NPO法人 彦根景観フォーラム

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屋根の上のキュートなうさぎ達の物語 それぞれの彦根物語91

それぞれの彦根物語91

鍾馗さんにはかなわぬ、波兎

   杉原 正樹 (DADAジャーナル編集人)

2012年5月19日(土)@ひこね街の駅「寺子屋力石」


d0087325_2282790.jpg 奇妙で人の気を引くタイトルだ。おまけにおきて破りの読点が打ってある。おそらく「波兎(なみうさぎ)」という言葉がわかる人はいないとみて、屋根の上にのる鍾馗(しょうき)さんを導入したのだろう。知名度があり人気上昇中の鍾馗さんにはかなわないが、波兎というキュートなうさぎ達が屋根にいるんですよという意味ではないだろうか。
 声に出して読んでみると、「鍾馗さんにはかなわぬ、(一拍)なみ~うさぎ~」と大見栄を切る仕掛けらしい。

 こんな凝ったことをする杉原さんは、DADAジャーナルの編集人。DADAジャーナルは、読売新聞に月2回日曜日に折り込まれる湖北・湖東地域限定のフリーペーパーで、32,000部を発行する。1989年から始まり2012年5月13日で538号となる。発行所は(有)北風寫眞舘(編集・デザイン工房)で、杉原さんが代表だ。ペンネームで記事も書く。言葉へのこだわりも見える。協力は淡海妖怪学波(派ではない)で、これも彼が代表である。

波の上をはねるうさぎ達
 「波兎」とは、波の上をうさぎがとびはねて走っている文様で、神社、寺院、古民家の屋根瓦や欄間などの彫刻、蔵の窓の装飾などに描かれている。別名を「竹生島文様」という。
 杉原さんは、1998年の「まるごと淡海」(サンライズ出版)の出版に参画し、「淡海のデザイン」(p18)で、波兎を近江発祥の独自なデザインではないかとの説を提示した。特に、波の上を走る兎が2匹で対になっている構図と、同じ方向に走る二匹の兎のうち一匹が後ろを振り返り、もう一匹を見る構図が近江独特のものではないかと考えた。
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 仮説検証の方法は、近江の波兎が近江以外の波兎とはデザインが異なることを数で示すことである。もう一つは、年代的に最も古い最初のデザインにたどり着くことだ。杉原さんは波兎を求めて湖北・湖東を歩き、全国各地に足をのばし、写真をとり、コレクションを始めた。その道のりを聞いていると、恋人を捜し求めてさすらう純愛ドラマの主人公のように思えてくる。


キュートなうさぎ達
d0087325_22243042.jpg 具体的に波兎はどこにいるのか。杉原さんは、湖東、湖北の神社や寺院、民家などの名前をあげて紹介した。彦根では、うだつの上がった民家の鬼瓦に「兎」と「龍」の文様があり「うだつ」を表現していたという。この民家は空き家となり鬼瓦は落ちてしまっている。そのほかに、醤油屋の屋根瓦や七曲がりの蔵の窓飾りなどもあった。名古屋にも奈良にも出雲にも鳥取にも波兎文様は見つけられる。杉原さんの仮説は検証がむずかしい。

 次々にうつし出される波兎文様を見ていると、さまざまな形や表情のうさぎがいる。なかでも、杉原さんは、「キュート」に跳んでいる兎が好きなようだ。何度も「キュート」という言葉を使い、両手を上に伸ばして前傾姿勢をとり跳ぶ姿を表現した。また、彦根市松原町の旅館「ふたば荘」のゆかたには、杉原さんの勧めで波兎が描かれているという。どんなキュートなゆかたなのだろう?


