
年貢率
戸長
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by hikonekeikan | 2011-04-30 11:23 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2010.12.18

【彦根物語79】
 「虫喰った野菜はおいしいって本当なの? 
     ~ おもしろ、なるほど 野菜の話 ~」

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  児島 久三  (滋賀県湖東農業農村振興事務所農産普及課 参事)


知っているようで知らない、野菜に関する様々な話です。
例えばベジタリアンを菜食主義者と云いますが、ベジタリアンは野菜だけを食べている訳ではなく、穀物、いも類、豆類、木の実なども食べますから、植物食主義者と云うべきでしょう。
 世界には珍しい野菜もあり、スイートコーンの黒穂病胞子を食べるウイトラコーチェ(メキシコ)なんてものもあります。日本の野菜は世界一おいしいのですが、世界一作りにくいのです。それでも、ヒトにとって野菜は消化のよいものではなく、吸収されるカロリーもそんなに高くないと思います。キャベツを食べて成長するアオムシ(モンシロチョウ幼虫)なんて、全身が消化器官みたいなものです。
 よく、アンケートなどで「野菜を選ぶ基準は何ですか」との設問に、「鮮度」が上位に来ますが、野菜にとって鮮度が最重要なのでしょうか。確かにビタミン類は時間が経つと減少しますが、ビタミン不足の人ならともかく、ビタミン不足でない皆さんに重要でしょうか。煮炊きなど、生で食べない場合なら食感にそんなに差はないと思いますが、いかがでしょう。「冷蔵庫で食品を腐らす日本人」と魚柄仁之助さんが書いた新書もありますが、そんな人も多いのではないですか?鮮度もほどほどに、量を食べて欲しいです。
 野菜も虫に喰われたくありませんから、野菜なりに抵抗しています。少々喰われた程度ならいいのですが、レース状にされたキャベツの葉はちょっと辛く感じます。
 また、農薬の残留基準とは健康に影響の出る基準ではなく、毎日、一生食べ続けても影響のない基準を示したものです。基準をオーバーする食品を流通させないよう保健所などで検査していますが、基準オーバーは滅多にありません。基準オーバーの野菜を少しでも食べたら、あたかも健康被害が出るかのようなマスコミ報道は感心できません。

                             
 スイートコーンの黒穂病
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 黒穂粒の煮付:食べてみましたが、それほどおいしくなかった。
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【キーワード】
野菜 ベジタリアン 黒穂病胞子 世界一 キャベツ モンシロチョウ 鮮度 生食 ビタミン類 残留農薬基準  
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by hikonekeikan | 2010-12-27 17:46 | 談話室「それぞれの彦根物語」

それぞれの彦根物語79のお知らせ

【彦根物語79】
   【日 時】 平成22 年12 月18 日(土)10:30~12:00
   【会 場】 ひこね街の駅「寺子屋力石」

虫喰った野菜はおいしいって本当なの?
         ~ おもしろ、なるほど 野菜の話 ~
 

   児島 久三 (滋賀県湖東農業農村振興事務所農産普及課 参事)

 農業改良普及員(県職員)として長年、野菜の生産者に対する栽培指導に携わってきたことや、自分でも野菜を作っている経験から、野菜のよもやま話をさせてもらいます。
 旬、鮮度、害虫、野菜の抵抗、農薬、諺などなど、今までの視点とはひと味ちがう野菜の話しです。
 彦根ならではと云うものではありませんが、松原や長曽根にも触れてみたいと思います。

コーディネータ: 山崎 一眞
     (NPO法人彦根景観フォーラム理事長、滋賀大学地域連携センター特任教授)
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by hikonekeikan | 2010-12-12 20:52 | 談話室「それぞれの彦根物語」

郷土史家たちの奮闘の物語

【彦根物語78】   平成22年11月20日(土) 10:30-12:00

長野主膳の志賀谷「高尚舘」と志賀谷村領主水野氏      谷村潤一郎さん (柏原宿古文書を楽しむ会) 

 運送会社の倉庫前に残る四角い土地。そこだけ草木が雑然と茂り、倉庫への出入りを邪魔している。倉庫会社に尋ねるとどうしても売ってくれないのだという。
 この土地が、今回の彦根物語の主人公、谷村潤一郎さん達が突きとめた長野主膳の志賀谷「高尚舘」跡だった。

