NPO法人 彦根景観フォーラム

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第4回 世界遺産を目指す彦根の課題

市民討論 世界遺産登録への期待


前回までの西川幸治先生の講演を要約します。

世界遺産の新しい傾向として注目される「文化的景観」とは、一つひとつの遺産が人類共有の普遍的な価値を有していなくても、独特の地域の生活・なりわいを重視して、関連する景観を一体として維持・保全するものに価値を認め、世界遺産に認定するもの。
彦根のように彦根城が単体では世界遺産に認定されにくい状況でも、城郭、大名の居宅や庭園、武家屋敷、足軽屋敷、商人の町家、職人の町家、街道沿いの宿場町、街路や河川、伝統的農家までを一体として「日本近世城下町の社会とくらし」を形づくる「文化的景観」とし、主要なポイントを保全してネットワーク化することで世界遺産への道が開ける、ということでした。さらに、城下町の発展を近江の各地の城跡や琵琶湖の舟運、経済関係と関連づけて歴史的価値を主張できるということでした。

これこそ、彦根の価値を生かし切ったワクワクする構想ですね。



では、市民の皆さんは、彦根が世界遺産を目指すことをどう思っているのでしょうか。

Tさん(男性)
①市が設置している世界遺産の懇談会のことが市民に伝わってこない。市民は、世界遺産になって、何のメリットがあるのか疑問に思っている。
②石見銀山が世界遺産になったが、島根出身の人に聞くと、石見銀山は山があるだけで、遺産としての量は彦根の方がたくさんある。しかし、違うのは市民が銀山を愛していること。太田市は小さな町だが、市民が銀山を誇りに思い、まちなみも含めて一生懸命に守ろうとしている。彦根は、市民が無関心で冷淡である。
③鎌倉も問題は地元の盛り上がりだと言われる。
④世界遺産というが、そのねらいは何なのか、市民は「観光だけが得する」と思い、共感できない。

Oさん(女性)
①アブシンメル宮殿に行った時、地元のガイドに各国政府の保存への貢献を聞いたが日本の名は出てこなかった。多大の貢献をしているのに、PRしていない。外から見たらどう見えるかを意識しないで、内向きの論理ばかりを気にしている。それと同じ構図が彦根にもある。
②早くから彦根の文化的景観の保護と活用を訴えてきたが、彦根城が世界遺産に暫定登録されても市民は知らなかった。彦根城博物館に井伊家の遺産を継承するときも、余計なことをして税金を使うなという反対意見が強かった。どうしても地元の論理が優先され、外からの意見は無視される。
③海外の文化都市との提携の話があっても放置された。機会に対して適切な決定がされないまま、成り行きまかせになっている。
④外からの目を生かして、まちのあり方のビジョンをつくることが必要。都市経営のビジョンや長期構想がないから、未来に向けた適切な対応・選択ができないのではないか。

Sさん(女性)
①わたしも彦根は「外からの目を意識していない」と思う。外から見れば非常にユニークな町である。内に住む人は自分たちの持っている宝に気づいていない。逆に負担感がある、価値がなく早く壊せと思っている。その価値を活かす、市民の工夫次第で活かせるということに気づいてほしい。
②私の印象では、芹橋周辺は、まるで藤沢周平の世界である。
③地元の人は「ないものねだり」で「あるもの」を否定している。本当の自立への道のために、外部を利用した市民と行政の解決プログラムを実施することを提案する。
④イタリアのボローニャに住んだが、市民は古い町に誇りを持っていた。是非、世界遺産のまちの市民の暮らしも見てもらいたい。これまでの意識は変わると思う。

Tくん(男性) 
①大都市の新興住宅地で育ったので、学生時代に、教科書に載っている歴史のある町・彦根に来て感激していた。だが、学生時代は町中はわからなかった。
②彦根市民には、彦根の古いモノ、歴史を誇りたいという意識と、近代化への遅れ・都会と比べて田舎だという劣等感が混じっている。しかし、自分からまちづくりにのりだすのではなく、彦根はダメだという。ダメな原因を古い町や市民気質のせいにしてすべて他人が悪いとする傾向がある。

