NPO法人 彦根景観フォーラム

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それぞれの彦根物語70 開催のお知らせ

それぞれの彦根物語70 
日時 平成21年12月19日(土)10:30~12:00
会場 ひこね街の駅「寺子屋力石」

「昭和初期の彦根」
語り手: 渋谷 淑子(グループ樟くすのき 美術教育部 金亀土壽シブヤ代表)
シブヤ写真館初代館主渋谷定次郎(渋谷淑子の父)が撮した写真をとおして、昭和初期の彦根を語る
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by hikonekeikan | 2009-11-21 15:48 | 談話室「それぞれの彦根物語」

多賀里の駅 12月のつどい ・・12月5日(土)

多賀里の駅 12月のつどい

 忙しい12月ですが、ホッと一息、「里の駅」でくつろいでみませんか。

 12月のつどいは、「多賀鍋」を囲んで心身ともに癒しましょう
「多賀鍋」は、多賀小学校の給食で誕生したもので、食材はすべて多賀産を利用して作る鍋です。野菜たっぷりのおいしい出汁でいただく鍋です。このおいしい出汁も多賀町で作られているお醤油屋さんの出汁なんです。

①お話会 ・・・・ 午前10時30分~12時
  内容:「一圓屋敷でみつけた絵はがき」
    話し手: 細馬 宏通氏(滋賀県立大学)

②試食会 ・・・ 午後12時~  
  「多賀鍋」  参加費:おひとり 500円
  ※試食会に参加ご希望の方は、10時30分迄に受付名簿にご記入下さい。

③野菜市 ・・・ 午前9時~12時

④野鳥の森
   「冬鳥の観察会」  午前9時~10時30分
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by hikonekeikan | 2009-11-21 15:33

いろは組 一圓庭園講演会 

日本庭園の楽しみ方と
        市民による庭園再生
 
                     平成21年11月15日(日) 多賀里の駅・一圓屋敷
                     主催:彦根景観フォーラム、多賀クラブ、いろは組
                     一般参加者 約30名
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いろは組 代表 森口 朝行 あいさつ
 いろは組は、若き庭師の集団で、単に庭木の葉を刈る「葉刈り」ではなく、庭全体の管理を行う「庭師」を目指す団体です。いろは組は、多賀町一円にある「一圓屋敷」庭園で、庭木剪定の講習会を開いたご縁で、このたび私たちの活動を広く知っていただくとともに、この庭園をもっと皆さんが身近に感じていただけるよう庭園講演会を開催しました。
 講師は、彦根城の庭園である玄宮楽々園庭園植栽管理実施設計を担当いただいた京都造形芸術大学芸術学部環境デザイン学科ランドスケープデザインコース教授の仲 隆裕 先生です。
 先生は、1963年京都うまれ、千葉大学外学院園芸学研究科を修了後、京都大学で農学博士の学位を取得、日本庭園史・遺跡整備計画を専攻、宇治平等院の庭園を始め多くの歴史的庭園を修復、オーストリアシェーンブルク宮殿の日本庭園の修復も手がけられております。先生には、日本庭園の見方と市民が参加した庭園再生についても紹介いただきます。


日本庭園の楽しみと市民参加の庭園再生  
     仲 隆裕 京都造形芸術大学芸術学部教授
 
 
 日本庭園には様式があり、それを手がかりにして庭園を見ると庭園のさまざまな工夫や見せ方がわかり、楽しみが増えます。その手がかりをお伝えし、この立派な庭園を皆さんで守っていっていただきたい。