郷土史家たちの奮闘 
 谷村潤一郎さんは、米原市在住だが、旧制彦根中学の卒業生で滋賀大学経済学部に学び、銀行の彦根支店にも勤務したことのある彦根通だ。
 退職後、米原市の地元有志でつくる「柏原歴史館ふれあい友の会」の一員として柏原宿の歴史を調べていたが、長野主膳の門弟 巌佐由子(いわさよしこ)の文書に多数の長野主膳と妻たきに関する文書が含まれているのを知る。そこから、市場の三浦北庵と志賀谷代官阿原助大夫が長野主膳の「高尚館」立ち上げに尽力したことを掴むが、決定的な史料がない。阿原代官の菩提寺と掛け合い関係する寺を調べ阿原家子孫にも会って、ようやく概要をまとめ、平成14年に柏原宿歴史館で企画展「志賀谷高尚舘・長野主膳義言と柏原宿の門人巌佐由子」を開催した。
 そして、これが機縁となり、平成16年に阿原家の子孫から、平成19年には分家の孫四郎家子孫から計1,300点余りの文書を預かることができ、解読の結果、ついに通説を覆す事実を発見した。
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高尚館跡の発見と領主水野氏の系統
 長野主膳義言は、幕末の大老井伊直弼が心酔し、志賀谷から家臣として彦根に招いた国学の師である。直弼の懐刀として安政の大獄での攘夷派の摘発や公武合体策などの朝廷工作に活躍したが、桜田門外で直弼が暗殺されると急速に支持を失い、最後は彦根で斬首された。長野が近江に入り刑死するまでの21年間のうち前半の12年間は、志賀谷の相楽院で国学塾「高尚館」を開いていたとされる。また長野を庇護した志賀谷村の領主は、紀州藩の筆頭で附家老の新宮城主水野土佐守であるとされていた。

 ところが、谷村さん達は、阿原代官文書から阿原家の家系や代官屋敷絵図とともに、国学塾「高尚館」の平面図と場所が特定できる地券書を発見した。さらに天保期と思われる志賀谷村絵図で相楽院が高尚館とは別の場所にあったことを確認し、高尚館と相楽院は別の建物だと断定した。
 さらに、谷村さん達は、紀州藩志賀谷村領主の水野氏は、新宮城主水野土佐守ではない分家の系統の水野家であることも系図から確認した。

歴史的発見の魅力  
 こうした発見は、歴史のベールに覆われていた事実が明らかになる爽快感がある。しかも、新たな解釈や仮説を生む。
 参加者からは、天保12年11月に市場に三浦北庵を頼って来た出自不明の国学者が、翌年2月には志賀谷村に移り、代官の絶大な支援の元に高尚館や本居宣長を祀る神社などを次々に建てていくことができたのはなぜかという質問があった。谷村さんは、長野は紀州藩が彦根藩に送り込んだ工作員だったという説を紹介した。紀州徳川家は幕府将軍職を獲得するため、重大な影響力を持つ彦根藩を抱き込む作戦を立て、素性を隠して長野を送り込んだ。この策は、紀州藩出身の第14代将軍家茂の擁立となり、みごとに成功したというものだ。

えたいの知れない魅力 
 一方、私には、谷村さんの探求の物語(ストーリー)展開が魅力的だった。「能」の物語の基本構造と似たものが、谷村さんの物語に感じられた。
 能では、すぐにはそれとはわからないが得体の知れない人物が登場し、やがて本性をあらわし、ぼんやりとした歴史のベールを上げ、時間の壁に穴をあけて、その地に生きて死んだ人の思いを打ち明け、舞を舞う。終わると再び時間の霧のかなたに消えていく。
 谷村さんの物語も、運送倉庫前の土地にはじまり、えたいの知れないものの魅力に導かれているようだった。振り返ってみると、この種の物語の材料は、近江には当たり前に存在する。すぐにそれとはわからないが、やがて本性をあらわす「えたいの知れない」魅力。この近江の魅力に「はまった」人が、司馬遼太郎や白州正子かもしれない。
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地元情報のクリエイティブな価値 
 現代は、圧倒的なマスメディア優位の時代であり、「地元の情報」が継承されない。
 今回の例をみても、地元ではすでに情報は失われており、もし阿原家文書が日の目を見ることなく失われていたなら、もし谷村さんたちの粘り強い解読がなかったなら、長野主膳の志賀谷「高尚舘」は歴史のベールに覆われたままだっただろう。
 「歴史的事実の発見は、結局はそれだけではないか。それで現在や未来が変わるわけではない」という人もいる。だが、よく考えてみると、過去を生かすのは、現在の人次第である。地元の情報を失うことは、過去、現在、未来をつなぐ地域の文化や文化を生む人間のアイデンティティの問題と深くつながっているのではないだろか。
 この歴史的発見を契機に、長野主膳が化身して我々に世の無常を告げてくれるクリエイティブな作品が作られるかもしれない。さらに展望すれば、日本経済が「クリエイティブ経済」の色彩をますます強くする中で、地元の情報と文化は、地域の重要な資源になるだろう。
 谷村さん達には、これからも大いに活躍していただきたい。(By E.H)
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by hikonekeikan | 2010-12-12 20:38 | 談話室「それぞれの彦根物語」