波兎と竹生島のふしぎな関係
 ところで、なぜ波兎を竹生島文様というのだろうか。竹生島文様だから、原点になるデザインが竹生島にあるに違いない。杉原さんによれば、1995年、サライという雑誌の取材で竹生島に波兎を探しにきた人は、ついに見つけられなかった。でも、「うさぎ目」の持ち主である杉原さんは、宝厳寺唐門に三匹の兎を見つける。そして対になっているはずだからもう一匹いるでしょうと住職に問うと、一匹は強い風で落ちたので保管していd0087325_22343946.jpgるとの答えが返ってきた。だが、唐門は秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を移築したもので、竹生島発祥とは言えない。(デザインを付け加えた可能性はある)

 通説では、謡曲「竹生島」の一節「(竹生島も見えたりや。)緑樹影沈んで、魚木に上る気色あり。月海上に浮かんでは、兎も波を奔(かけ)るか。面白の浦の気色や。」から兎が波の上を駆けるデザインがうまれたとされる。これでは、竹生島という地域で生まれたという証拠にはならない。
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 そこで、大国主命が助けた「因幡の白兎」伝説が登場する。イナバの白兎がオキノ島からイナバに渡ろうとして和邇(ワニ)をならべてその背を渡ったが、最後に嘘がばれてワニに毛皮をはぎ取られ、泣いているところをケタの前まできた大国主命に助けられる話だが、びわ湖の周りには、イナバ、ケタ、ワニ、オキノシマの地名があり、近江こそが高天原であったという説がある。だからといって、イナバの白兎がモチーフになって近江で文様が生まれたといえるだろうか? 杉原さんの求めるオリジナル波兎はなかなか捕まえられない。
 もっとも、高校古文の教科書には、竹生島の老僧が湖上を闊歩し、参詣に来た延暦寺の僧を驚嘆させた話が載っている(古今著聞集545話)くらいだから、兎が波間を駆けるくらいは竹生島ではたやすかったのだろう。

まちづくりの種を創造しよう
 杉原さんは、「私の話は実生活にもまちづくりにも役にたたない」という。たしかに身近なことにこだわったマニアックな話だが、これまでにない独自の切り口が新鮮で面白い。役にたつか役にたたないかは、聞き手の問題だ。幸いにも、寺子屋力石に集う多彩な人々は大なり小なりマニアックな人達だ。

 そして、マニアを単なるマニアで終わらせないのが花しょうぶ通り商店街のまちづくり精神であることも十分学んできた。やまもとひまりさんは、「武将・島左近×ねこ=しまさこにゃん」を創造した。ゆるキャラ星には、ねこ族、いぬ族だけでなく、ねずみ族やうさぎ族などがいる。うさぎ族には、ピーターラビット、バックスバニー、不思議の国のアリスのうさぎなどの有名人も多い。「○○×うさぎ=??」という方程式を解いてみてはどうだろうか。波兎に惚れている杉原さんが喜ぶかどうかはわからないけれど・・。(by E.H.)
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次回のそれぞれの彦根物語92は、

「毛筆・硬筆 ・・・活字から変体仮名を使って書き起こす楽しさ」

田中貴光さん(書家)

日時 平成24年6月23日(土)10時30分~12時
会場 ひこね街の駅「寺子屋力石」
 
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by hikonekeikan | 2012-05-24 22:40 | 談話室「それぞれの彦根物語」

彦根景観シンポジウム 今井町の歴史的まちなみの保存と再生に学ぶ(2)

特集:彦根景観シンポジウム2012
     彦根・芹橋地区のまちづくりに向けて (2)


橿原市今井町の歴史的まちなみの
               保存と再生に学ぶ



今井町町並み保存会の活動 (2)

                 今井町街並み保存会会長 若林 稔さん

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 今井町町並み保存会は、住民の理事が90名、うち活動を主に担う常任理事は23名です。

