NPO法人 彦根景観フォーラム

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第2回 辻番所サロン「芹橋生活」  2009/01/18

身分移動する下級武士 ―足軽と武家奉公人―   
              東谷 智(甲南大学文学部准教授)

 辻番所サロン「芹橋生活」の第2回目は、甲南大学文学部准教授 東谷 智さんが、一通の宗門送り状を読み解き、「下級武士の身分移動」という固定観念を破る実態を明らかにされた。

 東谷さんは、若い頃に彦根市史の編纂にアルバイトとして関わり、原史料にあたった経験をもつ。専門は日本近世史で、藩政機構・行政のしくみを研究対象とされ、フィールドは越後長岡藩、越前鯖江藩、津藩、彦根藩、山上藩(永源寺山上)、水口藩に及んでいる。自治体史の編纂にも関わり、「蒲生町史」、「永源寺町史」、「近江秦荘の歴史」の編纂や日野町、甲賀市の歴史調査にも参加されている。
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一通の宗旨送り状から
  意外だったのは、東谷さんの解説で一通の宗旨送り状が読めたことだ。
古文を読むのは苦手と思っていたが、足軽屋敷で記録文を読むと現場の臨場感とともに、多くのことが判明して楽しかった。少し長くなるが、紹介する。

 覚(おぼえ)
             舟橋右仲組(ふなはし うちゅうくみ)
                村瀬杢太夫妹(むらせもくだゆういもうと)
                        やお
一(ひとつ)
右之者、此度其村方新兵衛(みぎのもの、このたび そのむらかた しんべえ)
妻ニ縁付引越参候、是迄(つまにえんづきひっこしまいりそうろう、これまで)
当組内ニ罷在、悪事・差構(とうくみないにまかりあり、あくじ・さしかまえ)
之筋等無之、宗旨者代々(のすじなどこれなく、しゅうしはだいだい)
本願寺宗、御当地願通寺(ほんがんじしゅう、おんとうちがんつうじ)
旦那ニ候、則願相済候間、当(だんなにそうろう、すなわちねがいあいすみそうろうあいだ、とう)
卯之宗門御改帳御書載(うのしゅうもんおんあたらめちょうおんかきのせ)
可有之候、 已上(これあるべくそうろう、いじょう)

                 手代(てだい)
天保十四年            佐藤 延助 印(さとうのぶすけ)
 卯正月(うしょうがつ)    同(どう)
                    古川 牧太 印(ふるかわ まきた)

  蒲生郡市原野村(がもうぐんいちはらのむら)

            庄屋(しょうや)

            横目中(よこめちゅう)

 現在の役所では、私が生まれ、結婚し、子供が生まれ、死んだという情報を戸籍台帳でとらえ、住んでいる場所を住民基本台帳で把握する。それを変更するのは出生届や死亡届、転出届と転入届などである。
 こうした個人把握(人別という)を江戸時代は小さな町や村の庄屋や役人が宗門改帳に記載して毎年3月に領主に提出することで達成していた。宗旨送り状は一種の転出届であり、転入届が宗旨受取り状に相当する。
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武士から百姓へ
 ここに掲げた天保14年正月の宗旨送り状では、彦根藩士舟橋右仲(300石取り)に預けられた彦根藩鉄砲足軽三十人組の村瀬杢太夫の妹「やお」が、蒲生郡市原野村(現在の東近江市市原野町)の百姓・新兵衛の妻として嫁入りしたので、市原野村の宗門改帳に記載するよう依頼している。発行人は足軽手代の佐藤 延助と古川 牧太、受取人は村の庄屋と横目(目付)である。
 彦根藩では足軽は武士身分であるから、「やお」は武家から百姓に身分移動したことになる。宗旨送り状はそれを公式に認めている。

