NPO法人 彦根景観フォーラム

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《談話室》 ようこそ!ベロタクシー (2008.4.26)

それぞれの彦根物語44 彦根城築城400年祭特集

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齋藤 毅 さん
NPO法人 五環生活
自転車タクシー事業部
ベロタクシーひこね代表
滋賀県立大学大学院生

ベロ(VELO)とはラテン語で「自転車」。今回は、400年祭に彦根に登場した卵形のユニークな「ベロタクシー(自転車タクシー)」の不思議を、齋藤さんが解き明かしてくれました。齋藤さんは22歳の大学院生。北海道出身なのに寒いのが嫌いです。

《タクシードライバーがよく受ける質問・ベスト3》
第3位:ベロタクシーは彦根以外でも走っている? →YES、彦根の他に全国21都市で走行中。
第2位:どうやって動いているの? →自転車と同じでペダルを漕いで進みます。坂道は電動アシストモーターを併用します。平均時速11km、普通の自転車より遅いです。 
第1位 ベロタクシーを漕いだら痩せる?? →YES、きちんと続けられて、収入が得られ、お客さんと楽しい時間が過ごせる一石三鳥ベロダイエット。ただし、地域の方やお客さんから「差し入れ」が多いので食べ過ぎに注意。


《どんな仕組みで運営しているの?》
 ベロタクシー彦根とドライバーは業務委託契約を結んでいます。ドライバーは、タクシーをレンタルして個人営業します。運賃収入はすべてドライバーの収入です。一方、ベロタクシー彦根は、広告を車体に表示して広告料をいただき運営します。現在3台ありますが、初期投資には彦根市、滋賀県、市民募金の支援を受けています。

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《なぜ、ベロタクシーを走らせるの?》
 スロー・テクであること。「ちょっとだけ不便」だけど、愉しいのです。また、彦根城に上がれない人々にも喜んでもらえ、観光の動線の役割を果たすとともに、地域の人にとっては街の魅力を再発見することにつながっています。狭い道でも入れるので、障害者や高齢者の利用につながっています。

《NPO法人「五環生活」とは??》
 2006年7月13日設立、「五感+環境+暮らし」をコンセプトにし、知識ではなく身体からはじめる、五感と環境をつないだ生活を社会に定着することをめざしています。ベロタクシー彦根は「五感生活」の一事業です。このため、収益事業だけでなく、ボランティアとして学校やイベントなどにも参加します。ユニークなものでは、結婚式場で新郎新婦の登場に使われたり、クリスマスケーキの配達に使われたり。 走る姿を見るだけで街の雰囲気が変わりますよね。 ご予約は090-6552-2215へどうぞ。
 
《ズーニー(ZOONY)とは?》
ここからは、大学院で環境「地域経営」を専攻する齋藤さんらしい面を紹介します。
齋藤さん達の使命は、「ベロタクシーを彦根に定着させ、スローテクの面白さを社会に伝えていく」こと、そのために行動する際の指針を、「もっとゆっくり、もっと愉しく」、キーワードは、「安全に、礼儀正しく、ショーのように愉しく、ズーニーに。」としています。

ズーニー(ZOONY)とは造語で、否定の先を見ること。これまでの活動で「~せずに」「~しない。」と否定で終わっていたものを、否定の先に進み出ること。英語ではオルタナティブ(代替案)。「~せず(Zoony)に、・・・する。」の“・・・”のところに新しい可能性が開ける。それをキーワードにしようというのです。たとえば、使い捨てのペットボトルを否定するだけでなく、ペットボトルを買わ「ずに」(Zoony)水筒を持ち歩く、という発想です。マイ箸、マイカップ、自転車など「ずに(Zoony)」から見えてくる愉しさがいろいろあるんですね。Zoonyを口癖にすると結構おもしろい。

《クラッシュボールとペイフォーワード》
400年祭は、たくさんのお客様を集めて、ベロタクシーや屋形船などのコミュニティ・ビジネスを成功させる追い風になりました。しかし、400年祭が終わった今後は、純粋にお客様の評価、ビジネスの力が問われます。新しいローカルモデルの創造など多くの問題意識をもってベロタクシーの運営に取り組んでいる齋藤さん。
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でも、意外に明るいのです。その秘訣はどうやらこの「クラッシュボール」にあるようです。ドライバーのミーティングで、このボールを受け取った人は「24時間以内にあった良いこと、新しいことを話してください」と頼まれて、とにかく話します。そして次の人にボールを渡します。このボールは柔らかく意外に重い独特の感触ですが、そうして話して回すと短期間に組織を前向きに変える効果があるといいます。