Tさん(女性)
①生粋の彦根生まれ、彦根育ち。世界遺産には疑問がある。
②以前に彦根城を世界遺産にするため、滋賀大学の教員住宅(ボーリス建築)を壊すという市の説明があった。そんなことまでして世界遺産にする価値があるのか、観光業者がもうけるだけで、市民は迷惑だというのが私の正直な感情。
③世界遺産は、町の発展を阻止する。生活の向上を否定する。多くの人は、世界遺産になると、不動産価値が下がるとか、住宅の建て替えができなくなるとか、市の税金を城ばかりにつぎ込んで、さらに世界遺産かと思っている。

Nさん(男性)
①彦根に住むとき、「彦根は人間がむずかしい」と反対された。
②彦根の市民性は、一言で言うと「ずるい」。人に仕事を押しつけて自分は何もしない。地域の役職を新住民にさせ、文句をいう。出る釘があればみんなで足を引っ張る。非常に利己的で小市民的。もっと大きな目を持って協力しないと共倒れになる。
③市民は、彦根を遅れたダメな町という。自分は違うが、周りが悪いのでよくならない。周りが変わらなければ自分だけ損をする。行政がやってくれないのに、なんで自分がしなければならないのか、という気質だ。本当に市民の目覚めが必要である。

Kさん(男性)
①彦根は古くて汚くて住みづらい町。そして、交通の便も悪く道も狭いどうしようもない商店街だと思っていた。しかし、外からの目でみると魅力があることがわかった。ちょっと磨くと、きらっと光る町になる。NPOや学生と一緒に歴史の掘り起こしやイベントなどを楽しんでいると、人の交流がうまれ、まちが輝いてきた。一歩踏み出せば、普段の生活の延長が世界遺産になるのではないかと思っている。


要約すると、次の4点になります。
①現状では、彦根市民は世界遺産に対して無関心もしくは冷淡である。
②彦根は何を大切にし、どんなまちにしたいのかという長期ビジョンがないから、世界遺産もまちの発展の中に位置づけられない。
③「しがらみ」と他人の足を引っ張る偏狭な市民意識がある。
④外からの意見をいかす形で、市民と行政の課題解決プログラムが必要である。


 私は、③の市民意識は400年祭の成功で大きく変わったと思います。情報を公開し、市民事業を公募したことで「私から」という意識がうまれ、みんなで400年祭を盛り上げよう、楽しもうという一体感と、できたという成功体験が大きな自信につながったと思います。そして、Kさんのように、外から見た人々の意見に耳を傾けると、探していた「青い鳥」が実は足元にいたんだ、ということに気づく人が出てきました。
これは、私が彦根にきたフランス人の言葉を聞いたときの驚きと同じです。「東京には神がいない。彦根には神が宿っている。」
 
「青い鳥は足元にいる」という気づきが彦根を変えると、私は信じています。(By E.H)
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by hikonekeikan | 2008-02-29 00:49 | フォーラム

築城400年祭《談話室》 それぞれの彦根物語 2008.2.16

【彦根物語39】
「まちなかギャラリー ―実動80日」

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角 省三
(NPO法人彦根景観フォーラム会員、滋賀作家クラブ)



 大正末期、東京高師卒の美術教諭鈴木三五郎が彦根中学(現彦根東高校)へ赴任してきた。
新しい時代の芸術文化に憧れていた彦根の中学生たちは、洋画の技法にだけでなく、「教育は心のふれ合いだ」とする鈴木先生に、大いなる刺激を受け、昭和期の彦根の町の文化人の幾人かが生まれるきっかけとなった。
 彦根銀座のテーラー百々(どど)洋服店の二代目・百々松之助も「彦根中学以来一生の恩師は鈴木三五郎先生なり」―本人の日記より―として、平成19年、当ギャラリー開催中に98歳の生涯を終えるまで、商業の傍ら師の歩みの跡を追い続けたいわば万年門下生であった。
空き店舗となって残されていた百々洋服店の明治期の木造瓦葺の建物を活用して、師匠鈴木三五郎(のち愛知教育大学名誉教授・日展委嘱)と、その弟子百々松之助(市美術展審査員・公民館でお絵描き教室開催)の絵画作品を中心に陳列させて頂きました。
 8ヶ月4期間のトータル・プランの中に、市民参加型の企画「傘壽を超えてもまだまだ元気な・彦根の絵描きさん」と「ひこねのまちの色んなアーチストたち」を組み込み、国宝彦根城築城400年祭協賛の「まちなかギャラリー」ということで活動させて頂きました。
 鈴木先生のご遺族三姉妹が遠方から来て頂いたり、市内の絵の先生やそのお弟子さんたち、それに、絵画を見ることが好きだという市民の皆様、ご近所の小学生から高齢者の人たちまで多数がご来館頂き、思いがけない新しい発見などもありました。
「大きな会場での絵画展よりゆっくりでき心癒される思い」と言われた年配の女性画家、「今、彦根城を見てきましたが、あれはほんものですな!感激してきましたよ!」と発言された、金の鯱で誇り高い筈の名古屋市民。
 週末と祭日、臨時開館も含めての80日は、ご協力頂いた人たちを含め、さまざまな人たちとのステキな出逢いと、しびれるような感動を覚える一日一日でありました。

