NPO法人 彦根景観フォーラム

カテゴリ:談話室「それぞれの彦根物語」( 118 )

《談話室》それぞれの彦根物語2010.11.20

【彦根物語78】
 「長野主膳の志賀谷「高尚舘」と志賀谷村領主水野氏」    
 
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谷村 潤一郎  (柏原宿古文書を楽しむ会代表)

 私の地元米原市柏原は中山道柏原宿で、平成10年創立の柏原宿歴史館があります。

 長野主膳の門人は近隣では柏原宿が一番多く、その中で長野主膳夫妻は巌佐由子とは家族ぐるみの付き合いで、主膳夫妻の文書が非常に沢山出て来ました。巌佐家文書を軸に企画展「長野主膳と門人巌佐由子」を開催しました。

 これまで主膳の志賀谷時代の状況は、主膳自作の「長野家譜略・授業門人姓名録」と京都金福寺住職小関魯庵「幕末秘録」がごく一部の記述だけ、私の企画展図録は、その空白部分を埋めた最高唯一の作品だと自惚れていました。とこらが企画展後、志賀谷村阿原代官文書との出会いで、定説を転用した2箇所が誤りであったことに気がつきました。

 相楽院が高尚舘の場所でなく、相楽院は阿原代官屋敷の近くにありました。今一つ志賀谷村領主は有名な紀州藩付家老の新宮城主水野氏でなく、別人の家老水野氏でした。しかし明治の地券証で高尚舘の場所の確定が出来、建物平面図や桜根(本居宣長)神社勧請許可証の発見もありますので、企画展図録誤記の訂正と併せご報告いたします。
                             
「高尚舘」跡地
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阿原代官所有地内、「高尚舘」敷地
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和歌山市史挿絵 (志賀谷村領主「水野太郎作」家)
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志賀谷村領主「水野太郎作家」略系図
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【キーワード】
長野主膳
高尚舘
巌佐由子
阿原助大夫
水野太郎作
新宮城主水野氏
金福寺住職小関魯庵
桜根神社
中山道柏原宿
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by hikonekeikan | 2010-12-10 17:30 | 談話室「それぞれの彦根物語」

それぞれの彦根物語 11月20日のお知らせ

ひこね街の駅「寺子屋力石」 《談話室》   2010.11.20

 NPO法人彦根景観フォーラムでは、ひこね街の駅「寺子屋力石」で、土曜日の午前中に、 《談話室》を開いています。「それぞれの彦根物語」を話の種に、みんなで語り合い、彦根での楽しみごとを共有し、より充実した生活につなげようという企画です。


【彦根物語78】
「長野主膳の志賀谷「高尚舘」と
             志賀谷村領主 水野氏」

   谷村潤一郎さん (柏原宿古文書を楽しむ会)

【日 時】平成22年11月20日(土) 10:30-12:00
【会 場】ひこね街の駅「寺子屋力石」
     (彦根市河原2丁目3-6 花しょうぶ通り TEL=0749127-2810)

 長野主膳義言が、近江入りして彦根で斬首されるまで21年間でした。そのうちの12年間が国学塾を開いた志賀谷(米原市)相楽院時代であり、また主膳を庇護した志賀谷村領主は、紀州(和歌山県)新宮城主水野土佐守である。これが通説です。

 ところが、平成14年に開催した柏原宿歴史館企画展「志賀谷高尚舘・長野主勝義言と柏原宿の門人巌佐由子」が機縁で、その2年後、阿原代官家・分家の庄屋両家ご子孫から計1,300点余りの所蔵文書をお預かりできました。この所蔵文書から明らかになった表題2項目での新発見と通説への異論を報告したいと思います。

コ-ディネ一夕:山崎一眞(NPO法人彦根景観フォーラム理事長、滋賀大学特任教授)

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【彦根物語77】 「中世の笑い -フランスのファルス(笑劇)の世界と狂言の世界-」   
           小澤 祥子さん(関西大学フランス文学博士) 10月16日(土) 
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by hikonekeikan | 2010-11-14 23:23 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2010.10.16

【彦根物語77】
「中世の笑い ―ファルス(笑劇)の世界と狂言の世界―」    

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小澤 祥子
(関西大学文学博士)