 「見る建物から、使う建物に脱皮していこう」、「自分たちが主体となってまちを起す人づくりをしよう」を基本方針として、

①尾崎家、旧米谷家の保全と「大和今井を見る食べる会」、寄席、音楽会、奉仕活動の実施、
②今井まちづくりセンター、今井・まちや館、旧米谷家の管理運営とガイド、
③「今井町並み散歩」の開催(5月第3日曜を中心に1週間、茶行列などを実施)、
d0087325_212490.jpg④フリーマーケット六斎市と重要文化財・県指定文化財内部公開の同時開催、
⑤メディアの撮影(年間20本以上)への協力と撮影マナーの徹底、
⑥建物などが景観にそぐわない場合や景観を維持するための支援の市への要望、
⑦講演会・研修会の実施、機関誌「いまいは今」(月1回)の発行、
⑧その他、今井小学校6年生の「大和今井の茶がゆ体験」の開催、留学生や海外研修生、東大、奈良女子大の学生の受け入れ

などを行っています。


今井のまちづくりは第3期へ
d0087325_2132362.jpg 第3期にあたる今後10年を展望すると、保存を基本前提にしてきた今井町は、観光ではなく「人」と「商い」で活性化をめざします。これで町が生き返り、空き家がなくなっていくのが理想です。

 「商いの里帰り」事業は、今井町並み散歩の「今井町衆市」(5月19・20日)で試行しています。地元出身商人への故郷出展の依頼、堺などとの商いの連携が狙いです。

 「今井の食文化」事業は、「茶がゆ」だけでなく江戸時代の食、中世の食を創生し、本物のおもてなしの再現を狙います。

「今井チャンネル」事業は、古老の知識・記憶を記録する番組づくり、各種イベントや来町者に参加いただく番組づくりを仕掛けています。

d0087325_2151467.jpg まちの活性化には、人づくりが最大の課題。今井町だけでは創造的人材の絶対量が足りない。そこで、地域づくり支援機構と連携して「地域プランナー・コーディネーター養成塾」の実習の場、修了生の実践の場として活用してもらうことを考えています。



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 地域づくりは地元がまずやるものであると私は信じています。強い臨場感を持てば、地域づくりの課題は見えてくる。社会を変えたければまず自分が変われ。できることを探す力、できることを実行する力、よく周りが見える力が大切で、進んで嫌われることができる人になりましょう。現状を変えるには「事あれ」主義で、機会を創り出しましょう。リーダーに年齢は関係ないと思っています。


空き家再生とNPOの役割

            NPO今井まちなみ再生ネットワーク
                        理事長 上田 琢也さん


d0087325_1635666.jpg 重伝建地区・今井町にも、老朽化した空き家が多くあり、現在も増加しています。そこで、空き家の活用を進め、町に定住する人を増やす取り組みを「今井まちなみネットワーク」では行っています。
 
 主な事業は、空き家バンクの運営、今井まちあるき(空き家紹介)実施と、空き家をプロットしたまちあるきマップと小冊子「今井町町屋暮らしのすすめ」の作成・配布です。

 昨年の空き家の問い合わせが60件以上、空き家情報バンクへのユーザー登録約60名、土地・建物の売買契約3件、賃貸契約22件が成立しています。

空き家を再生した事例には、宿泊体験施設「今井庵・楽」、長屋のサブリース事業、フレンチレストランの開業があります。

 私自身は、今井町に生まれ育った福祉施設の職員ですが、メンバーには建物取引の専門家がいます。空き家バンクは、借り手と所有者のつながりだけでなく、今井町のコミュニティとのつながり、行政やまちづくり組織などとの関係を大切にして、今井に住んでほしい人とはどんな人か、住みやすい町とはどんな町か、を常に考えています。

 空き家対策の基本は、まず所有者と十分に話し合うことです。所有者との関係を整理した後に、ボランティアで草刈りの実施、畳替え、トイレの水洗化などを行い、一つの再生サンプルを作ります。これが広告塔になって口コミで情報が広がります。もちろん、インターネットでの発信も行っています。

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今井庵・楽
 伝統町屋を再生、現代的感覚と耐震性能を盛り込んで町屋暮らしを体験したい方に貸し出す「生活体験用滞在施設」。
部屋は、茶室3畳、1階和室7畳半、2階和室7畳半。茶室、ひのき風呂、ミニキッチンを備え、冷暖房完備。
1泊2日で1名1万円、2~5名で1万5千円。




