NPO法人 彦根景観フォーラム

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《談話室》それぞれの彦根物語2011.4.16

【彦根物語80】
  「大橋利左衛門 ―荒神山に木々を再び」   
 
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寺村 二三夫 (元高校教師)

 寺子屋力石の再オープンの平成23年4月16日、再生の物語として「大橋利左衛門」について話をしました。きっかけは「こんきくらぶ」3月号の巻頭特集として取材を受け記載された記事です。大橋利左衛門氏は彦根の南部に位置する日夏という農村地帯に生まれ、明治の初めの激動期に先見の明を持って地域の発展に貢献した若き政治家です。嘉永5年(1852)に生まれ、明治21年(1888)37歳で亡くなられますが、明治11年には荒神山の造林計画を立て、山林保護規則を設けて禿山を緑の山に再生させます。明治13年には県会議員・村会議員・自由民権運動にも参画します。明治18年の水害の時には戸長として田の排水事業を実施、明治20年には連合戸長として中仙道と朝鮮人街道を繋ぐ道路の工事を施行します。
 談話室では最初に、江戸時代から明治に変る激動期にこのような若き政治家を生んだ背景について考察しました。次に郷土史「日夏の歴史」の発行に際して発見した古文書をもとにして、寛永6年(1629)の草場問答、宝暦8年(1758)の山論、江戸時代末の山林保護の取り組みを基にして、禿山になった経緯を考察し、利左衛門氏の取り組みについて紹介しました。最後に明治13年の最初の村会の延べ13日・271ページに及ぶ議事録や議事堂の新築など地域の人たちと共に考え、取り組まれた地域づくりの実践について考えました。このことは現代にも通じる課題であると考えます。

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唐崎神社の森(手前は宇曽川)

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大橋利左衛門顕彰碑

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宝暦8年10月の山論の絵図

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荒神山の城山(手前は荒神山公園)

【キーワード】
荒神山
禿山
草場問答
山論
湖東移民
留山
排水事業
水害
年貢率
戸長
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by hikonekeikan | 2011-04-30 11:23 | 談話室「それぞれの彦根物語」

彦根景観シンポジウム2010 彦根・芹橋のまちづくりを考える(1)

特集:彦根景観シンポジウム2010
彦根・芹橋のまちづくりを考える(1)
     路地がひらく未来の芹橋 

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 彦根景観フォーラムと彦根辻番所の会は、2010年11月23日、四番町ダイニング多目的ホールで彦根景観シンポジウム2010を開催しました。

 テーマは「路地を生かす」。

 シンポジウムに先だち、午前中に芹橋地区に彦根藩時代から残る足軽組屋敷地の路地や辻番所、さらには足軽屋敷の内部を散策し、急速に変貌していく路地の景観や住宅開発の様子をつぶさに見学しました。

 午後は、理事長の問題提起に基づき、3名の講師の講演とその後に約80名の参加者で熱心な討議が行われました。

その主な内容を2回に分けて特集します。



「若者も住みたい芹橋」をめざして
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 冒頭に、山崎一眞・彦根景観フォーラム理事長が、次のように問題提起しました。

 足軽屋敷や幅一間半(2.7m)の路地が残る芹橋地区では、人口が減り高齢化が進んで、くしの歯が抜けるように空き地や青空駐車場が増え、周囲とは異質な外観の建物、自動車を自宅前に駐車する住宅が次々と建てられて、歴史的まちなみと路地の維持が危うくなっている。

 2010年1月、「まちの活性化・都市デザイン競技」発表会が開催され、芹橋二丁目を対象とした「路地を生かす」提案(国土交通大臣賞ほか)が発表された。

 今回は「路地と歴史的まちなみを生かし、同時に若者も喜んで住む芹橋をつくる」ことを課題とし、路地の現代的価値や交通・防災の対応などについて、専門家と住民、関係者で十分に議論したい。

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路地からのまちづくり (基調講演) 
d0087325_21114441.jpg 西村幸夫・東京大学大学院教授は、1月のデザイン競技が、本来不適格とされている道幅4mに満たない路地を生かす提案を取り上げたのは時代の変化を象徴するものだ。 景観まちづくりの近年の動向をみても、身近な景観の価値が重視され、国も特色あるまちづくりを積極的に応援する方向にあると述べられました。

 そして、東京、倉敷、鞆の浦、佐渡などの路地を紹介され、武家地として芹橋に匹敵する路地を持つのは中津(大分県)ぐらいで、塀と屋敷で構成される直線的な路地の構成が武家地の特徴であるとされました。