 彦根に初めて来たのは昭和40年12月です。早大の学生劇団に所属していて、新しい市民会館で「夕鶴」をするためでした。演出をしていた人が彦根東高出身だったのです。吹雪の中、まだ木造だった駅からまっすぐの鄙びた道を歩いて市民会館へ行きました。岩手出身の私には、こんな南で雪が降るとは驚きで、また、赤い紅殻格子の町並みがとても印象的でした。その彦根に17年間(昭和49年から平成3年まで)住むようになるとは夢にも思いませんでした。今は秦荘に住んでいますが、20年前にボランティアグループひこね国際交流会VOICEを結成し日本語教室等で活動を続けているので、私の活動の基盤は今でも彦根です。
大蔵流狂言の稽古も彦根で受けていて、彦根城で発表することもあります。その仲間達と3年前から城西小学校の6年生に狂言を教え、卒業発表のお手伝いをしています。素晴らしい彦根城博物館の能舞台を踏める子供達は何と幸せなことだろうと思います。
この狂言の中で、『濯ぎ川』という人気の高い戦後の新作狂言が、中世フランスのファルス(笑劇)からの翻案(飯沢匡)だということを知り、関西大学で学んで博士論文『中世フランスのファルスと狂言の比較』を2008年に書きました。「彦根物語」のお話があったときは、直接彦根の町とは関係のないファルスと狂言で大丈夫だろうかと躊躇しましたが、当日は『濯ぎ川』の実演などして、とても楽しく発表できました。日本とフランスは遠く隔たっていますが、ファルスと狂言の比較を通して、人間として変わらぬ姿と、社会特に宗教によって表れ方の変わるところを見て、少しでもフランスを身近に感じ、また日本の古典芸能の面白さに触れていただけたら、と思いました。

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【キーワード】
ファルス=騙し
騙したはずが騙されて
下ネタ
『パトラン先生』
コキュ(寝取られ亭主)
バダン(道化役)
狂言=面白おかしい言葉
和合の笑い
『清水』
『末広がり』
太郎冠者
わわしい女
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by hikonekeikan | 2010-11-02 17:05 | 談話室「それぞれの彦根物語」

愛をもって彦根の観光まちづくりを語る

【彦根物語76】
 「彦根市観光の現状と今後
    ~3年にわたる経済効果測定調査から」 
 
                          得田 雅章 (滋賀大学経済学部准教授)

愛があふれる
d0087325_21212077.jpg 梅雨明けの花しょうぶ通りには、雲の間から時々強い日差しが差し込んでいた。
 町屋を再生した寺子屋力石に入ると、講師の得田先生と2人の滋賀大学の先生が並び、彦根市役所、商工会議所、観光ボランティアガイド、商店街連盟、郷土史家、議会議員、滋賀大学学生、滋賀県立大学学生、花しょうぶ通り商店街の人達、NPOメンバー、東京からきた会社員などで満員だった。
 なんとか隅の椅子に腰をおろして発表を聞いた。そして、発表が終わったときには一種の満腹感で満たされてしまった。
 「愛をもって語る」と予告にあったが、イラストを加え作り込んだスライド、分かりやすいデータ表現、クイズ、数々の提案とその経済効果を数値で表現するなど、まるで愛情一杯の手作り料理をお腹いっぱい食べたような感覚を味わった。

彦根観光の「いま」
 内容を要約しよう。この調査は平成19 年の彦根城400年祭から3年間実施された。この結果から、次のことが分かった。

 ①一人あたりの観光客の消費額はH19年、H20年と伸びたが、H21年はガクンと下がった。大きな原因は客数ではなく客単価の減少で、不況の影響と思われる。
 ②H21年の観光消費額は108億円で、経済波及効果は211億円、1200人の雇用を支えた。波及効果は400年祭が開かれたH19年の494億円から比べると4割に減少した。それでもH11-18年平均に比べると消費額で42億円、波及総額で82億円の増加になり、市民一人あたり消費額で3.8万円、波及総額で7.5万円の増加となる。レベルが上がったといえる大きな経済効果だ。
 ③観光客数は、春・秋・夏の順で多く、冬が少ない。また日帰りが7割で土日祝日の客数が多い。近畿圏が中心で、家族・少人数旅行が多い。
 ④初めて訪れる人が約4割あった一方、10回以上のリピーターが10%にのぼった。リピートする魅力がある町なのだ。