それから「ペイ フォーワード」(Pay it Forward)。人から受けた厚意(親切)を相手に返すのではなく、「次に渡す」こと。日本では「恩送り」と言うそうで、ベロタクシーのドライバーがお客様に親切に接し、困っていることをできる範囲で助ける。そして、ドライバーが「恩送り」の話をすれば、その親切はパーッと広がる。お互いに親切を回す訳です。
現実の社会で生きていると夢物語のように聞こえますが、でも、いい話だと思います。
とにかく一度、ベロに乗ってみましょう。

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次回は5月17日(土) 10:30~12:00 
「彦根に素晴らしいものがありました -彦根まちなか博物館-」と題して、
彦根商工会議所の安達 昇さん がお話し下さいます。
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by hikonekeikan | 2008-04-27 00:20

彦根まちづくり情報誌「きらっと彦根」12号 できました

彦根景観フォーラムの彦根まちづくり情報誌「きらっと彦根」12号ができました。

 特集は、3月15日に開催したシンポジウム「足軽屋敷と辻番所 そして芹橋地区の未来と彦根」です。
 また、彦根市世界遺産懇話会の報告、彦根古民家再生トラスト、城下町ひこね「戦国商店街」宣言と新キャラクター「いしだ みつにゃん」おひろめ などを掲載しています。

彦根市花しょうぶ通り「寺子屋力石」、「戦国丸」においています。無料です。
お読みいただいて感想をブログにお寄せください。
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by hikonekeikan | 2008-04-20 09:27 | お知らせ&NEWS

「佐和山一夜城復元プロジェクト」を聞いて(2008.4.19)


それぞれの彦根物語43 彦根城築城400年祭特集

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和田 一繁 さん
(彦根商工会議所青年部会長)




ついに、あの感動の「佐和山一夜城復元プロジェクト」の話を聞ける時が来ました。
和田さんは、彦根商工会議所青年部(YEG)の会長さん。じつは、このプロジェクトは、平成19年度「第7回YEG大賞」(全国賞)の10位以内にノミネートされ、惜しくもベスト3には入れなかったということでした。すごいです。

運命の出会い 
400年祭では、主催事業と協賛事業、市民文化創造事業(彦根を盛り上げ隊)の3つの事業がありました。このうち主催事業は14が提案され、青年部は、「HIKONE夏の夜のドリームコンプレックス」が担当になりました。内容は天守前広場などでコンサートと屋台村を演出するというもので、青年部内では意見が分かれます。平成18年2月の計画公表時点でも結論が出ません。悩む和田さん。たまたまテレビのニュース特集で兵庫県出石市商工会青年部の一夜城の取り組み、豊岡大水害からの復興を願う取り組みをみて、「これだ!」と直感します。まさに運命の出会い。そこから一挙に自分たちにとってのイベントの視点が定まり、佐和山一夜城復元構想ができます。
和田さんは笑顔で淡々と言いますが、こんなすごい物語が聞けるなんて、本当に幸せです。

事業コンセプトは「汗動・貫動・感動!」
実行委員会に新規事業として提案し承認されますが、問題は山積みでした。しかし、和田さんたちはイベントのセオリーをきちんと押さえてプロなみの戦略と商工者の強みを生かした組織を作り上げ、着々と実行していきます。公募で募集した350人の親子による佐和山城パネルのペイント大会、近隣住民への説明、会場設営、広報、小和田教授らによる清涼寺での3回の歴史講座、除幕式、佐和山ウルトラクイズ、天下分け目の綱引き大会、戦国甲冑劇、落城式と、まるでこれまでの彦根のまちづくりはこのためにあったのかと思わせるようなすごいアイデアと楽しさと感動を私たちに残してくれました。
和田さんの発表も、ロゴのデザイン、映像、演出がすばらしく笑いと感動の渦でした。

「彦根に佐和山城あり」、「再発見・再創造」のモデル 
観客動員数のべ2万人、彦根の歴史的な価値に新たな光を当てた画期的なイベントでした。400年祭のテーマは「再発見・再創造」。 まさに佐和山で「再発見・再創造」を達成したと言えるでしょう。経費は1千万円。観客一人あたり500円です。500円しか使わなかった方は少ないでしょうし市外・県外からの観客が多いことから、全体としての経済効果も十分です。なによりも今、佐和山をめざす人が多く彦根にやってきています。

400年祭の成果を「井伊直弼と開国150年祭」につなげよう
和田さんのお話しの後で、こんな素晴らしい話を彦根市民に知ってもらう機会がないことを惜しむ声が参加者から沢山あがりました。私も心からそう思います。
6月に始まる「井伊直弼と開国150年祭」を盛り上げるためにも、400年祭で生まれた多くの取り組みを市民に知っていただく講演会を開くことを考えましょう。

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次回の彦根物語は、来週26日、「ベロタクシー 町の風景になじむ移動手段」、NPO五環生活の斉藤さんです。
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by hikonekeikan | 2008-04-20 00:59 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》 それぞれの彦根物語 2008.4.5