路地のもつ現代的な価値と意味
 これには、3つの側面があるとされました。
1,レトロとしての路地
 路地は、現代人に懐かしい感覚を起こさせ、人を惹きつける。ビルの中に路地を作り集客に活用するなどビジネスにも利用されている。
 この懐かしさの根本には、路地の人間になじんだスケール感がある。

2,問題提起としての路地
  車中心の広い道が便利ないい道であり、路地は不便で危ないとされる。だが、そこには、自動車が家の前まで来て、ドア・ツウ・ドアで効率的に速く移動するのが良いとの価値観がある。
 一方、路地には人間が歩くことを基本とした空間感覚があり、車中心の空間のあり方に問題を提起している。
  近年は、歩くスピードで楽しみや利用施設が展開するまちが求められている。大阪の法善寺横丁は、火事の後、路地を4mに拡張すれば横丁の雰囲気やにぎやかさが失われると約40万人の署名を集め、元の2.7m幅で再建された。

3,文明論としての路地
  路地は、個性的で、人間中心で、細やかな仕掛けがあり、速度と効率を重視する20世紀自動車文明に対する異議申し立てとなっている。
  人口が減少し高齢化する日本が21世紀型の人間中心社会を目指すなら、車がアクセスする「表」とアクセスしない「奥」をセットで街をつくり、路地と広幅員道路が共存する仕組みづくりが必要になる。
 人同士が会話し住民が協力し合う人間関係を支える空間としての路地はますます重要になる。

路地からまちづくりを計画する
 路地からのまちづくりを計画するには、次の配慮が必要であるとされました。
①各敷地の利用をある程度統一し、皆で合意する。
②路地園芸などのセミ・プライベート(半私的)な空間利用を可能にする。
③地域の個性として路地を位置づけ、行政的に認める仕組みをつくる。
④交通問題の解決。
   路地と路地以外のものを並立・協調させる交通計画をつくる。
⑤防災問題の解決。
   再建された法善寺横丁では、路地の幅は2.7mだが、2階部分は中心線から3m下がり、建物全体を不燃化する対策をした。

芹橋のまちづくりへの期待
 「まちづくり」は、次のような特色があると述べられました。
1,住民がルールを決め合意することを重視する。
2,生活者である住民が、様々な分野の専門家を横つなぎして地域ビジョンをつくる。
3,やる気のある人が率先して実践するので、一定のルールの下でも、内容は個性的で様々な裁量が可能になる。
4,住民はまちづくりの主役であり、それを地域のコミュニティが支える。さらに、まちづくりには、経験を積み常識的な判断ができる高齢層が必要である。

そして、 「路地からのまちづくりは、新しい時代のまちづくりであり、芹橋の取組に期待している」と結ばれました。


現代版・路地のまちと芹橋(事例報告1)
 
d0087325_21125273.jpg 青木仁・滋賀大学客員研究員・TEPCO主任研究員は、脱クルマ時代には、日本型の街の再評価が大切と述べられました。

 日本型の街は、歩くための路地が多く入り、小区画の敷地が集まっている。このため、最小限しか車が入らない中低層のまちなみが形成され、小区画での建物の更新が可能、狭い路地が人間的ななじみやすさを生む、などの特徴があり、東京・目白台のような高級住宅地や、小さな店が多数ならんで歩行者で賑わう裏原宿のような商業地になるとされました。

●現代の路地再生事例・鎌倉に学ぶ
 再生事例では、鎌倉市の路地再生が注目されました。
 道幅4m未満の道は、建築基準法で42条2項道路と呼ばれ、この道に面した建物を建て替えるときは道路の中心線から2m下がることとされています。そこで、鎌倉市では、その下がった部分を道路にせず、塀の設置や緑化を住民に奨め、歩きやすい美しい路地を再生しています。

芹橋のまちづくり基本戦略の提案 
 各地の路地を生かした事例をもとに、芹橋のまちづくり基本戦略を以下の通り提案されました。
①路地の幅員は現状2.7mを維持。
②建物の建替時には中心から2m下がるが、下がった部分は塀や緑地にする。
③敷地はコンパクトな規模を維持。
④小規模・低層の町を維持しつつ、住宅中心から店舗などを誘導して複合化する。
⑤建物は、修復、建替、リフォームなどで不燃化・耐震化を進める。
⑥現状の緑が多い庭を維持する。

 これにより、退職後の団塊世代や個性的な感性をもつ若者の流入で地域を活性化できると述べられました。

                                      (つづく 文責:堀部栄次)
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by hikonekeikan | 2011-04-09 23:40 | フォーラム