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これができれば、100億円
調査から作ったモデルをもとに、得田先生は、対策ごとに波及効果を試算した。

 ①基本周遊ルートである彦根駅→彦根城→キャッスルロード→四番町スクエア→彦根駅で、帰り道にあたる立花町や京町などのルートを充実させると、日帰り客の飲食費が1.5倍に、日帰り客の3%が宿泊に移行する。41億円の増加。
 ②①の四番町から、足軽辻番所→芹川→花しょうぶ通り→ひこね芹橋駅→彦根駅と発展ルートを開発すると日帰り客の飲食費が2倍に、日帰り客の5%が宿泊に移行する。74億円の増加。
 ③ご当地グルメ、お土産などの独自商品開発をすると飲食費とお土産購入費が1.5倍に増加。50億円の増加。
 ④平日観光キャンペーンで、平日の宿泊客が10%増加、日帰り客が10%増加。9億円の増加

 これをみると、ご当地グルメ、独自お土産開発が実行が容易で効果が高いことがわかる。そして、周遊ルートの充実・発展を並行して進めれば、たとえ観光客数が増えなくても100億円~150億円の波及効果が生まれる。ゆっくりと楽しい時間を消費する人々の姿が見えてくる。

ひこにゃんの今後は?
d0087325_21294547.jpg 次は、ひこにゃんだ。ひこにゃんグッズの売上げは、400年祭のH19年が17億円、H20年が10億円、H21年は8億円となった。減ってはいるが根強い人気だ。購入者は10代、20代で同年齢層の4割を越えるが、他の年齢層も3割後半で大きな差はない。平均購入額は1,100円~1,500円。ひこにゃんはイベントとともに去るキャラクターではなかった!
ゆるキャラ人気No.1のひこにゃんのグーグル・キーワード検索のヒット数は約70万件、しまさこにゃんは約30万件、いしだみつにゃん約5万件だった。しまさこにゃん、いしだみつにゃんが健闘している。彼らを生み出した花しょうぶ通りの人々の心をグッとつかまえた。d0087325_21253477.jpg


観光まちづくりの仕組みづくり
 きちんとした調査にもとづく実証分析は、的確な打ち手を導く。観光施策は、誰もが意見をいい、どれも良さそうに思えるだけに、経済効果と実現性を評価して実践に移すことが必要だ。その意味で得田先生たちの貢献は大きい。d0087325_21255615.jpg

 得田先生は、短期・中長期の課題を整理し、彦根ブランドの創出・確立、観光客誘致の分散化、まちのテーマパーク化などを提案された。
 問題は実行だ。聴衆の意見でも市の観光担当者に実行を望む声が多かった。もちろん、観光担当部局だけで実現するものでなく、総合的なまちづくりの戦略として取り組まなければならない。
 しかし、誰がリーダーシップを取って、市役所、商店街、観光事業者、NPOなどの力を結集し、コーディネートして新しい観光まちづくりを進めていくのか。この点が欠けていたのが、これまでの彦根だった。今回は、その明確な仕組みが作れるのか注目したい。
 
 ひこにゃん、しまさこにゃん、いしだみつにゃんができて、彦根グルメができないはずがない。グルメ・ベンチャー・横丁があってもいい。彦根の底力を私も信じている。     ( By E.H.)


8月、9月の彦根物語はお休みです。
次回は、彦根物語77 10月16日(土)10:30~ @寺子屋力石
 中世の笑い -フランスのファルス(笑劇)の世界と狂言の世界-
  小澤 祥子さん(関西大学フランス文学博士) です。お楽しみに。

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by hikonekeikan | 2010-07-28 21:52 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2010.7.17

【彦根物語76】
 「彦根市観光の現状の今後
       ~3年にわたる経済効果測定調査から」 


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得田 雅章
(滋賀大学経済学部准教授)