【彦根物語42】
 「音楽で生活をおもしろく(^◇^)、会場のみんなで演奏♪、タノシックコンサート」

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寺村 邦子
(ギネスに挑戦実行委員会発起人)



 あれこれ考えていたら、世界記録に挑戦できなかったと思います!私はパソコンができなくて、インターネットも全くできず、英語もニガテで、今の情報社会から完全に遅れてしまいました。そこで開き直って、恥ずかしがらずに訊いたり、お願いしてみると、親切に教えてくれ、助けてくださるものです。
 私たちの世界一長~いコンサートは、約千人もの人々のご協力で、記念すべき400年祭の年に、ギネス世界一記録へ挑戦することができました。私たちが生きている間に知り合える人なんて、全人口のほんのわずかだと思います。私は、この挑戦のお陰で、こんなにも多くの人と知り合うことができて、みなさんに喜んでもらえて、大大大感激してしまいました。千人の内、誰一人欠けても、世界一にはなれなかったと思います。大変お世話になった鳥居本地域のみなさま、会場をお貸しくださった近江鉄道さま、関わってくださった全ての方々、心から感謝しております。m_m

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2007年3月31日ギネス達成、受賞 近江鉄道鳥居本駅舎前

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ギネス世界記録2008の中の1ページ

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なつかしいLONGEST CONCERTのポスター

【キーワード】
チャレンジ
感謝
楽しみ
音楽
人間
大好き
世界
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by hikonekeikan | 2008-04-18 18:44

歩いて暮らせるまち、歩いて巡るまち 犬山城下町再生物語 その2 


「そのとき歴史は動いた」風 第2回

 しかし、全国町並みゼミで決議された道路拡張をすべきでないという外からの意見は重視されることなく、翌1997年2月、地元合意を得た地区から測量が始まります。

 ところが、いよいよ現実に自分たちの伝統的な建物が壊される段階になって、古い町並みがことごとく変わってしまうこと、広いクルマ道路によってコミュニティが分断されること、犬山祭の山車(やま)が美しく映えないことなどについて懸念の声が強くなり、1年後の1998年2月「魚屋町住民との対話集会」では反対論が噴出。
 さらに4月には「犬山のまちなみを考える会」から、道路拡幅によって壊される町家を含む11件の登録文化財申請が市に出され、9月の新町線地権者意見交換会では反対論で収拾のつかない状態に陥りました。

 このため、石田市長は9月議会で、「道路整備事業の一時凍結、拡幅見直し」を宣言します。こうした経過には石田市長の巧みなリーダーシップがあったと言われていますが、すでに、ところどころ家を建て替えた人は、補償金をもらってセットバックしているので、「行政が方向転換するのはけしからん」と怒り、愛知県や建設省も、「都市計画を覆すとは気違い沙汰だ」と市との協議を拒否します。


 この「凍結宣言」によって、住民は、反対の要望は通ったものの「市役所に見捨てられる」という強い危機感を抱きます。凍結によって人が来なくなる、人が住まなくなるのではという危惧は高まり、自分たち自身で解決の方向を探し出さざるを得なくなったのです。
 一方、市役所も国や県に見捨てられるという危機感をいだき、活路を探し始めます。市役所にとって、凍結は一部住民のエゴではなく市民の自己決定による総意であることを国や県に現場で理解してもらう以外の道はなかったのです。
 両者は直ちに動き始めます。d0087325_0473234.jpg

 新町線まちづくり検討会が10月から7ヶ月間で計9回開催され、まちづくり基本理念が掲げられます。1999年7月には、本町通線まちづくり検討会が開催され、町内会単位で、きめ細かく毎晩議論を続けました。はじめは激しいやり取りが続きましたが、行政主導ではなく犬山北のまちづくり協議会、犬山祭保存会、城下町を守る会を中心に地域住民が、外部の専門家の力を借りても自分たちで決定し、責任を持って行政に提案し、行政はこれを応援する仕組みがつくられていきます。
 その原動力となったのが地域リーダーたちでした。かれらも、市役所も「まちを愛することを原点として、対立せず、徹底した話し合いを行ってそれぞれの意見に理解を深め、互いに協力して解決策を見つけていく」姿勢に転換していきます。

 石田市長は、「それまでは城下町の土地を売って郊外に家を建てる人が多かったが、道路拡幅をしないでここに住み続けるという合意ができあがると、みんなの気持ちが落ち着いて、定住のためのまちづくりへの模索が始まった。自分でいろいろなところを視察し、話を聞いてきて、朝から晩まで話をし出した。」と語っています。

 2000年8月「犬山市歴史のみちづくり整備計画策定委員会」が、国や県・市の都市計画審議会の委員を巻き込んで発足します。そして、2002年「犬山市歴史のみちづくり整備計画」を策定、通過交通の排除、電線類の無電柱化、道路の美装化などを推進すると決めました。都市計画道路の変更への道を開いたのです。d0087325_0482010.jpg