d0087325_14594727.jpg一圓庭園の楽しみ方
 庭と建築は密接につながっており、日本建築では大きく寝殿造りと書院づくりの2つの様式があります。平安時代の貴族の邸宅であった寝殿造りでは、庭はさまざまな儀式や娯楽の場でした。しかし、武士の世になると、寝殿造りでは主人が上位の客を迎えたり、大勢の部下をもてなす公式の部屋がないので、書院という大きな応接間を作りました。書院には上座と下座という位を示す演出があり、床の間のある方が上位とされました。
 一圓屋敷では、座敷が2つあり、東西方向の座敷には床の間と仏壇が、南北方向の座敷には床の間と違い棚が設けられています。この場合、床の間と違い棚がある座敷が最も格式が高く、この床の間と違い棚を背にして庭を見ると最も美しく見えるように庭は設計されています。これを座観式庭園といい、歩いて楽しむ回遊式庭園とは区別されます。
 一圓屋敷は、建物が南北方向の座敷と東西方向の座敷という室町期と江戸期の様式を両方もっている珍しい形態です。庭園は、相当の腕をもつ庭師が作ったと思われます。
日本庭園は、上手が山、下手が海で、山から川が流れ海につながる景色が描かれます。表現様式はほぼ同じで、材料と組み方で特徴を出します。

 庭の構成要素ですが、まず石組みです。「めでたさ」を取り入れるのに、石の由来、石が生み出す雰囲気や物語、中国の故事を利用します。どこどこのいわれのある名石だとか中国の仙人がすむ山を表現した石組みなどがあります。また、灯籠も春日大社の灯籠を模したもので格式を表現します。常緑樹もめでたさの象徴で、石を中心に常緑樹を配して遠近感を出します。
 江戸後期から明治になると一般の民家にも茶庭(露地)のおもしろさを追求した洒落た数寄屋風が導入され、変わり灯籠や飛び石が配置され、飛び石伝いに庭を回れるようになってきます。一般の民家でも山水画の世界に入り込んで遊ぶ「画遊」のように、庭で遊ぶ要素がでてきます。

 縁先手水鉢にもいい石を使っています。「どこの産の石でしょうか?」と話題にするわけです。かがみ石は、手水鉢の水がはねて建物を濡らすのを防ぐために立ててあり、かがまないと見えないので「かがみ石」といいます。手水鉢で人が手を出すと下男が柄杓で水をかけます。手水鉢に水を入れるために木桶を置く台として手水鉢の石の横にもう一つの石が立てられています。その後ろに木を植え奥行きを出すとともに、手前にはハランを植えて清らかさを見せる手法です。
 たたみ石もあります。これは、小さな石を畳のように敷いていくため、千個ぐらい集めて100個ぐらいしか使えません。
 石の橋は3つありますが、奥の橋を高くかけて遠近感を出しています。
広い庭なら中島を作って常緑樹を植えるのですが、狭い庭では岬を作って中島のように見せるテクニックを使っています。三尊石(山)から橋(川)をとおり、水分け石で海に流れるように見せるので、相当の腕をもった庭師だと思います。
 生け垣は、民家や生活の気配などの周辺の風景を消して、空や山を見せるものです。
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歴史的庭園を楽しむ

 歴史的庭園には、池庭、枯山水、茶庭(露地)の3つのタイプがあり、実際にはこの3つが組み合わされて造られていることが多いものです。
 修学院離宮や桂離宮の造園は、背景に江戸初期の天皇と江戸幕府の主導権争いがあり、そうした背景の元に庭園をみるとおもしろいのです。修学院離宮は、山の斜面にダムをつくり広大な浴龍池を徳川幕府に作らせますが、いつでも堰を切って闘うという姿勢を見せているように思えます。桂離宮も回遊式庭園ですが、八条宮智仁親王のために徳川幕府が作ったのです。この親王は後水尾天皇と幕府の対立の仲介役で、天皇家が政治の世界から締め出されると、源氏物語の世界を再現しようと藤原道長の旧領地に回遊式庭園を作らせ風雅の世界に遊びます。ここでは、天の橋立を縮めて表現したりしています。
 このほかに、坪庭が京都の町屋では見られます。また、平安時代の寝殿造りの庭でも坪庭がありますが、これは全く別のものです。