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静物(鈴木三五郎)

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湖北(鈴木三五郎)

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編物(百々松之助)

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芹川(百々松之助)


【キーワード】
・マルビシ百貨店 ・野口謙蔵 ・国宝彦根城築城400年祭 ・旧制彦根中学 ・空き店舗    
・曾宮一念 ・美術教諭 ・洋服屋画家 ・まちなかギャラリー ・阿蘇
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by hikonekeikan | 2008-02-25 18:04 | 談話室「それぞれの彦根物語」

世界遺産を目指す彦根の課題 第3回

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西川幸治(前滋賀大学学長・彦根景観フォーラム名誉理事)先生の講演の続きを一気に掲載します。





世界遺産の新潮流・文化的景観 
 世界遺産は、単体で人類の文化や学術に大きな価値があるものを選定してきたが、新しく2つの潮流が出てきた。
 一つは、「産業技術遺産」を積極的に認める方向である。これは、産業革命を進めてきたイギリスなどの主張が受け入れられ、石見銀山もこの系統で登録された。
 もう一つが、「文化的景観」を認める傾向である。文化的景観とは、一つ一つの遺産が人類共有の普遍的な価値を有しなくても、独特の地域の生活・なりわいを重視して関連する景観を一体として維持・保全するものを認定するものである。
 この傾向は、国内でも景観法が成立し、近江八幡市が重要文化的景観の指定第1号を受けたことに現れている。東京で高層ビルが次々と建って、大阪でも同じような景観が作り出されていく。全国の主要都市がみなミニ東京になってよいのか疑問である。実際、偽東京でしかない。最近、京都は、建物の高さ制限を強化し、デザインも規制する方向を固めている。また、京都は自動車の乗り入れも規制して景観を守ろうとしている。

姫路城を訪ねてみて 
 懇話会で、姫路城を訪ねた。
すでに姫路城が世界遺産に認定されており、近世城郭という分野で同じ彦根城は認定の可能性が低いと言われている。現場で見るとたしかに城郭の規模や構成は姫路城の方が大きく、壮大である。
 彦根城との違いは、表御殿、欅御殿、松原御殿という大名の居館、武家屋敷、町家が残っていること、なによりも道や堀などの城下町の骨格が残っている点が違う。姫路城は、空襲から奇跡的に残ったが、城下町は戦災で完全に失われた。それでも、姫路城の世界遺産登録の準備にあたっては、埋め立てられていた堀や土居を、市営住宅を撤去して再生したことがわかった。彦根は、明治政府に疎まれたこともあって、近世城下町の特色を維持しながらうまく発展してきたといえる。これを活用することが一つのポイントだ。

 もう一つは、「文化的景観の観点で彦根を見直す」ことだ。
「千代の松原」を例に彦根の文化的景観を見てみる。戦前までの松原は、琵琶湖と松原内湖の間に松の生えた砂州のような景観が広がっていた。古代から和歌によまれ、梁塵秘抄にも記録がある。戦中・戦後で松原内湖が干拓され景観が失われたが、それまでの景観は「天ノ橋立」に似ていた。天ノ橋立が有名なのは雪舟が画に描いたからで、これが文化的景観たるゆえんである。