 2001年3月には、中心市街地活性化基本計画において城下町地区のまちづくりのコンセプトを「歩いて暮らせるまち、歩いてめぐるまち」と設定しました。同時に、まちづくりを推進する会社組織であるTMOの設立を決めます。2003年9月、市役所から1500万円、地元企業400万円、一口5万円の個人株主1100万円の出資を元にTMO犬山まちづくり株式会社が設立され、空き店舗対策として弐番屋1号店がオープンします。d0087325_0485571.jpg 

 さらに、市民と行政のワークショップによって計画され、公募による市民委員が企画運営にあたる市民の拠点施設がオープンします。2000年10月に山車の展示・保存場を兼ねた「どんでん館」が、2001年には明治の空町家を改装した「しみん亭」が、2002年には「余遊館」が、市民と行政の持ち味を生かした協働で実現します。

 
 そして、みなさん、「その時」がやってきました。都市計画道路の計画変更は、市の都市計画審議会で発案され、県の審議会の承認、国の認定を要するものでしたが、2000年の地方分権一括法で「同意を要する協議」に変更されていました。さらに、少子高齢化の影響、公共事業の抑制などで、「コンパクトなまちづくり」がめざされる時代に変化してきました。こうして、2005年3月、本町通線と新町線の現行幅員への変更手続きが完了したのです。

 いま、犬山市城下町には、再び人の流れがうまれ、賑わいがもどってきています。d0087325_0505531.jpg
歴史遺産などの「今あるもの」を活かしたまちづくりを基本に『歩いて暮らせるまち、歩いて巡るまち』を基本コンセプトに、4つの目標をたててまちづくりを推進しています。
 第1は「歴史的遺産にであう風格に満ちたまち」、町割や町家などの歴史的資産を大切に守り伝えていくため、歴史的資産の保存活用、まちづくりのルールづくり、景観形成基準の見直し、助成制度の充実などを行っています。
 第2は「人に優しい歩いて巡るまち」、地区に用のない車を排除して歩行者が主役のみちづくり をめざすため、速度規制などの実施、違法駐車の排除、公共駐車場の整備、案内板の整備を実施しています。
 第3は「歴史的遺産を活かした賑わいとふれあいのまち」、たくさんの人が集い、歴史や人々との交流を楽しめるまちづくりをめざすため、空き家・空店舗の活用、「食」をテーマとした魅力づくり、情報発信の充実などを推進しています。
 第4に「いつまでも安心して快適に暮らせるまち」、震災や火災などの災害に強いまちづくりをめざすため、公園などの防災拠点の整備、消火栓や防火水槽などの充実、自主防災組織作りなどを推進しています。

 
そして、2006年、豪商旧磯部邸の保存修理が、市からの委託をうけた「犬山の町並みを守る会」の手で完成し、守る会によって公開されています。学生と市民の格子戸清掃活動なども展開され、古い町家を生かした商店や飲食店、フレンチレストランなどが増えて、町歩きを楽しむ人が増えています。もし、道路を拡張していたら、このような賑わいと温かいまちなみは復活していたでしょうか。d0087325_0511982.jpg


司会:「さて、今日のゲストは都市計画が専門のT大学のK教授です。番組をご覧になってどのような感想を抱かれたでしょうか。」

K教授:「都市計画とは何か、中心市街地はどうすることが活性化につながるのかという問題に対して、都市の生い立ちや現状を無視して全国一律に東京のプロトタイプを適用することが本当の都市再生にはつながらないのだいうことを明確に示したものだと思います。 
 現在では、都市の個性や地域資源を活かしたまちづくりは基本中の基本といわれていますが、現実の都市計画では、つい数年前までそうではなかったということを改めて認識しました。  そして、まちのあり方は、誰がどう考え、決めるのかという点でも画期的なものでした。都市計画は、都市全体の発展や広域的な観点から決められるもので、住民の意思で変えるものではないという考えはもはや通用しないと思います。まちづくりでは、住民のしあわせ、訪れる人のしあわせは、結局自分たちが選んで主体的に取り組んでいくしかないということを示してくれているという気がします。」

司会:「さて、K先生、今日の「その時」を一言で言うとどうなりますでしょうか?」
K教授:「私は、日本の地方都市がようやく市民とともに自らの選択した自前の都市計画を持つことができた瞬間といえると思います。」
司会:「どうもありがとうございました。」

現在の犬山城下町は、人々が歩いて巡るまちとして再生しつつあります。市長は、重要伝統的建築物群の指定を得て、世界遺産への登録をめざしたいと夢を語ります。

(終)
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by hikonekeikan | 2008-04-13 00:52