 300石取りの武家と百姓が結婚することは身分社会ではあり得ないが、足軽と百姓では身分が違うもののクラスは釣り合うと認められていたと推定される。
 想像力を逞しくすれば、何らかの事件や事情で足軽の妻が百姓出身であったり、百姓が足軽に採用されたりすることも、逆に足軽の世帯が百姓、町人になることも十分考えられる。
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武家奉公人
 もう一つの身分移動が「武家奉公人」である。
 武家奉公人とは中間(ちゅうげん)、小者(こもの)を指すのが一般的で、足軽を加える場合がある。中間・小者の定義は地域・藩・武家によって意味合いが異なり、区別が難しい。一般的に、中間とは武家の雑用を行い、大名行列では奴(やっこ)の役を務める期限付きもしくは一時雇いの奉公人で、小者は、武士の私的奉公人で住み込みで雑用を行ない、下人とも下男ともいう。
 これらを一括して「武家奉公人」と定義している。武家奉公人は、元来は税として村に奉公人を出すように賦課したものだが、次第にお金で納めるようになり(代銀納)、そのお金で奉公人を雇う形に変化した。

武士と武家奉公人が混在する下級武士
 上記のように従来は中間・小者を武家奉公人ととらえ、人別を村に残したまま(百姓身分のまま)武家に奉公する者と思われてきたが、東谷さんの研究により中間・小者の中には「武士」と「武家奉公人」が混在していることが明らかになった。
 享和2年(1802年)、彦根城下平田町では、女性の当主32名のうち10名が夫もしくは倅が「奉公人」と記されており、これは夫や倅が人別を武士に移動したため女性が当主になったとみられる。一方、平田町の105家のうち20家が武家奉公人とされており、これは人別を移動しない本来の「武家奉公人」である。

 このように、中間・小者には武士になるもの、ならないものがあり、複雑な身分移動が起こっている。こうした状況は、彦根藩の場合、足軽になると明確に武士に人別が移動し屋敷地にイエを形成するが、東谷さんが調べた旗本関氏(日野町中山に陣屋があった)の分限帳(武士の職員録)に記載された足軽は人数だけが記載されており、中間・小者と同じ扱いで武家奉公人の可能性が高いと思われる。


 いずれにせよ、下級武士は農民や町人との身分移動や交流があり、決して閉じた狭い世界ではなかったと言える。 芹橋の足軽組でも身分移動の実態が明らかになるのだろうか? 今後の研究に期待したい。

 最後に、もう一つだけ、私は思いたい。
 身分移動する人々が不幸であれ幸福であれ、その時こそ人として輝く真実の瞬間であった。そして、その輝きは今も未来も大切にしなければならないと。       (By E.H)
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 次回は、第3回 2月15日(日)10:30~12:00
渡辺 恒一さん(彦根城博物館学芸員)による「芹橋足軽組の居住配置の復元」です。
組を単位として組織され、形成された芹組足軽屋敷だが、どのような配置になっていたのか。辻番所の位置や複雑な住居の配置など謎が多い「組屋敷」の配置について話していただきます。
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by hikonekeikan | 2009-01-25 00:49 | 辻番所・足軽屋敷

多賀「里の駅」一圓屋敷 「味噌づくり体験」 & 「もちつき体験」フォト・レポート

多賀「里の駅」一圓屋敷 「味噌づくり体験」 のお知らせ

 多賀クラブ(多賀を元気にする有志の会)とNPO法人彦根景観フォーラムは、多賀町一円の古民家・一圓屋敷を、多賀「里の駅」として地域おこしの拠点とすべく、毎月第一土曜日に、《野菜市》&《集い》を開催しています。 多賀の新しい発見を、一圓屋敷から発信します。

2月7日(土) 10:30~12:00 集い4
「味噌作り体験」  (参加料300円)
  多賀で収穫した大豆から味噌を仕込み、味噌汁と古代米入りご飯をいただきます。
  自分で仕込んだ味噌を持ち帰りたい方は、予約をお願いします。
  (限定10名 実費として4kg 3,000円(参加料含む))
  連絡先:多賀クラブ(中川信子090-8791-4470)

今後の予定
  集い5 3月7日(土) 「ふきのとう三昧」
  集い6 4月4日 (土) 「春の野草を楽しむ」



多賀里の集い3 
もちつき体験 フォト・レポート

 1月10日(土)は「もちつき体験」でした。本当の杵と臼でついたもちは、店で買ったものとは全然ちがって、柔らかくて、しかも力強い歯ごたえ。
 では、フォト・レポートをお楽しみください。