意見交換 (司会:笠原 啓史さん)

d0087325_17172468.jpg 芹橋でも、老朽化した空き家が突然売却され、潰される。所有者が大阪などにいて情報が入らない。どう対応されているのか。また、若い人は古い町に本当に住んでくれるのか。

 所有者を聞き出して、足を運んで話すのが基本だ。空き家に人が住む実例が出てくると、口コミで情報が広がり、相談が集まるようになる。不動産屋にとって古い町屋は手間がかかるうえに儲からないので、十分に動いてくれない。NPOの方が親身になってくれるといわれている。ただし、古い町屋には、一般住宅と違う課題があり、それらを盛り込んだ契約書を「大和空き家バンク」でつくり、使用している。

 最近は都会暮らしの若い人達の移住が増えている。マンション住まいで子供たちの人間関係の希薄さに不安を感じている人が多く、近所どうしのふれあいが魅力という。古い町のコミュニティこそ、次世代への大切な贈り物だと思っている。


d0087325_1718193.jpg 芹橋では、辻番所の保存運動に関わり「辻番所の会」を有志で立ち上げ、昨年、芹橋二丁目連合自治会に「まちづくり懇話会」ができた。今後、住民協議会などをつくり、まちづくりの合意を形成したいが、芹橋では、すでに多数の建物が失われて空き地になり、現代建築に建て替わっている所も多い。ここでまちづくりの合意を得るには、新しい家にも通じる防災上の協定や施設整備を共通項にしたらと思っている。
今井町では、防災に関する協定や防災広場の整備に至る住民合意は、どのようにしたか。


 今井町では、建物と町並みをそのまま保存するという基本方針で、伝建地区を選択した。都市計画決定までは、住民を二分する深い対立があり、今でも伝建地区について様々な意見がある。しかし、「伝建で保存」という合意が先にあったので、防災でもめることはなかった。


 彦根市では、花しょうぶ通りで伝建地区をめざして住民と協議を進めている。芹橋は伝建地区ではないが、住民の合意による地域協定ができれば、町並み環境整備を実施することは可能だ。

ただ防災は、まず自分たちでするのが基本。防災広場や防災小屋は、他人にしてくれという世界。そこが先走ると自分たちでしないで、行政依存になり、地域自主防災力は却って低下する。

 城下町の町割りや足軽屋敷群などの歴史的な建物を残しつつ、防災に力を入れるのは重要だ。いったん潰したら再生できない。文化も歴史も失うことになる。  (終)
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by hikonekeikan | 2012-05-13 16:36 | フォーラム

彦根景観シンポジウム 今井町の歴史的まちなみの保存と再生に学ぶ

特集:彦根景観シンポジウム2012
       彦根・芹橋地区のまちづくりに向けて (1)


橿原市今井町の歴史的まちなみの
               保存と再生に学ぶ



 2012年3月20日(祝)、彦根景観フォーラム、辻番所の会、芹橋まちづくり懇話会は、11時より芹橋地区で特別公開中の足軽屋敷や路地の見学会を行った後、13時より四番町ダイニング3Fホールで彦根景観シンポジウム2012を開催しました。

 今回は、奈良県橿原市今井町から3名の講師を迎え、歴史的な資産の保存と住民のくらしの共存、まちの防災や活性化、空き家問題への対応などについて議論を深めました。2回にわたって、そのポイントをお伝えします。
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一歩踏み出そう、芹橋まちづくり

                 彦根景観フォーラム理事長 山崎 一眞 

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 芹橋は、旧彦根藩最大の足軽組屋敷地であり、歴史を感じさせる閑静な住宅地です。彦根市の中心部に位置し、買い物や生活に便利だが、路地がせまく車の利用には適していません。中心市街地の例にもれず人口減少・高齢化が著しく、1977年の1,234人が2008年には700人に、高齢化率は彦根市の18.7%に比べ芹橋は36.4%となっています。
 足軽屋敷の数は、1966年の158件が2007年には30件に激減。町並みは、空き家や空き地、青空駐車場が増え、周囲の町なみとは場違いな建物も増えて、歴史的な景観が損なわれています。