日本庭園の技法
 日本庭園の技法をいくつか見てみましょう。
 まず、借景です。山の稜線を利用する事が多いのですが、中国では、仰ぎ見る、俯瞰する、隣の庭を借りるなどの技法があります。
 次は、三尊石組です。三角形の石組みで、変化がありながら形が安定している技法です。日本では、仏画で中央の中尊と左右に侍立する脇侍(きょうじ)と見立てています。 醍醐寺の三尊石は、藤戸石と呼ばれる石で信長、秀吉と権力の象徴として扱われた石です。
 次に、池、滝、遣水、州浜です。嵯峨の大覚寺では、「なこその滝」の石組みが発掘されました。日本庭園は自然景観に学び、一部を切り取り、省略化して表現しています。
 明治期になると、自然主義が庭園にも影響を与えます。自由な樹形や水の流れが取り入れられます。

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身近な庭・公園を楽しむ
 少し前までは、一般家庭では、生け垣が防犯の側面をもって採用されていましたが、最近の住宅は建物自体の防犯性能が高まったため、生け垣が少なくなり、小さな前庭や車よせの植栽が主流になっています。
 小さな面積で立体的に楽しむ、そして道路から見て楽しむ庭になりつつあります。

市民による庭園再生
 舞鶴で、江戸期の庄屋の建物を文化財として1億円をかけて修復したとき、地元の人たちがワークショップで庭園を再生した事例を紹介します。
 もともと地元の人たちは、落ち葉がたまり土で覆われているので、それを取り除くくらいの意識でしたが、指導を受けて取り組んでいくうちに関心が高まり、再生をめざすとなりました。予算はゼロでした。山から粘土を取ってきて水路に打ち込んだり、近くの道路の崖からコケを移植して、強い品種を見極めてさらに植えたり、夏には水をやったり、池の底から壺が出てきたときは色めき立ったり、石を川で洗って敷き詰めたり、毎月1回土日に作業をしました。再生された庭は、みんなで管理しています。
 別の再生事例では、庭底の粘土で鉢を焼き、コケと植物で寄せ植えを作って展示したり、庭木のシュロのひげでシュロ縄や箒を作るワークショップをしました。
 一園庭園も、専門家の指導を受けながらも、皆さんで是非楽しみながら管理していっていただきたい。

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質疑
 この後、一圓庭園について、仲先生は参加者の具体的な質問にこたえられました。主な応答は以下のとおりです。
○この庭の造られた時期はわかりますか? 
☆庭の様式だけで時代を特定するのはむずかしい。建物の建設時期と同時と考えるのが自然。安政年間(約150年前)に建物が建っているのでその時期と考えられます。
○庭石の多くが天面が平らになっているが、意味があるのか。人工的に削ったのか
☆平らにすると広がりがでて穏やかな庭になります。二条城には、一方から見ると尖った石の荒々しい庭園に見えるが、別の方向から見ると平らな石の穏やかな庭園にみえる庭があります。石はすべて自然石を選んで使っています。
○鶴島、亀島というが、鶴は正面の岬だと思うが亀はどれか?
☆かならず鶴と亀がいるというわけではありません。どれが鶴で亀かは見立てであり、水面ぎりぎりに現れている大きく平らな石が亀という見立てかもしれません。 (終)
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by hikonekeikan | 2009-11-21 15:13

彦根まちなか見聞録 昭和30年代の写真が描く過去と未来

それぞれの彦根物語69 平成21年11月14日(土)

 「うるわしき湖国よ永遠に」  琵琶湖博物館ギャラリー展から
          大橋 洋(親子二代のアマチュア写真家)


d0087325_14135358.jpg 写真は、流れていく時間の一瞬を切り取る。その魅力は、撮影者が最も美しいと感じる瞬間を記録する点だ。だからこそ、写真には記録以上の共感がある。どんな角度で、どこの位置から、どんな構図で何を狙って、何を残そうとしたのかが伝わってくる。