杵と臼で、もちつき体験
① 蒸す
 はじめは、水に浸けた「もちごめ」を「せいろ」で蒸します。 餅米は滋賀羽二重を使用。
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② つく 
 蒸し上がると、臼と杵でつきます。ついている人は一般参加者です。
伝統的な餅つきを実際に見て、つき手と手返しの息のあった技に感動。
もちをつく人も手返す人も、動きが早すぎて、室内の光量ではカメラが追いつけません。
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③ つきたて餅の試食
 感心している間につきあがり、小さく丸めて、「きな粉もち」と「大根おろしもち」、「ぜんざい」になりました。よく伸びるおいしい餅を味わいました。この大根おろしが辛い。久しぶりの辛さです。合計4個食べました。
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④不思議な臼
 毎回新しい発見がある一圓屋敷。この日の発見はこの古い臼です。
よく見ると内側に年輪が3つ見えます。つまり、この大きな臼は3つの幹が集まって一本になった木の幹をくりぬいたということ??? 
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⑤ 伝統建築のすばらしさ 棟梁の思い
 同時開催で多賀町商工会主催の建築関係者研修会があり、一圓屋敷の構造説明を滋賀県立大学の濱崎一志教授(工学博士)が講師で行われました。テーマは、「伝統建築のすばらしさ、棟梁の思い」。棟梁でもあるみなさんは熱心に聞かれていました。
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⑥ 上屋柱
 一圓屋敷は何度も改築、改修がされていて、その後をたどることができます。
濱崎先生の説明によると、当初は茅葺きの農家で、四間取りか六間取りで、
改修された後に合掌づくりの後の上屋柱が残っています。これが上屋柱です。
これも新しい発見。


⑦ 合掌崩し
 「茅葺きを瓦葺きの家に改修することを、「合掌崩し、屋根上げ、大かぐら、
継屋」と一般に呼ぶのですが、多賀ではどう呼びますか」、という先生の質問に、皆さんは「合掌崩し」と答えられました。その後、建物を見て回られました。


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⑧ 建具
この建具をみてください。上段に枠がない形式です。濱崎先生は、この形式が年代推定の根拠になるかもと考え、皆さんに質問されたところ、これは近年まであった形式で、これで年代は推定できないという建具屋さんの答えでした。これも発見リストに登録しておこう。
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 地元農家の採りたて野菜市です。くるす古代米・カブラ・トマト・ホウレンソウ・イチゴ・ネギ・ニンジン・サラダ葉・大豆・小豆・黒豆・漬け物などいろいろ。
野菜は50円とか100円という値段。赤カブの漬物200円を2個、イチゴ1パック500円を買いました。イチゴはみずみずしい甘さで、とてもお値打ちでした。
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 9日の滋賀大学の研究会「農家民宿・二地域居住を考える」の講師としてこられた「ふるさと回帰総研」の先生たちと意見交換。
 この研究会では、今後の農山村の振興を図るうえで、特に、多賀「里の駅」事業を推進するうえでヒントになるお話をいただき、可能性を話し合いました。10日は現地で視察をしていただき、実際にいろいろな方向から見てもらうことができました。
久保多賀町長も交えての話ができ、次回は4月3日に来ていただく予定になりました。
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中央が玉田 樹(たつる)氏(ふるさと回帰総合政策研究所 所長) 著書に『兼業・兼居のすすめ』(東洋経済新報社)がある。国土審議会専門委員、内閣官房地域活性化伝道師。

外に出ると、一圓屋敷から見える山は、雪景色でした。かつて関ヶ原の戦いで敵中突破をした島津軍は、V字に切れ込んだこの五僧峠を越えて近江に逃れ、帰国したそうです。
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でも、民家の庭には、すでに春を告げる「ろうばい」が咲いていました。
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by hikonekeikan | 2009-01-24 12:32

《談話室》 それぞれの彦根物語 2008.4.19

【彦根物語43】
 「佐和山一夜城復元プロジェクト」  
   

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和田 一繁
(彦根商工会議所 青年部会長)