 この2つの観点から改めて彦根を見てみると、彦根城は天守の下に広間があった。これは礎石などが残っており少し掃除をするだけで建物の構成がきちんと見えてくる。また、表御殿は、表向が藩の政庁であり奥向が藩主のプライベートな生活空間であったが、これも彦根にしか整備・保存されていない。さらに、藩主の居館が、表御殿の奥向から欅御殿へ、さらに松原御殿が建てられ移動するなど、大名の居館がこれほどきちんと現存しているところはどこにもない。城内の鐘の丸には御紫殿跡があるがこれは東宮門院が江戸から京都にくるための宿泊所であった。結局これは使われなかったが、当時の文書には城の景観のために壊さないで倉庫として使ったことが明らかになっている。
 現在、楽々園からみると、天守と月見台の月見櫓はどちらが天守かわからないほど立派な景観であったとみられ、月見櫓の再生も百年単位で考えたい。
 
 武家屋敷は残っているが、数は年々減っている。中でも、組屋敷は、下級武士である足軽の屋敷が群として残っているのは彦根が唯一である。狭い路地は、重要な意味があり歴史的景観として整備していきたい。こうした地域は、手を入れる場合、現代の建築の基準に合わないので壊すしかないと思われてきたが、京都などでも路地の景観を守るため、地域を一つのブロックと考えて防災、消防の工夫をする事例がでてきた。ぜひ組屋敷でも工夫して取り組んでもらいたい。

 町家や町並みでは、花菖蒲通りや魚屋町などは重要伝統的建造物保存地区になるべきである。魚屋町では調査が終わっているのに、その後の進展がないのは残念である。
 町名が変更されているが、町の記憶と結びついた伝統的な町名は変えるべきではない。金沢市では、再び旧町名に戻している。現在、ベルロードと呼ばれる街路は、実は彦根城ができる以前の中世にあった有名な彦根寺へ参詣する巡礼の道であったので、「巡礼街道」と併記してほしい。銀座は河原町であったが、これは城下町建設により芹川が付け替えられる前の芹川の河原を意味している。中央公園も実は芹川の元の河道を利用した外濠のあとであり、「外濠公園」としたほうが土地の記憶と結びつく。

 また、旧高等商業学校の卒業生に彦根の思い出をたどってもらうと、お城とともに芹川の欅並木があがってくる。これは、芹川の付け替えと同時に植えたもので400年の歴史があるが、実は芹橋より上は自動車交通の妨げになるということで切られた。下流も切られかけたが、彦根史談会の必死の反対で残った重要な文化的景観である。彦根には景観を守った先輩達の歴史があることを忘れてはならない。

文化的景観の保全と世界遺産
 最近の彦根では、町の景観が急速に変わっている。眺望がよいという売り文句で高層の建物が次々と建てられている。また、伝統的な町なみは、歯が抜けたように更地になり、駐車場になったり、周囲の景観と無関係なデザイン・色彩の建物が立っていく。
 
 こうしたなし崩し的な文化景観の破壊を、どうするのか。 行政任せにせず、市民と行政が一緒に考えることが重要である。 そのために、町の変化を定期的に観測し、記録し、省察する「考現学」を勧める。例えば、小学3年・4年と中学2年生で、町の景観を写生するコンクールを毎年定点で行う、あるいは市民の写真コンクールを行うなど、みんなが参加し、考える考現学を始めたい。
 
 さらに、彦根の城下町としての文化的景観にプラスして、湖東・湖北の城と城下町の関連をアピールすることが重要になる。彦根城下町は、近世の完成した城下町であり、それ以前には上平寺、小谷、長浜とつながる湖北の城と城下町の系統と、観音寺、安土、近江八幡とつながる城下町の系統がある。

 また、琵琶湖との関係も重要である。佐和山城から彦根城へ、観音寺城から安土城へ、坂本城、大津城、膳所城と琵琶湖岸が非常に重視されている。琵琶湖は物資の大流通路であり、文化の通路でもあった。中世・近世の港と町と村の関係では、西浅井の菅浦に惣門がのこり、堅田は堺に匹敵する自由都市であった。寺と社の関係では、高島の白髭神社の祭礼には湖の対岸になる彦根の大藪村の人たちが参加している。中国の「しょうよう八景」をまねた「近江八景」は琵琶湖で成立している。