 彦根市観光の経済効果測定調査は2007 年から毎年実施され、すでに3回を数えました。今年も秋にアンケート調査を予定しています。これら調査結果から浮き彫りになってきた彦根観光の現状とは?課題・対策は?ひこにゃんの今後は?調査担当者として、また一彦根市民として愛をもってお話しさせていただきました。
お話ししながらも、悪天のため困難を極めた調査日のこと、そんな中、汗水流しつつ甲斐甲斐しく手伝っていただいた学生や観光ボランティアの方々の姿、さらには報告書作成にご助力いただいた多くのスタッフのご苦労が脳裏によみがえってくるようでした。
こうした艱難辛苦は私を実証分析者として成長させるとともに、彦根という地への愛着を育んでくれたように感じます。図らずも私を上回る多くの“彦根ファン”にご参加いただき、たくさんの真摯なご質問を受け、ご意見を賜ることができました。感謝、感謝です。

                             
 「彦根城表門」調査会場
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 「四番町スクエア」調査会場
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 「京橋口駐車場」調査会場
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 会場の様子
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 世界大会出場SIFEの学生さんから発言
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 共同研究者 山﨑一真先生と
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【キーワード】
彦根城  
400年祭  
150年祭  
ゆるキャラ  
ひこにゃん  
彦根観光 
産業共同研究センター  
アンケート調査  
経済波及効果
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by hikonekeikan | 2010-07-22 14:34 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2010.6.19

【彦根物語75】
 「エコメモオーケストラの軌跡と今後」    

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若林 嘉代子 (左から1番目)

(エコー・メモリアル・チェンバーオーケストラ代表)



 エコー・メモリアル・チェンバーオーケストラは、1997年ひこね市文化プラザ開館を機に、彦根の地元縁のメンバーを中心に結成された室内オーケストラです。以来、13年に亘り、市の事業として、年に一回のペースで、演奏会と併催の活動をさせて頂きました。
毎回、いずれの公演・催しも、来聴者・出演者が共に、手応えを感じる結果を出していたにも拘らず、ひこね市文化プラザの指定管理者が変わったのを機に、明快な理由の提示もないまま、ホールの自主事業から外されてしまいました。
 オーケストラの存続の道を模索するために、私達メンバーにとっては反省として、又、今までご存知頂けなかった方々へは、この談話室をきっかけとして知って頂きたく、14年間の活動を振り返ってお話させて頂きました。
 その結果、このオーケストラの弱い部分も、あぶり出されて参りました。今後は、談話室で耳を傾けて下さった皆様からのご指摘やご意見も参考にさせて頂き、お力もお借りしながら、オーケストラの存続・発展のために、新しい一歩を踏み出して参りたいと思った次第でした。
 今後とも、お力添えをよろしくお願い申し上げます。

                             
 弦楽四重奏の演奏
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 参加者とともに話し合いました
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【キーワード】
エコー・メモリアル・チェンバーオーケストラ
ひこね市文化プラザ
ひこね発がんばる彦根の音楽家たちシリーズ
楽器何でも相談室
幼稚園・保育園訪問コンサート
戸澤哲夫(2000年より当団コンサートマスター)
指定管理者制度
文化ホール
アートマネージメント
アンケート
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by hikonekeikan | 2010-07-08 14:59 | 談話室「それぞれの彦根物語」

室内オーケストラとドラッカーの「マネジメント」

『エコメモオーケストラの軌跡と今後』 
         エコーメモリアル・チェンバーオーケストラ代表 若林嘉代子さん
                       「それぞれの彦根物語75」 6月19日(土)10:30~
                       場所:ひこね街の駅「寺子屋力石」


d0087325_11472574.jpg私は、音楽を本当に聞いているか?
  彦根物語75は、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク、バッヘルベルのカノンの2つの弦楽四重奏で始まった。
 よく知られた曲だが、非常に正確なアンサンブルで、また演奏者と聞き手のあまりの近さに、音楽の美しさを耳でも目でも感じることができた。
 よく、音楽は純粋に聞こえる音を楽しめばよいと言われるが、私は自分が本当に聞いているのかどうか疑わしいと思っている。特にクラッシックは、構造が複雑で奥が深い。聞くたびに新しい発見がある。多様な解釈が成り立つし、その解釈を知ることでさらに新鮮な発見をする。