彦根商工会議所青年部(呼称 彦根YEG)は、2007年3月21日より11月25日250日間開催された国宝・彦根城築城400年祭の主催事業の一環として、佐和山一夜城復元プロジェクト行い 一夜城として佐和山山麓 に天守を模擬復元し(高さ約18m×横約13m)2つの名城に囲まれた彦根をアピールいたしました。

なぜ彦根城じゃなく佐和山城なのか?まず原点に戻ろうと、彦根初代・藩主井伊直政が最初に入城したのが佐和山城であります。
この佐和山の地から彦根藩が始まり戦国の世に彦根で落城した佐和山城、そして落城後築城された彦根城、この二城にスポットを当て、佐和山に天守を模擬復元し、期間中、二つの名城に囲まれた彦根をアピールしました。全国各地より、彦根佐和山の地に来ていただき歴史のロマンを感じていただいたと思います。
この佐和山一夜城をきっかけに、彦根のまち全体が更に元気になり彦根城や佐和山城、井伊家、石田三成等の誇れる歴史文化、人物の価値を、次世代につなげ伝承していく事が、この事業を通じて果たすべき我々の役目でありました。

またこの事業を通じて、彦根城だけではなく、彦根の新しい観光資源ツールを青年部として活用し地域活性化につなげて行きたい。
行政、市民の中で彦根YEGの存在価値を少しでも明確にし、共に彦根が更に元気になる事を考えた提案を増やしていきたい。

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by hikonekeikan | 2009-01-15 10:38 | 談話室「それぞれの彦根物語」

《談話室》 それぞれの彦根物語 2008.5.17

【彦根物語45】
 「彦根には、素晴らしいモノがありました ―彦根まちなか博物館―」

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安達 昇
(彦根商工会議所 中小企業相談所次長)




国宝・彦根城築城400年祭事業は、過去の失敗?ハコものでなく、イベントだけでなく、持続可能なテストケースとしてサスティナブルな事業を提案・実行したいという経済界からの提案であった。
「再発見と新創造」<Re-Discovery & New-Creation>をテーマに事業提案をした。中でも日本が誇るべき文化財としての彦根城と共に彦根の埋もれたお宝に着目した「彦根まちなか博物館」は、多くの市民に感動と参画を与えたことと思う。
明治の3大書家「日下部鳴鶴」・明治創設の私鉄電車「近江鉄道」・明治・大正のチラシ「彦根の引き札」・全国の郷土玩具収集家「高橋狗佛」のコレクションを一堂に展示することができた。
しかも市民参画という点で主婦・学生・公務員・社長などから構成する「カリスマ学芸員」の協力が成功へと導かれた。
また、各コレクションに関する業界協力者の存在も忘れてはならない。多くの人々と共に実現した「彦根まちなか博物館」は、今も夢京橋あかり館2階ギャラリーで継続されている。おもてなしの原点「一期一会」が彦根には、脈々と受け継がれている。

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【キーワード】
1.彦根まちなか博物館
2.カリスマ学芸員
3.国宝・彦根城築城400祭
4.再発見と新創造
5.日下部鳴鶴
6.近江鉄道
7.高橋狗佛
8.引き札
9.持続可能
10.一期一会
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by hikonekeikan | 2009-01-15 10:23 | 談話室「それぞれの彦根物語」

辻番所サロン「芹橋生活」1   江戸時代の足軽

 2008年12月21日(日)、第1回辻番所サロン「芹橋生活」が、彦根市芹橋二丁目の辻番所・足軽屋敷で開かれ、芹橋の住民など約50人が参加されました。
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辻番所保全活動の経過
 彦根景観フォーラムにとって、芹橋地域は「未来に遺したい日本の原風景」の典型であり、彦根の世界遺産登録申請の重要な鍵であると考えています。
 その芹橋二丁目のほぼ中央にあって、江戸末期から今日まで奇跡的に残った辻番所・足軽屋敷は、市民をはじめとする多くの皆様の寄付と、これを受けた彦根市の買い取りにより、売却・取り壊しを免れました。
 そして、市民と行政が力をあわせて、辻番所・足軽屋敷を保全しつつ活用するため、「彦根辻番所の会」が、12月から活動を開始しました。
 当面、毎月第3日曜日午前10時30分から12時まで、辻番所・足軽屋敷を活用して、辻番所サロン「芹橋生活」を開催します。まず、歴史的な話から始めて、芹橋の生活や、城下町の文化などに話題を広げていく予定です。