 こうした文化的景観をいかしたまちづくりを世界遺産へのステップとして提案したい。
 まず、先ほどの景観の定点・定時観察をしよう。また、近江八幡の八幡堀・伝建地区の取り組み、長浜の黒壁の取り組みなど、まちづくりの実験の交流をしよう。そして、特色のあるまちづくり、地域の歴史や自然や文化の特色を生かしたまちづくり、「年輪を刻み込むまちづくり」をすることが、世界遺産にもつながるのである。

次回は、シンポジウムに参加された市民の皆さんの意見をお知らせします。(by E.H)
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by hikonekeikan | 2008-02-17 01:27 | フォーラム

「それぞれの彦根物語39」は盛況でした 2008.2.16

「まちなかギャラリー実働80日」
角(すみ)省三さん(彦根景観フォーラム会員、滋賀作家クラブ会員)

d0087325_0203874.jpg 朝から雪が降りつもるあいにくの天気でしたが、力石はいっぱいの人であふれました。
 角さんは、四百年祭の期間中、銀座の古い商家・旧百々洋服店で、彦根の洋画家達を紹介する絵画ギャラリーをボランティアで開かれました。実働80日で、きちんと接客されたお客様は782名、一見さんも含めると1,564名の方と交流されました。どうしても休館せざるをえない日もあって、日平均約22.3人だそうです。お客様は全国に広がっています。角さんの暖かいおもてなしが共感をよび、リピーターも多かったそうです。
紹介された画家は鈴木三五郎、百々松之助、村岡平蔵、西岡義一、谷沢一郎、夏川和子、小田輝子、特別出品で野口謙蔵などでした。とくに、わずか2年の彦根での教職生活中に多くの画家を育てた鈴木三五郎さんの影響力は見事と言う他ありません。
 
 話題は「彦根にも美術品を展示できる美術館があればいいのに・・」ということになりました。d0087325_0214258.jpgたしかにこれだけの絵画を市民が持つ都市は珍しいでしょう。散逸を防ぐためにも、日頃から市民の目に触れる機会が多い方がいいと思います。いわゆる美術館といえば、1枚何千万円、何億円の所蔵品をコレクションする美術館を思い浮かべますが、こういう市民が楽しむタイプのまちなかギャラリーは、市民の利用する公民館や図書館などを改装してボランティアが運営するのもいいですね。

 もう一つ、これを「まちづくり」に生かせないかと思いました。銀座商店街がそれぞれの店に美しい絵画を置き、お客様に楽しんでもらう。中心に本物の町家でアートギャラリーを運営する。そうすれば、オンリーワンで本物のまちができます。
 町家でみる洋画は、白い壁を背景にみる時とは全く違う美しさに満ちています。これは新鮮な発見でした。黒壁のガラス美術館も伝統商家を使ってヨーロッパのガラス美術品を展示していて、大変に美しいのですが、それと同質で、それ以上の美しさを感じました。

次回は・・・
【彦根物語40】平成19年3月8日(土)10:30~12:00
 「ゆらっと遊覧 彦根城お堀めぐり 
―他都市に真似のできない文化遺産を使ってのまちづくり」
 小島 誠司さん(NPO法人 小江戸彦根 副理事長) です。
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by hikonekeikan | 2008-02-17 00:30 | 談話室「それぞれの彦根物語」

築城400年祭《談話室》 それぞれの彦根物語 2008.2.9

【彦根物語38】
「植物との語らい -会えてよかった-」  

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中川 信子
(自然観察指導員・彦根自然観察の会「彦根城オニバスプロジェクト」事務局)





 彦根に住んでいる私たちは、自然に恵まれた環境に暮らしています。身近なところに多くの植物が生きています。そっと足を止めて植物を見ることから、自然への関心が深まり、その不思議な世界に引き込まれることでしょう。
 今回の談話室では、私が植物と出会って、感動したこと、おもしろかったこと、不思議に思ったことなど、デジカメで撮った写真で紹介しました。何気なく見ている花が、また違った姿に見え、新しい発見につながることだと思います。
 お正月に飾られるめでたい植物の紹介では、千代神社と関わりの深い「ヒカゲノカズラ」を中心に話をしました。また赤い実がよく飾られる「ヤブコウジ」や「センリョウ」ですが、そのあまり知られていない花を見てもらいました。その他、不思議な姿をした花、なつかしい花など、いろいろな花を紹介しました。
「採らない、持ち込まない、環境を守る」ということに気をつけ、自然の中で美しい姿を見せてくれる植物たちをみんなで守っていきましょう。