 彦根在住の大橋さんは、お父さんの宇一郎さんの撮り溜めた膨大な写真を整理し、自らもその場所に行って現在の様子を撮影した。そして、定年後に滋賀県立琵琶湖博物館の「はしかけ」(ボランティア学芸員)となり、2008年9月~11月まで「うるわしき琵琶湖よ永遠に-父子の見た湖国」というギャラリー展示を博物館で行った。
 今回の彦根物語ではその中から主なものを選んで紹介された。 長曽根の湖岸、彦根港-松原回転橋、松原浜、彦根駅前、銀座街、昭和新道付近などを中心に、主に昭和30年代と現在の写真を比べつつ、参加者から思い出や写っている人物についての情報を聞かれた。

失われた撮影ポイント
 大橋さんによると、かつて父が撮影したであろう地点を探して行ってみると、撮影場所自体が消えてしまっていることが多くあるという。長曽根の長い砂浜は、貸ボートやヨットでにぎわったが、今は湖岸道路敷になっている。市営国民宿舎「湖城荘」前に広がる湖岸は埋め立てられて、ホテルなどが建っている。佐和山を背景とした松原内湖で舟遊びをする子ども達を撮った場所も失われている。

湖と人
 白黒写真を見ていて、まず気づくのは「湖と人との近さ」だ。伊勢湾台風の後に砂浜に打ち上げられた流木を拾い薪にする人々、小中学校の水上運動会、地引き網漁、えり漁、シジミ漁、砂浜で若い女性達が綱引きをしたり、ファッションショーが催されたり、遊覧船で竹生島観光から彦根港に帰ってくるデッキ一杯の人々。湖は仕事の場であり、生活の場であり、学びの場であり、娯楽の場であったのだ。現在ではほとんど人はいない。したがって、写真も平板になり、おもしろくない。
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まちなみとこども達
 町並みが、都市計画道路によって暴力的に変わっていく過程も記録されている。ある商店の昭和30年代の白黒写真と現在の一見モダンな看板建築に覆われた店舗を見比べると、かつての重厚な店舗に戻した方がずっと人気が出るのではないかと思われた。
 子ども達も粗末な衣服であるが道路でさまざまな遊びをしている。コマ回しやたこ揚げ、獅子舞のまね、魚とり、ザリガニつかみ、ひなたぼっこ、大根を干す「はさ」組みに登るなど、子ども達だけの集団で生き生きと身体を使っている。こんな風景は最近めったに見られない。

現在から未来へ
 最後に、大橋さんは気になることを言った。私が死ぬときあの世に持って行くものは、私が撮った写真ではなく親父が撮った写真だと。たしかに、生き生きとしたすばらしい写真だが、それだけでいいのだろうか。
 私は、写真は過去から現在へ、現在から未来への贈り物だと思う。これらの写真は、大橋宇一郎さんから私たちへの素敵なメッセージが込められたプレゼントだと思う。それを受け取り、どう活かすのかは、私たちの世代の責任ではないだろうか。 (By E・H )
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by hikonekeikan | 2009-11-21 14:25 | 談話室「それぞれの彦根物語」

足軽辻番所サロン 芹橋生活の再開

第8回 足軽辻番所サロン 芹橋生活 のご案内

 日時 11月15日(日)10:30~12:00
 場所 芹橋二丁目4-56 太田邸
       (辻番所修復工事のため、しばらく他の足軽屋敷をお借りします)

 テーマ 彦根城下町の江戸期再現CG(コンピュータ・グラフィックス)
      足軽辻番所の修復について


 語り手 谷口 徹 さん(彦根市文化財課長)
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by hikonekeikan | 2009-11-10 22:55 | 辻番所・足軽屋敷

すぐわかる日本庭園のみかた講演会

日本庭園の見かた、楽しみ方 講演会のご案内

 多賀「里の駅」一圓屋敷を会場に、若手庭師集団「いろは組」主催の日本庭園講習会を開催します。
一圓屋敷庭園を事例として、意外と知らない日本庭園の見かた、楽しみかたを解説していただきます。