 こういう話を聞いたことがある。
 小学生に、何も見ないでアリの絵を描かせるとほとんどの子が頭と胴体に二本の後ろ向きの触覚と四本の足を描く。次に実物を見せてよく観察して描かせても、ほとんどが依然として後ろ向きの触覚のついた頭と胴体とそこから伸びる四本の足なのだ。
 そこで、「よーく見てごらん。アリの体は、頭と胴体だけかな」と導いて、はじめて3つに区切れていることに気づく。実物を見ているからといって、本当に実物が見えているとは限らない。彦根の町にいても彦根が見えていないのと同じかもしれない。
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エコメモオーケストラの軌跡

 若林さんによると、このオーケストラは、1997 年2 月の「ひこね市文化プラザ」の開館を記念し、彦根市出身あるいは彦根に縁のある若手演奏家を集めて結成された。音楽ホールである「エコーホール」の名を冠した「冠オケ」として彦根市のスポンサーシップのもと、プロの演奏家達が年1回、2~3 月に演奏会を開催してきた。
 2002年には、市の財政難などから室内アンサンブルとして再生し、毎年300 人以上の来場者を確保。演奏水準も高まり、観客からは高い評価を受けている。また、若い人材育成の役割も果たすなどの成果が出てきた。

 ところが、昨年3月末に市の文化体育振興事業団が解散。ひこね市文化プラザの運営は、NPOとビル管理会社と経営コンサルタント会社の共同事業体に移行した。このため、オケの位置づけが曖昧になり、本年2月は辛うじて演奏会を開催できたものの、来年の見通しは立っていない。
 市の委託料とチケット売上に加えて多くの利害関係者が絡む問題だが、単純化するとエコメモオーケストラとしては、演奏活動が経営的に成り立つのかという問題になる。
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もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら
 若林さんが「私たちの弱みは、彦根にいてマネジャーの役割をする人がいないことだ。」といった時、唐突に、ベストセラーの「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を思い出した。
 主人公の野球部女子マネージャーみなみが、チームから浮いている監督の加地を機能させようとして、「マネジメント」の中に監督そっくりなキャラクターの説明を見つけるくだりだ。それは「専門家」についての引用だった。

 「専門家にはマネジャーが必要である。自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ、専門家にとって最大の問題である。専門家にとってはコミュニケーションが問題である。自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。専門家のアウトプットとは知識であり情報である。彼ら専門家のアウトプットを使うべき者が、彼らの言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。
 専門家は専門用語を使いがちである。専門用語なしでは話せない。ところが、彼らは理解してもらってこそ初めて有効な存在となる。彼らは自らの顧客たる組織内の同僚が必要とするものを供給しなければならない。このことを専門家に認識させることがマネジャーの仕事である。組織の目標を専門家の用語に翻訳してやり、逆に専門家のアウトプットをその顧客の言葉に翻訳してやることもマネジャーの仕事である。」(P92-93))


 確かにコミュニケーションが問題だと思う。本日の参加者でもエコメモオーケストラを初めて知った人がほとんどだ。
 そして、強みは、まさに「専門家」であることだ。プロとしての知識と能力をどう全体の成果に結びつけるか。それは演奏を基本に、もっと広い視野から考えられるのではないだろうか。
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 小説では、みなみは「マネジメント」を読んで、現在の顧客に満足を与えるマーケティングに取り組み、次に、これまでのやり方を変えて明日の顧客に新しい満足を生み出すイノベーションに取り組んだ。現実は物語のように単純ではない。また、ドラッカーのマネジメントは、1975年刊行の35年前の著作であり、部分的に修正が必要だ。
 しかし、若林さんは、自分たちの強みと弱みを正確に理解している。現状を把握し、問題を再定義して、2つの考え方のもとに顧客が本当に音楽を聞いたという満足が得られる場づくりを計画していければ、道は開けると思う。(By E.H)