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【キーワード】
彦根の自然
植物

オニバス
正月飾り
デジカメ
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by hikonekeikan | 2008-02-15 11:09 | 談話室「それぞれの彦根物語」

『それぞれの彦根物語』 好評につき再開されました

ひこね街の駅「寺子屋力石」 《市民談話室》 
 『それぞれの彦根物語』2月号 3月号 


彦根景観フォーラムが、彦根城築城400年祭を盛り上げようと、2006年から昨年7月まで、37回にわたり開催した『それぞれの彦根物語』。
 これは、市民や彦根に関わりのある人々が、自分の体験や趣味・活動などを「それぞれの彦根物語」として話題提供し、みんなで語り合い、楽しみを共有し、より充実した明日につなげる本当に楽しい企画でした。 絵画やお茶・お花、ボランティア、国際支援の市民の皆さん、大学、高校の先生、経営者の皆さん、歴史を掘り起こしておられる皆さんなど、彦根はすばらしい人材の宝庫です。お話しいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
 私個人としては、彦根を見る目が全く変わりました。毎回、自分の感性が磨かれて、どんどんセンスアップしていく喜びでいっぱいです。

 そして、今日、午前10時30分から12時まで、「それぞれの彦根物語」が再開されました。耐震改修でステキになった、ひこね街の駅「寺子屋力石」で、「植物との語らい ―会えてよかった―」と題して、彦根自然観察の会会員の中川信子さんがお話くださいました。
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 2001年から撮りためた身近な野草の美しい、いや可憐というべき素晴らしい写真と、中川さん達の小さな花に対する「驚き、感動、ドキドキワクワクの連続」の物語を楽しく聞かせていただきました。
 中川さんは自然観察指導員でもあり、彦根城オニバスプロジェクト事務局長でもあります。残念ながら彦根城のお堀のオニバスは、もうちょっとのところで咲かなかったとのことです。美しいものほど気難しいんですね。(ワカル!)
 でも、1cmにも満たない花がこんなに繊細で、複雑で、多彩で、美しいとは・・。花が雄から雌に変わったり、逆に雌から雄に変わるとか、1日ごとに時間差で雄しべが曲がって虫に受粉する機会を増やしているなんて、知らなかったァ・・。
 自然観察会や野鳥観察会に行くと次々に周りの人が植物や鳥の名前を言いだして、素人の私は、この記憶コンテストに嫌な思いをした経験があります。でも、中川さんの、野の花の美しさ、不思議さに対する驚き、感動。思わず引きこまれました。
 2月23日(土)午後1時から「彦根城樹木ウォッチング(冬の樹木)」、4月29日(祭日)9時から「佐和山の春の自然」観察会があるそうです。いこうかなぁ♪

「それ彦物語」、次回は・・来週です。
【彦根物語39】平成19年2月16日(土)10:30~12:00
 「まちなかギャラリー実働80日」
 角(すみ)省三さん(彦根景観フォーラム会員、滋賀作家クラブ会員)です。

 角さんは、四百年祭の期間中、銀座の古い商家で彦根の洋画家達を紹介するギャラリーをボランティアで開かれて、沢山のお客さんと交流されました。ここで見せてもらった谷沢一郎の絵は、私の中では群を抜く名作です。楽しみです♪。

3月も、パワーアップして、四百年祭シリーズです。
【彦根物語40】平成19年3月8日(土)10:30~12:00
 「ゆらっと遊覧 彦根城お堀めぐり 
―他都市に真似のできない文化遺産を使ってのまちづくり」
 小島 誠司さん(NPO法人 小江戸彦根 副理事長


【彦根物語41】平成19年3月22日(土)10:30~12:00
 「彦根城築城400年祭の市民サポーター 彦根を盛り上げ隊」
 岡村 博之さん (400年祭市民文化創造部会 部会長、彦根を盛り上げ隊 発起人)

いやぁ~、市民の熱気が伝わってきますねぇ。お楽しみに。

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【お知らせ】
下記ホームページにて、2006年5月から始まりました《談話室》「それぞれ
の彦根物語」のレポートを公開していますので、ご覧ください。  
滋賀大学産業共同研究センター
     http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/jrc/
滋賀大学地域連携センター
     http://www.shiga-u.ac.jp/main.cgi?c=9/9:0
ひこね「街の駅」ブログ
     http://machinoeki.exblog.jp/
お願い:街の駅周辺には、駐車スペースがありませんのでご配慮の程お願いします。
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by hikonekeikan | 2008-02-09 21:54 | 談話室「それぞれの彦根物語」