第1回 辻番所サロン「芹橋生活」
 2008年12月21日(日)の第1回目は、母利美和 京都女子大学教授、彦根景観フォーラム副理事長に「江戸時代の足軽」と題してお話しいただきました。足軽屋敷は30人の定員に対して50人近い人々が来られ、満員の状況でした。

「江戸時代の足軽」 
   母利美和 京都女子大学教授、彦根景観フォーラム副理事長

辻番所・足軽屋敷の住人であった足軽とはどんな人たちだったのか、江戸時代の一般的な足軽のイメージを紹介し、彦根藩の足軽と比較して特徴を明らかにしたい。

■ 江戸時代の足軽の一般的な姿
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 戦国時代には集団戦の主力であった足軽だが、江戸時代になると戦乱の終息により臨時雇いの足軽は大半が召し放たれ、武家奉公人や浪人となり、残った足軽は武家社会の末端を担うこととなった。
 徳川直属の足軽は、幕府の末端行政・警備警察要員として「徒士(かち)」や「同心」に採用された。
 諸藩では、大名直属の足軽は足軽組に編入され、平時は各所の番人や各種の雑用、「物書き足軽」と呼ばれる下級事務員に用いられた。このほかに、大身の武士(彦根藩は木俣家など)の家来(陪臣)にも足軽がいた。

●足軽は一代限りの身分
 足軽は、基本的に一代限りの身分である。実際には、引退に際して子弟や縁者を後継者とすることで世襲は可能であった。また、薄給ながら生活を維持できるため、後にその権利が「株」として売買され、裕福な農民、商人の二・三男の就職口ともなった。
 さらに、有能な人材を農民や町人から登用する際に、一時的に足軽として在籍させ、その後昇進させる等のステップとしての一面もあり、近世では下級公務員的性格へと変化した。足軽を帰農させ軽格の「郷士」として苗字帯刀を許し、藩境・周辺警備に当たらせた事例もある。(熊本藩、仙台藩)

●武家奉公人と同列の扱い
 このように、江戸時代の足軽は、鉄砲隊とは名ばかりで、地役人や臨時の江戸詰藩卒として動員されたりした。逆に好奇心旺盛な郷士の子弟は、これらの制度を利用して見聞を広めるために江戸詰め足軽に志願することもあった。また、「押足軽」と称する、中間・小者を指揮する役割の足軽もいた。足軽は、武家奉公人として中間・小者と同列と見られる例も多く、諸藩の分限帳には、足軽や中間の人名や禄高の記入がなく、ただ人数が記入されているものが多い。また、百姓や町人と同じ扱いをされた藩もあった。
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■ 彦根藩の足軽の特徴
●彦根藩の足軽組織
 彦根藩の足軽は 弓組20人が6組、鉄砲組30人が25組、40人が5組、50人が1組、合計1,120人の編成。各組は、武役席の物頭(ものがしら)が支配したが、数年から十数年で支配替えがあった。各組には、鉄砲、弓の流儀があり、物頭が交替しても流儀は変わらなかった。

●彦根では苗字帯刀を許された身分
 彦根藩の足軽は、苗字帯刀を許されていた。苗字を持たない中間・小者とは一線を画する身分として扱われ、慶長期の分限帳では、個々の人名までは把握できないが大坂両陣に出陣した足軽はすでに苗字をもっていた。