次回の「それぞれの彦根物語」は、7月17日(土)10:30~12:00 @寺子屋力石

彦根市観光の現状と今後
    ~3年間にわたる経済効果測定調査から~

      得田 雅章さん(滋賀大学経済学部准教授
 

 (彦根市観光の経済効果測定調査が2007年から毎年実施されています。今年秋にもアンケート調査を予定しています。これらの調査結果から浮き彫りになる彦根観光の現状とは? 課題と対策は? ひこにゃんの今後は? 調査担当者として、また一彦根市民として愛をもってお話させていただきます。)
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by hikonekeikan | 2010-06-27 12:45 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2010.5.15

【彦根物語74】
 「彦根の空を見て120年」     

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加藤 真司
(彦根地方気象台 技術課 気象情報官)





 彦根地方気象台は1893(明治26)年9月県立彦根測候所として創立され、120年近く同じ場所で今も観測や天気予報を続けています。
1896(明治29)年に観測した日雨量597ミリはいまだに彦根における観測史上1位の記録として残っています。風は台風によるものが記録の上位になっています。最近では短時間に降る強い雨が多くなっているので注意が必要です。
 気象情報は今でも日々の生活の中で重要な情報の一つですが1941(昭和16)年12月8日~1945(昭和20)年8月15日まで、太平洋戦争による気象管制のため一切の気象情報が国民の前から消えてしまいました。天気予報を日々見ることができるということは平和の証しでもあります。ただ戦争中も気象観測はつづけられ、広島では原子爆弾が投下されたその日も記録は残っています。
 また、伊吹山では1919(大正8)年から廃止される2001(平成13)年まで厳しい環境の中で観測を続けてきました、1182cmという積雪の記録は山岳の記録としては世界1位の記録になっています。

d0087325_1148584.jpg                                創立当時の彦根測候所











d0087325_11494554.jpg                  日雨量597mmを観測したときの天気図
















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                今も残る昔の風向計(一部)











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           昭和20年8月の広島地方気象台観測原簿(一部)
           原爆が投下された8月6日、終戦の日8月15日も観測は続けられている。

【キーワード】
彦根測候所(彦根地方気象台)
伊吹山測候所
戦争と気象情報
積雪世界一の記録
短時間強雨の増加
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by hikonekeikan | 2010-05-24 13:16 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》それぞれの彦根物語2010.2.13

【彦根物語71】
 「浅井三姉妹、将軍家光と井伊直滋についての逸話」     

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畑 裕子
(日本ペンクラブ会員、作家)





 「浅井三姉妹」は北近江の戦国大名浅井長政と織田信長の妹お市の間に生まれた姫です。小谷城落城、その十年後の北ノ庄城落城で親を亡くした彼女たちは秀吉に保護され、数奇な運命をたくましく生き抜いた姉妹ですが、私はこの茶々、初、小督(江)の三姉妹に女性の原点を見るような思いがします。
 談話室では長政、お市の夫婦愛、三姉妹の生涯をとりあげ、その後、徳川秀忠と再々婚をした小督が生んだ将軍家光と井伊直滋についての逸話を語りました。三姉妹については十年近く興味を抱き、調べたりしてきましたが、彼女たちの真の姿があまり知られていないのではないかと思うようになり、『花々の系譜、浅井三姉妹物語』を上梓しました。淀殿(茶々)が秀吉の側室となり秀頼を生み豊臣政権の中枢へ、また小督は徳川三代将軍家光や後水尾天皇の中宮となった和子を生み、御台所としての立場を揺るぎないものにします。その豊臣と徳川の間に立って和議のために奔走したのが常高院(初)でした。こうした歴史の表舞台に現れた史実だけでなく、歴史の裏舞台に秘められた姉妹の心情をこそ読みとり、理解すべきではないかと思います。
 さて小督の生んだ家光と直滋について興味深い逸話が残されています。井伊家は徳川の旗本の筆頭であり、直滋は幼年の頃より秀忠、家光、家綱に仕え、寵遇を受けていました。逸話というのは、簡単にいえば、家光が、直滋に彦根藩主になった暁には100万石を与えるといった話ですが、これを耳にした二代藩主の父直孝は、井伊家が他の大名から妬まれ取りつぶしになることを心配し、嫡子の直滋に井伊家安泰のため突如出家を命じたのです。直滋は湖東の百済寺に遁世させられ、末弟の直澄が嫡子となったのでした。直滋は51歳で亡くなり百済寺に墓があります。
 正史に記されない歴史の狭間に人間のドラマがあり、人間の本質が仄見えるものなのでしょうか。