「彦根古民家再生トラスト」募金のご協力をお願いしています。

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                                画:彦根景観フォーラム会員 江竜美子

 ■「彦根古民家再生トラスト」募金に協力していただける方にご案内

芹橋にお住まいの方とNPOのメンバー5人が中心になって、トラストの発起人への参加を呼びかけたところ、早速60人近い方々に賛同をいただき、昨年12月1日、トラスト発起人会を開催し、辻番所をもつ足軽屋敷・磯島邸で発足に至ったものです。
 トラストの理事長には、山崎一眞滋賀大教授、その他に理事7名、監事2名、会計1名を選出しました。
目標募金額は1000万円です。個人は小口千円、大口は1万円から。
皆様から要請があれば説明に伺いますので、気軽に声を掛けてください。ふるってご寄付いただきますようお願いいたします。
詳しくは、
NPO法人 彦根景観フォーラム (電話:0749-27-1141)まで
【取扱機関】
滋賀銀行 彦根支店 普通 口座番号267886 
滋賀中央信用金庫 彦根営業部 普通 口座番号0623881


●彦根古民家再生トラストでは、磯島家を買い取るための募金を受け付けております。
 大変ぶっそうな世相ですので、ご寄付いただける方,ご質問のある方は、上記:NPO法人 彦根景観フォーラム (電話:0749-27-1141)までご連絡いただきますよう、お願いします

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by hikonekeikan | 2008-02-09 19:07

辻番所をもつ足軽屋敷・磯島家を救おう 第2回

みなさん、こんにちは。d0087325_14555399.jpg
 前回は、彦根市芹橋に残る「辻番所をもつ足軽屋敷」が売りに出され、壊されてしまうのを、なんとか防ごうと、市民60名が発起人となった基金「彦根古民家再生トラスト」が発足し、募金を始めたことをお伝えしました。
足軽屋敷という最下級の武士の居宅が残っていること自体が極めてめずらしいのに、辻番所まであるとは奇跡といっていいと思います。

 今回は、この辻番所をもつ足軽屋敷・磯島家について、滋賀県立大学 濱崎一志 教授の研究室による調査結果をお知らせします。この文章を送ってくれたのは、濱崎研究室の亀山芳香さんです。(元気な美しい女性です。)

●足軽屋敷 磯島家  磯島家は、旧芹橋12丁目の中ほどの角地に建つ、典型的な足軽屋敷の一つです。d0087325_145647100.jpg
敷地面積は70坪と他の足軽屋敷に比べてやや大きく、通りに対して平面を見せる平入り(ひらいり)の主屋(おもや)が建っています。主屋の背面に突出する下屋は水屋で、後に増築されたものです。(平面図を参照してください)
 表の入口を入ると、玄関があり座敷に直結し、その奥には家人の居室が続きます。質素な造りながらも公私の空間を分けた武士の居宅です。
 主屋と通りの間には前栽があり、見越しの松が植えられています。座敷も簡素なつくりで棹縁(さおぶち)天井ではなく「ささら天井」であり、長押(なげし)も廻されていません。居室の上部もその大半がツシとなっています。

●辻番所

 磯島家の前庭の南東角には、見張り窓を設けた辻番所と呼ばれる付属屋が建っています。これは、内部から周囲の道を見張るための小窓を持つ構造で、江戸時代の足軽居住区での見張りの機能を現在に伝える貴重な遺構です。現状では畳4枚が敷かれ、端部は板間です。道路側の隅に小さな扉が設けられています。辻番所に辻番に来た人々の入口でしょうか? 辻番所と主屋は動線的には切り離されていた可能性が考えられます。
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●彦根古民家再生トラストでは、磯島家を買い取るための募金を受け付けております。
 大変ぶっそうな世相ですので、ご寄付いただける方は、下記までご連絡いただきますよう、お願いします。
NPO法人 彦根景観フォーラム  電話0749-27-1141

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by hikonekeikan | 2008-02-02 15:04 | 辻番所・足軽屋敷