 足軽屋敷を保存し、歴史的町並みと路地を再生しつつ、安全で若者も喜んで住む町にできないか。前回の彦根景観シンポジウムでは、次のような町づくりの方向が明らかになりました。d0087325_1528357.jpg 

 ①芹橋の町並みは、路地を挟んで塀があり、少し後に建物がたち、間に庭があって緑が見える建て方でつくられている。この歴史的な建築ルールを守る住民協定が必要。

 ②4m未満の路地の維持は、都市計画法第42条の3項道路の適用で実現が可能。

 ③住民による自主防災の仕組みづくりが前提。

 この建築ルール/路地の維持/防災の仕組みをセットで合意できれば、少子高齢化、脱クルマ時代のまちづくりのモデルになると評価されました。
 シンポジウムを受けて芹橋で防災図上訓練を実施したところ、今の準備状況では震度7の地震に対処できないことがわかり、対応策を模索しました。

 芹橋の歴史的な建物と町なみの再生、防災性の向上をどう進めるか? 今日は、先進地の橿原市今井町のハード、ソフトの経験をお聞きして、住民、行政、NPOの皆さんと議論したいと思います。


今井町伝建地区の制度と事業

                 今井町並保存整備事務所長 田原 勝則さん

d0087325_11435897.jpg 行政の立場から、ハード整備を中心にお話しします。

 今井町の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)は、東西600m、南北310m、面積17.4haで、ここに重要文化財が9件(寺社1、民家8)、県指定文化財2件、市指定文化財5件、伝統的建造物504件があります。芹橋より少し広いくらいの通りがあり、昭和30年代から10回以上、建物や町並みの本格的調査が行われています。

 今井町のまちづくりの理念は、文化財としての歴史的町並みと住民生活の共存により、活気のあるまちをつくり、街並みを未来に残していくことです。

d0087325_15402325.jpg 伝統的建造物群保存地区(伝建)制度は、市からの申出により選定され、建物の修理、修景等の経費の一部が国から補助されます。この指定を受けるため、橿原市は伝建地区保存条例(H1.9.27)を制定し、保存計画の策定、現状変更行為の制限と許可基準、経費補助、伝建地区保存審議会設置を定めました。
 ところが、住民の意見が二つに分かれ、都市計画決定(H5,3)までに5年かかりました。この時、住民意見を調整するために市が「今井町町並み保存住民審議会」を設置しました。地区の各組織・団体の代表、学識経験者で構成し、保存計画、現状変更行為、許可関連、整備事業を審議し、市および伝建地区保存審議会に建議します。

d0087325_15375043.jpg 建物の保存・修理については、伝統的建造物の外観を保存する修理・復旧で4/5、非伝統的建造物では外観を伝統的建造物と調和するような修景で1/2、2/3、新築の場合1/3が補助されます。22年度末までで262件、総事業費47億円のうち11億円を補助しています。このほか、伝建地区における建築基準法の制限を緩和するとともに、家屋、土地の固定資産税を軽減しています。

d0087325_15385258.jpg 住環境整備事業(町なみ環境整備事業)は、住環境としての道路が狭い、公園・緑地が少ない問題に対処して、歴史的資産の保存と住環境の改善の両立を図るもので、①道路の美装化、②電線等の地中化 ③旧環濠の整備(復元)、④公園・生活広場・防災施設(防火水槽、防災倉庫、便所を併設した休憩施設)の整備、⑤今井景観支援センター(町屋を改修し東側を見学拠点、西側を事務所に活用)、今井まちづくりセンター(地区住民の交流の場、体験型見学施設)の整備、d0087325_1546887.jpg⑥伝統的建造物以外の建物の修景、屋外設置物、生垣の整備、⑦照明などのストリートファニチャーの整備を行っています。
 総事業費 29億円で、H22年度末で24億円の進捗です。最近、交通広場予定地から昔の環濠が発掘され、復元すべく調整しています。