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                小谷城跡から城下を見る

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                小谷城大広間跡

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                浅井長政・お市の像(徳勝寺)

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          著書「花々の系譜、浅井姉妹物語」 (カバーに仄見える浅井家家紋)

【キーワード】
・小谷城
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by hikonekeikan | 2010-02-19 10:38 | 談話室「それぞれの彦根物語」

浅井三姉妹、将軍家光と井伊直滋についての逸話

それぞれの彦根物語 第71回  平成22年2月13日(土)

浅井三姉妹、将軍家光と井伊直滋についての逸話
                         畑 裕子


d0087325_194435.jpg 小さな町屋である寺子屋力石は、人々で溢れた。
 今回の彦根物語の語り部は「浅井三姉妹物語-花々の系譜」を昨年6月に出版された作家の畑 裕子さん。
 来年のNHK大河ドラマは、「江(ごう)-姫達の戦国」に決まったが、江とは、浅井長政と信長の妹お市との間に生まれた3人の娘、茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、小督(おごう)の小督のことで、注目度が高い。しかも、畑さんは史実に基づき近江の現地を綿密に調査し、抑制の効いた筆致で描きだしているので、地元の者には風景と物語が重なるような臨場感がある。

 畑 裕子さんは、京都府京丹後市出身で、奈良女子大文学部国文科を卒業後、公立中学で国語教師を勤め、16年前に京都市内から滋賀県竜王町に転居。これを機会に小説を書き始め、小説「面・変幻」で朝日新人文学賞を受賞した。2005年12月に「近江戦国の女達」を出版、これが小説「浅井三姉妹物語-花々の系譜」(サンライズ出版)に結実した。小柄な体で、やさしいけれども溌剌とした語りからは昭和40年代の女子大学生の姿が透けて見えるようだ。

浅井三姉妹物語-花々の系譜
d0087325_19143642.gif 畑さんは、小谷城下の御殿屋敷、長政と市の婚礼が行われた大広間跡、長政が自刃した赤尾屋敷跡、お局屋敷跡の写真を紹介しながら、信長の朝倉攻めに反旗を翻した浅井家が織田家と断絶状態になったとき、当時の常識に反して実家に帰らなかったお市の行動に注目し、夫婦仲の良かった長政とお市の関係こそが三姉妹の心に理想として刻まれたのではないかと語られた。また、長政と側室の子「万寿丸」が米原市の福田寺の浅井御殿にかくまわれ生き残ったとみられる証拠が近年発見されたとのことで、小説では浅井喜八郎と改名した万寿丸が浅井の血を引く者として重要な場面で随所に登場している。
 お市と三姉妹が小谷城から脱出したのちの消息は不明であったが、本能寺の変で再び歴史の表舞台に立たされる。政略からお市が柴田勝家に再嫁、1年後に北之庄城の落城とお市の自刃、浅井三姉妹は大坂の秀吉の元に送られる。小説は、ここから始まっている。その後は小説をお読みいただきたい。

小督は、恐妻・鬼嫁?
d0087325_1940486.jpg 長女茶々は秀吉の側室となり、秀頼を生み、豊臣家とともに滅亡。次女初は京極高次の妻となるが子がなく、姉のために徳川との和解に最後まで尽力する。三女お督は、12歳で尾張大野城主佐治一成に嫁がされるが1年もたたないうちに別れさせられ、大阪城にもどる。そして、20歳で小吉(羽柴)秀勝に嫁ぐが、秀勝が朝鮮で病死。秀吉によって、23歳で家康の3男秀忠(17歳)と結婚させられる。
 小督は将軍秀忠を尻に引く恐妻といわれるが、本当は違うのではないかと畑さんはいう。
小督は、24歳で長女千姫を出産、26歳で次女子子姫、27歳で三女勝姫、30歳で四女初姫を出産、31歳ではじめて男子(竹千代、後の三代将軍家光)、33歳で次男国松を出産している。世継ぎの男子への執念が感じられるが、当時は、正室に男子がなければ直ちに側室に生ませるのが普通で、後の大奥では27歳で将軍の相手から外されたという。それなのに、生み続けたのはやはり夫婦仲が良かったからではないか。理想の夫婦を小督も求めていたのではないかと畑さんは考えている。