●一戸建・門構えのある足軽組屋敷を形成
 城下の「外ヶ輪」(外堀より外の第4郭)の居住区にそれぞれ50坪程度の屋敷地を与えられて一戸建ちの門構えのある屋敷を構え、組ごとに組屋敷を形成した。扶持高は、慶長7年(1602年)では、一人につき17石とされ、幕末期では20俵2人扶持とされた。
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●「武役」と「役儀」・彦根藩足軽の仕事
 武役では、弓・鉄砲による足軽隊として物頭の指揮のもと各騎馬組に従軍した。このため、日常から武芸稽古が求められ、稽古銀が支給された。寛政12年の善理橋(せりばし)十二丁目(鉄砲40人組)の場合、鉄砲矢場での作法、日常的な稽古の規則、矢場管理などが定められていた。
 戦争がなくなると、足軽は、井伊直孝の時代に武役の他に城中番を「役儀」として勤めるようになった。元禄8年(1695年)には、足軽組の一部が「御城内番」や城下11口に設けられた「御門番」を勤めていたことが記録されている。
 このほかに、江戸詰、普請方への「出人」、注進番・辻番、お屋敷見回り番、大津廻米舟への「上乗御用」、領内の「米見」(収穫高に応じて年貢を取るため筋奉行に同行して計算、記録をしていく役)、近国・遠国への使者派遣などを順番割当で勤めた。
 また、「引け人」とよばれ、作事方・御材木奉行・町奉行から引き抜かれ役儀を勤める者もあった。これらを含め、彦根藩では武士の80%が役儀を勤め、他藩に比べて非常に多い。

 彦根藩の足軽は他藩にくらべ優遇されている。
他藩では長屋住まいが普通であるが、屋敷地が与えられ門付きの一戸建てを構え、すべてが城下に住み、給与が保証された。
 これは、役儀が割当てられ藩政機構に位置づけられたことと関連が深いとみられる。金沢藩とほぼ同じ扱いである。
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■ 町人との関係解明が今後の焦点
 今後の研究ポイントは、町人と足軽との関係の解明である。足軽屋敷地は、本町、河原町といった商業地と接しており、日常生活でも町人との関係が強かったと見られる。この関係を解明する史料があれば足軽の暮らしが解明できる可能性がある。
 皆さんのお宅にあれば是非見せていただきたい。

質問1:私の家は勘定人町にあり、先祖は勘定奉行であったといいます。勘定人はどのような足軽なのでしょうか?
 勘定人は藩の経理・財政を担当する、今日でいうと主計官であり、足軽とは違います。勘定人は、彦根では芹組足軽屋敷と隣接していますが、勘定人町という別の居住区を割り当てられ、宗安寺の隣の勘定所という役所に勤めていたのです。
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質問2:鉄砲矢場はどこにあったのでしょうか? 
 残念ながら私も知りません。どなたか、ご存じの方はおられますか。
(会場から)芹橋の古地図に「矢場」という区画の記述がありました。

質問3 筆頭家老の木俣家にも足軽がいたということでしょうか? どこに住んでいたのでしょうか?
 木俣家は、約400人の家臣を抱えており、そのなかには足軽身分の人もいました。
 彦根城下町には、いくつもの木俣屋敷、木俣家下屋敷があり、長屋門などで居住していたと考えられます。
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1~3月のサロン『芹橋生活』の予定は次のとおりです。

第2回 1月18日(日)10:30~12:00
     東谷 智(甲南大学文学部准教授)
     身分移動する下級武士 ―足軽と武家奉公人―

第3回 2月15日(日)10:30~12:00
     渡辺 恒一(彦根城博物館学芸員)
     芹橋足軽組の居住配置の復元

第4回 3月15日(日)10:30~12:00
     母利 美和(彦根景観フォーラム副理事長、 京都女子大学文学部教授)
     足軽善利組の変遷


定員 30名   ※暖房費 100円
主催:NPO法人彦根景観フォーラム、彦根辻番所の会
※駐車場はありません。駐輪場は利用していただけます。
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by hikonekeikan | 2009-01-12 00:47 | 辻番所・足軽屋敷

多賀「里の駅」一圓屋敷 里の集い2 

新そば三昧(ざんまい) フォト・レポート

 多賀クラブ(多賀を元気にする有志の会)と彦根景観フォーラムでは、多賀「里の駅」一圓屋敷で、毎月第一土曜日に、《野菜市》&《集い》を開催しています。

 12月6日(土)は「新そば三昧(ざんまい)」。生産農家が語るそば栽培、そば打ち実演、そばがきの試食を楽しみました。
 多賀町は、そばの作付け面積、生産量ともに近畿一だということを知っていましたか?
 では、フォトレポートをお楽しみください。