 これらの公園や防災施設、センターを管理し活用していただいているのが、地域防災会や「今井町並み保存会」、「NPO今井まちなみ再生ネットワーク」、「今井町区域街並み環境整備協議会(大工さん達の勉強会)」で、活発に活動いただいています。


今井町町並み保存会の活動

               今井町街並み保存会会長 若林 稔さん

d0087325_1144336.jpg 最初にお断りしますが、私の意見が今井町の住民の意見とはいえません。まちづくりには様々な意見があり、一本化はできません。私という人間が会長に推されていると考えてください。私は、今井町に生まれ、近畿日本鉄道(株)で広報や都市計画、美術館の仕事を担当、平成8年から街並み保存に関わり、今井宗久を提唱。14年から茶行列等のイベントを企画して本格的に参加した人間です。

 今井のまちづくり第1期は「町並み保存のパイオニア」の時代です。昭和30年代から少数の住民リーダーが町並み保存運動を引っ張り、昭和49年、今井、妻籠、有松で「街並み保存連盟」を結成、昭和53年には町を保存してほしいという陳情から始まり「今井町保存問題に関する総合調査対策協議会」(住民協議会)を作り、昭和63年「今井町街並み保存会」に名称を変更、伝建地区保存条例の制定に結び付けました。その道は住民がもがき苦しんできた汗と涙の成果であり、決して恵まれていたわけではありませんでした。

d0087325_15425190.jpg その後、行政によるハード面での保存が軌道に乗りだすと現在までの第2期が始まります。住民が行政に陳情する受け身の立場から能動的な動きに変わり、イベントの導入と拡大、海外や子供たちへの啓もうと日本文化継承への広がりをめざしています。 (次回につづく)
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by hikonekeikan | 2012-05-13 10:58 | フォーラム

多賀への道、たけのこごはん、5月の森 多賀里の駅

2012年5月5日 多賀里の駅・一圓屋敷の集い

  近江の道 多賀への道

      愛荘町立歴史文化博物館顧問 門脇 正人さん

d0087325_10233064.jpg 滋賀県で最も集客力のある観光地は「黒壁」(長浜市)だ。平成22年度は約180万人の観光客が訪れた。では、第2位はどこか? 実は、多賀大社で約166万人である。彦根城の約73万人の2倍以上もある。その集客数を生かせているかどうかはさておき、昔から多賀大社は多くの人々を引き寄せてきた。その人達は、どんな道を通って多賀に来たのだろうか。
 今月の多賀里の駅・一圓屋敷の集いは、ふるさとの道の研究家 門脇 正人さんが、多賀につながる「多賀道」をテーマに、身近なふるさとの道の歴史を、残された道標と古地図をもとに解明していく物語を語られた。


数学の先生、街道をゆく
 門脇さんは、長年、彦根東高校で数学の先生をされていて、この日の参加者にも教え子が多く、お話が始まる前や後で旧交を温めておられた。でも、どうして、高校の数学の先生が「道の歴史」を調べて、歴史文化博物館の顧問にまでなられたのだろうか。

 きっかけは、門脇先生(とよばせていただく)が彦根東高校新聞部の顧問をされていたとき、江戸時代に朝鮮通信使がたどった道「朝鮮人街道」を歩いて、消えた道を探るルポの企画があり、その成果が高校新聞の賞を受賞して話題をよび、ついには「朝鮮人街道をゆく-彦根東高校新聞部による消えた道探し-」(サンライズ出版1996年)という著書に結実したことだ。