 ● 日時 平成21年11月15日(日)10:00~11:30
 ● 場所 一圓屋敷庭園(多賀町一円149番地)
 ● 講師 仲 隆裕 京都造形芸術大学教授
   (平等院庭園の整備など多数の日本庭園整備に参加、彦根城跡整備検討会委員)

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by hikonekeikan | 2009-11-10 22:46

お知らせ それぞれの彦根物語、多賀里の駅

それぞれの彦根物語69
 11月14日(土)10:30~12:00 寺子屋力石(彦根市河原2丁目花しょうぶ通り)

 うるわしき湖国よ永遠に 琵琶湖博物館ギャラリー展から
     大橋 洋さん(親子二代のアマチュア写真家)
 
昭和の近江を60年余り撮り続けた父・大橋宇三郎と、平成の滋賀を撮る息子・大橋洋の親子今昔写真館にご案内します。 長曽根から松原に至る湖岸の移り変わり、えびす講でにぎわうマルビシ百貨店、県内各地の祭事などなつかしい写真がいっぱいです。


多賀里の駅 11月の集い 
 11月7日(土) 9:00 野菜市、野鳥の森観察会
          10:30 集い12 お話 「美しい多賀の星空」
                      高橋 進さん(ダイニックアストロパーク天究館館長)
                試食会 赤米と季節野菜の味噌汁
                参加料 500円
  会場:多賀町一円149 一圓屋敷
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by hikonekeikan | 2009-11-03 23:21

彦根まちなか見聞録 近江八坂ふるさと絵屏風が語るもの

それぞれの彦根物語67
 9月12日(土)の「それぞれの彦根物語」では、地域の高齢者の記憶を心象絵図に結晶させた「ふるさと絵屏風」の世界を、上田洋平さんが語った。
 上田さんは、彦根市八坂町にある滋賀県立大学の地域づくり教育研究センター地域再生学座の若手研究員で、地元学で新しい手法を開発した。その手法は「心象図法」と呼ばれ、地域づくりに新しい光を当てるものだ。上田さん達はこの方法で美しい「近江八坂絵図」を作った。
 お話は、前半が心象図法の背景や方法の説明、後半は「近江八坂絵図」の絵解きとなったが、後半は落語のようなおもしろさ、うんうんと頷いてしまう臨場感だった。
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心象図法とは
 心象図法は、簡単に言うと、地域に暮らす一人一人の「五感体験」を集め、語り合いながら、自分たちが暮らし、愛する地域、「心のふるさと」のイメージを、一枚の大きな絵図に仕上げてゆく手法で、地域の老若男女が世代を超えて地域のイメージを共有するきっかけになる参加型の楽しい作業であり、ふるさとを発見しまちづくりにつながるものとして注目を集めている。

 心象絵図の武器としての強みは、地域を全体として捉え地域の生活体験を「百聞を一見にして」見せるところ、そして、地域の人が自ら語り出す「地域のこころ」に迫る技であるところだ。具体的な手法は割愛するが、できあがった心象絵図は美しい屏風になって、次世代に語られるというだけではなく、地域の宝物として公民館などに飾られ、まちづくりのシンボルになるのだ。

「身識」を誘発する「ふるさと絵図」
 ふるさと絵屏風の効果は驚くべきものだ。
 日本は昭和30年代を境に大きく地域の生活が変貌し始める。主に地域の高齢者の体に刻み込まれた生活の記憶から描かれたふるさと絵屏風は、昭和30年代の「身識」(体にしみこんだ知識を意味する。個人の体験に裏付けされていない「知識」の対義語として上田さんが使う用語)の集大成であり、絵解きの会では、口々に思い出話が出て実演が始まる。

 上田さんが見せてくれたビデオでは、田植えの絵をみて「おばあさん」が、「苗をこう持って、こういう風に、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、(素早く一歩下がって)ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、」と、腰を落としてリズミカルに苗を植える仕草を実演してみせた。あまりの見事さに周りからほめられると「これができるまで、姑さんからみっちりしこまれたなぁ」と照れ笑いしながらも得意そうだった。身体が田植え動作を覚えていることを実感させる姿だった。