野鳥の森」 冬鳥の観察
 一圓屋敷のすぐ近くに「野鳥の森」があります。
 9時から10時30分まで野鳥の森自然観察会が同時に開かれています。
 この日は冬鳥の観察会でした。
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静かな芹川ダム(農業用水ダム)に山と空が映っている。
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ヘビイチゴの実。 ルビーのように輝き、甘ずっぱい味がした。
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おしどりが見えた!!
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まるで、満天の星くずのよう・・・・・・☆
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紅葉と黄葉が重なる。 圧倒的で妖艶なまでの美しさに息をのむ
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新そば三昧(ざんまい)
 一圓屋敷に戻って、いよいよ新そばで~す。
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石臼でひいたそば粉に水を加えて、こねます。
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次に、めん打ち棒で薄く延ばします。
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そして、細く切る。 このあと、ゆでると・・・・・・・
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そばができあがり。やや太い田舎風。
下はそばがき。簡単にできておいしい。わさび醤油でいただきました。
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これは、古代米でつくったおにぎり。プチプチした粒が新鮮な舌触りでおいしい。
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両方、いただきました! ごちそうさまでした。 なんだか元気になったぞ。
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次回は、1月10日(土)の「もちつき体験」。 また、レポートします。
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by hikonekeikan | 2009-01-11 00:13

多賀「里の駅」一圓屋敷 とりたて野菜市&里の集い

多賀クラブ(多賀を元気にする有志の会)では、多賀「里の駅」一圓屋敷で、毎月第一土曜日に、《野菜市》&《集い》を開催しています。

1月10日(土) 地元農家の採りたて野菜市   9:00~12:00
          里の集い 3  「餅つき体験」 10:30~12:00
          餅つきの解説、体験、つきたて餅の賞味 (参加料300円)


今後の予定は次のとおりです。
里の集い 4  2月7日(土) 「味噌作り体験」 
 多賀で収穫した大豆から味噌を仕込みます。自分の味噌を作り持ち帰りたい方は、予約をお願いします。(10名様まで、実費必要)

里の集い 5  3月7日(土) 「ふきのとう三昧」
 春の味覚を味わいましょう。ふきのとう味噌、天ぷらなどお楽しみがいっぱいです。

ご連絡は、多賀クラブ(中川信子090-8791-4470)まで
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by hikonekeikan | 2009-01-01 19:50

農家民宿・二地域居住を考える 研究会のお知らせ

【研究会のお知らせ】

今後の農山村の振興を図るうえで、特に、多賀「里の駅」事業を推進するうえで
ヒントになるお話を専門家からいただき、その実現可能性を話し合う研究会です。
皆様の参加をお待ちしております。

テーマ:農家民宿・二地域居住を考える
講 師:玉田 樹(たつる)氏(ふるさと回帰総合政策研究所 所長)
    著書『兼業・兼居のすすめ』(東洋経済新報社)
    国土審議会専門委員、内閣官房地域活性化伝道師
日 時:平成21年1月9日(金)19:00~21:00
場 所:滋賀大学産業共同研究センター会議室
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by hikonekeikan | 2009-01-01 17:09

年頭のごあいさつ

「一座建立(いちざ・こんりゅう)」 模索の‘09年

 明けましておめでとうございます。

 旧聞ですが、「彦根古民家再生トラスト」は、昨年末、晴れて解散しました。「辻番所の会」と連携して、市民による自主管理のあり方を模索する段階に入ります。
 多賀「里の駅」も昨年夏にわがNPOの所有になりました。「多賀クラブ」と協力して、経営管理のあり方を追求する段階に入ります。
 彦根「街の駅」はLLPによる経営が順調に進んでおり、わがNPOが今後どのように協力するかが問われます。

 これらの模索にあたっては、世阿弥が唱えた「一座建立」で臨みたい。
 作家・井上靖は、「お茶の世界の楽しさも、高さも、その一座に居合わせたものが、お互いに相手を尊敬し、心を合わせ、心和んだ高い時間を共有しようという気持があって初めて、生み出すことができる」と書いています。 「お茶」を「模索」に代えて唱和ください。

 2009年(平成21年)1月1日
                       NPO法人彦根景観フォーラム  理事長 山崎 一眞
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by hikonekeikan | 2009-01-01 16:20