 このとき、朝鮮人街道を踏査していて、現在のJR能登川駅付近で地元の人の伝承や通説が誤りではないかと思われる個所を発見する。そして、地域に残る江戸期の村の古地図を見出し、伝承や通説の道が明治期に鉄道が開通した際に新しく作られた道であり、本来の道は別にあることを提示した。この体験で「歴史の道」、「ふるさとの道」という視点が定まった。門脇先生の手法は、道にのこる道標や丁石を調べ、地域にのこる古地図を発見して道の変遷を探るというものだ。


多賀への道
d0087325_10275798.jpg 滋賀は、かつては「近江」と呼ばれたが、今も昔も「みちの国」である。門脇先生は、古代には東海道、東山道、北陸道が、近世には、東海道、中山道、朝鮮人街道、西近江路、北国街道、北国脇往還、御代参街道、八風街道などが整備されたことを説明された後、「多賀への道」について詳しく語られた。

 代表格は、御代参街道である。これは、朝廷が京都から伊勢神宮へ参詣し、さらに多賀大社へ参詣する際に、名代(代参)を派遣したことから「御代参街道」と呼ばれるようになった。東海道の土山宿から、石原・岡本、八日市、中山道の愛知川宿にいたる東海道と中山道のバイパスであり、街道には、伊勢、多賀、北国を示す道標が多い。記録によれば、寛永7年(1640年)、春日局が上洛の途中に伊勢から多賀へ参詣したときに通行し、延宝6年(1678年)には遊行上人(神奈川県藤沢)が通行している。

 門脇先生の発見は、愛知川宿から八日市へ向かう御代参街道には、小畑、三又・新堂、愛知川の3つの道があったことを道標や江戸期の地権図からつきとめたことにある。



多賀道をいく

 さらに、中山道から多賀に至る「多賀道」には、高宮宿にある多賀大社一の鳥居から多賀に向かう高宮道(多賀本道)、彦根の大堀・岩清水神社前からの大堀道、現在の国道306号線と中山道の交点にある原からの原道の3つがある。この他に、湖東地域からは八千代橋-御河辺橋-春日橋を通る道、岐阜・三重からは五僧越え、鞍掛越えの峠道があり、この間に多賀を示す道標は80本を超えるという。

 当然ながら、歴史的な道の確定には困難が伴う。道は、今も昔も政治や経済の都合により移動する。明治期に陸軍測量部が作成した地図にも限界があり、古い道の発見には、道標や丁石と古地図が手掛かりになる。ところが、移動する道標、捨てられる道標、失われる地域の古地図が多く、それらの保存に向けて愛荘町歴史文化博物館が取り組む事業も紹介された。
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道標を建てたのは?
 道標は誰が、何のために作ったのか。門脇先生によると、幕府や朝廷が作ることは考えられない。道標を作るには相当なお金がかかるので、地域の金持ちが作ったと考えられるが、ほとんどが製作年や製作者を入れていないのでよくわからない。ただ、多賀大社などの神社関係では、個人の信者か伊勢講、多賀講の信者などが立てていることが多いという。

 門脇先生が紹介された道標には、常夜灯型から角柱型、川原の自然石に刻んだだけの簡素なものまで様々な種類があったが、地蔵後背型の道標は、滋賀県でも特定地域に集中している珍しいものだという。このような道標を建てたのはどういう人物で、どんな思いをもっていたのだろうか。
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伊勢と多賀のつながり
 実は一圓屋敷には、江戸時代に京都で活躍した小澤華岳の「おかげまいり絵図」(天保9年(1838年)が飾られていた。これは、天保元年(1830年)に427万人もの人々が押し寄せた伊勢神宮への参拝の喧騒を生き生きと描いたもので、なぜこの絵が多賀の一圓屋敷にあるのか謎だった。しかし、門脇先生のお話しにより、伊勢と多賀のつながりが見えた。

「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」
「お伊勢七度 熊野に三度 お多賀さんへは月詣り」

と民間で歌いはやされたフレーズには、現代風に言えば、伊勢神宮との本店・支店関係における正統性を強調しつつ、巧みなプロモーションによって参詣客を増やす「フォロアーの戦略」がうかがえる。
 そういえば、彦根から多賀に至る道にも「伊勢」や「鳥羽」という名前の店舗や旅館があることに気づいた。地域あげて、大プロモーションを展開していたのかもしれない。