 いま注目されているのは、認知症の予防、ケアに対する効果だ。8月23日、高島市で脳科学者茂木健一郎を招いたシンポジウムでは、絵屏風を使った回想法が認知症の予防・ケアに役立ったことが報告がされた。現在、高島市では「はあとふるマキノ」や市内5カ所の地域サロンで絵屏風回想法の本格的な有効性評価を進めている。

広がる「ふるさと絵屏風」づくり
 地域の「身識」を「百聞を一見にする」ふるさと絵屏風づくりは、滋賀県内各地に広がっている。すでに13近くの地域で絵屏風が完成し、さらに幾つもの地域で上田さんの指導を受けて作成中という。寺子屋力石にも草津市の駅前商店街で絵屏風づくりに取り組もうという人たちが、話を聞こうと参加されていた。
 
 これほどの人気の秘密は何だろうか。一つには「なつかしい」ということがあるだろう。
 それ以外に、地域というものの意味や厚みが現在とは全く違うことが実感できる。我々は、その土地に住んでいるだけで、仕事や学校は別の地域に通い、買い物は郊外のスーパーマーケットで地域とは無関係のモノを買い、遊びには都会や観光地に出かけていく。暇になれば家でテレビを見ている。子ども達はビデオゲームに興じている。実体としての地元との接触面の大きさが格段に違う。5感による「身識」がとても少ないのだ。
 それが、絵屏風による絵解きを体験すると、追体験であっても、楽しくって、生き生きとしていて、すごくおもしろい。脳が求めているものを与えられて喜ぶという感じなのだ。
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絵解き「近江八坂絵図」
 「さぁさぁ、お立ち会い!これなるは、近江・八坂の昭和30年代の暮らしを描いた絵図にこざいます。」と上田さんが、寄席の落語を真似て扇子を振りながら、軽快なテンポで絵解きを始めた。金泥をつかい洛中洛外図のような美しい近江八坂絵図を描いた岡本康臣さんも彦根の若者だ。上田さんの絵解きのおもしろさを文章で再現することは不可能なので、絵屏風を解説する。

 絵屏風は右から春夏秋冬と描き分けられている。春、レンゲの花を水田に鋤き込むと水路にピンク色のゲンゲ汁が流れ、アクの強さに魚が酔って浮かび上がる。それを子ども達がすくって晩ご飯のおかずにした。その隣を嫁入り行列が行く。花嫁は白ではなく黒の和服に角隠しをつけ、荷物を担いだ人たちの後を歩む。琵琶湖岸の砂地の畑には「らっきょう」が栽培されている。女性が肥料をやっているがこれは小鮎だという。犬上川では産卵期に大量に小鮎がとれたので肥料にしたのだ。屏風の中央には木和田神社の祭の行列が描かれる。湖岸には地引き網を引く人、シジミ貝を捕る人、鮎のオイサデ漁が描かれ、沖の多景島をめざして神社のお供えを積んだ多くの小舟が漕ぎだしている。浜辺に腰を下ろしている男女は夏の夜の夕涼みだ。かたわらに蚊よけのたき火があり、その火が点々と夜の水辺に見えたという。また、冬には、漬け物用の大量の大根を「はさ」に架け寒風にさらしたため湖岸に白い壁ができたという。
 絵解きは、果てしなく楽しい時間が続くのではないかと思われた。

 最後に上田さんは、「最近、絵屏風づくりに尽力いただいた皆さんの訃報をよく聞くようになり、早く記録に残さなければと焦っています」と話された。地域の記憶が消えてゆく寂しさと同時に、本当にこれでいいのかというもう一つの焦りを感じた。(by E.H)
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by hikonekeikan | 2009-11-03 22:54 | 談話室「それぞれの彦根物語」