井伊直滋・隠遁の謎
 畑さんが彦根にまつわる謎として紹介してくれたのが井伊家彦根藩の二代直孝の長男井伊直滋の逸話。直滋は、二代将軍秀忠、後の三代将軍家光に寵愛された。家光からは、将来100万石を取らせるとまで言われる人物だったが、突然、百済寺に籠もり隠遁してしまう。その原因は未だに不明だが、彦根城博物館所蔵の井伊氏著作には、末松治氏の説として、二代直孝は、井伊家が徳川の君下に徹するため、井伊家は分家を認めない、長男以外は他家への養子または臣下とするという厳格な方針を打ち出したが、直滋は長男であり、家光の寵愛を受けていることもあって有頂天になり、ついに父から弾劾されたと記載されているという。
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なぜ小説を書くのか
 参加者からは、なぜ小説を書くのかという質問があった。畑さんは2つの理由を挙げた。まず、江戸時代以降で言われていることが事実と違うのではないかという疑問を抱いたこと。第2に、戦国の女は運命に翻弄されるだけの弱い存在ではなく、運命に立ち向かう強い存在でもあったことを明らかにしたいということだ。
 女性の場合、生き様を示す史料が特に乏しい。畑さんの小説は、限られた史実の綿密な調査を下敷きにしつつ、三姉妹の幸せな家族を願う思いとそれを許さない現実との葛藤を描く。同じ構造が井伊家の系譜にもある。夢も能力も持ちながら、政治の現実に翻弄される人間の葛藤と、それでも前向きに生きていく敗者の姿だ。敗者は決して弱くない。弱いと決めつけられているだけなのだ。

「(焼け落ちた小谷城の)大広間跡に到着すると、小督が礎石と礎石の間をぴょんぴょん飛んでいた。初は思わず微笑んだが、茶々はそんな末妹をみても表情をこわばらせたままであった。」三姉妹の心理をこのような筆致で描き出す畑さんの小説を読むと、やはり、その場所に行ってみたくなる。浅井町(現長浜市)平塚の実宰院へは是非行ってみたい。
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伝わる・伝える
 畑さんは、近々、江戸東京博物館で150人の大ホールで講演されるという。寺子屋力石の話し手と聞き手の距離の近さ、気さくなやりとりが楽しくてとてもよいと評価していただいた。私も、とても楽しかった。

d0087325_19422914.jpg さらに、思いがけず「合羽(かっぱ)タルト」の差し入れがあった。これは、鳥居本の画家で料理経験豊富な宮原勇作さんが考案し、昨年10月の「とりいもと宿場まつり」で大好評だったお菓子で、バナナ味のタルトの上に香ばしい様々なトッピングがやさしい味を演出している。形は、雨をしのぐ合羽と傘を着た昔の旅人を模しており、柿渋を塗った合羽が名産だった宿場町鳥居本らしいお菓子だ。

 もう一つ、とても感心することがあった。
会場で4月から始まる彦根市民大学講座「歴史手習塾」(主催:ひこね市文化プラザ http://bunpla.jp/event/detail/204/?m=29 )の参加案内があったが、その企画・プロデュースを商店街の人たちがしているのだ。自分たちが知りたい歴史を文化施設とタイアップして楽しく学べる通年の市民講座にする。そんなことを軽々と実現してしまった人たち。大きな変化を実感した日でもあった。 (By E.H.)

次回案内
それぞれの彦根物語72 平成22年3月20日(土)10:30~12:00
「『小小』の見聞録」 ショウ ショウ(滋賀県立大学人間文化研究科博士後期課程)
(来日してからの6年間、ずっと琵琶湖の畔に住んでいる中国人娘です。交換留学生、修士、そして博士、躓きながらも何とか勉強を続けてきました。6年間のすべてを書きためてきたノート、私の宝物「小小の物語」を聞いてください。)
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by hikonekeikan | 2010-02-14 19:47 | 談話室「それぞれの彦根物語」