試食会は、たけのこ料理
 あれこれ妄想している間に、「たけのこごはん」が出された。うっかりそれぞれの料理名を聞き逃したが、シンプルで薄味ながら、たけのこの強い香りがする炊き込みごはんが主役だった。これは、いくらでも食べられるなぁ・・。
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5月の野鳥の森の花々
 集いに先立ち、野鳥の森を彩る自然の植物を観察する会が9時から開催された。
中川信子さんの案内で、5月の若い植物を見て歩いた。おもしろかったのは、非常にありふれたカラスノエンドウ(茎が太くて立派、淡い紅色の花)に、スズメノエンドウ(茎が細くて弱弱しい、白紫色の花)も混じっており、さらに、カラスとスズメの間の大きさの草の意味のカ・ス・マ・グサも混生しているという発見だった。
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 また、オドリコソウの花の白、ミツバアケビの花の深い紅に魅了された。クサイチゴの花から赤いジューシーな実を想像しつつ、5月の森のすがすがしさに「こんな朝が生きる喜びを感じさせてくれるんだ」と、そっとつぶやいてみた。
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次回の多賀里の駅・一圓屋敷の集い、試食会  
    6月2日(土) 9:00~12:00 一圓屋敷 参加料500円 
    第44回 「みんなで歩こう野鳥の森」 中川信子さん(自然観察指導員)
    9:00~ 多賀「里の駅」・一圓屋敷で各自おにぎりをにぎってお弁当を準備します。
         いろんな具でオリジナルおにぎりを作りましょう。
    10:00 初夏の植物を観察しながら、野鳥の森の散策路(約4km)を歩きます。

     自然の中で深呼吸!楽しい発見を一杯しましょう。
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by hikonekeikan | 2012-05-13 10:50 | 多賀里の駅・一圓屋敷

談話室「それぞれの彦根物語」2012.4.21

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by hikonekeikan | 2012-05-10 17:11 | 談話室「それぞれの彦根物語」

『ギャラリー&カフェ・寺子屋』がオープン

ひこね街の駅 寺子屋力石の再興プロジェクト・第1弾

『ギャラリー&カフェ・寺子屋』がオープン


d0087325_11164920.jpg 2011年1月2日の火災で半焼したひこね街の駅・寺子屋力石(彦根市河原二丁目)。 彦根景観フォーラムや花しょうぶ通り商店街などで組織する実行委員会は、再興のために募金活動を行い建物を補修してきました。
 その寺子屋力石で、4月1日、「ギャラリー&カフェ・寺子屋」が開店し、オープニングセレモニーが開かれました。寺子屋力石から生まれた「しまさこにゃん」も、みごとな字で奉加帳に記入しました。

 寺子屋の一階約百平方メートルでコーヒーや抹茶などが楽しめるほか、四月中旬からランチも提供されています。
 また、店内はギャラリーとしても活用され、ゆったりとくつろぎながら作品を鑑賞することができます。オープンを記念して、4月7日まで、世界的に活躍する柿渋手描き染の染色家山本玄匠さん(高島市安曇川町)の帆布を染めた色鮮やかな作品七点が展示されました。
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 店主の川添悦子さんは、「絵画や造形作品などの作家らにスペースを提供し、若手の作家がここから育っていけるようなギャラリーにしたい。そしてこの寺子屋を次世代につなげていきたい」と抱負を語られています。   

「ギャラリー&カフェ 寺子屋」
営業時間 11時-5時、定休日 火、金
ランチは、川添さん自慢の野菜たっぷりハンバーグランチ(コーヒーまたは抹茶付き)1日10食限定です。
さっそく、いただいてきました。おいしい!ヘルシー!器がとってもきれい!058.gif058.gif058.gif
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by hikonekeikan | 2012-05-06 11:29 | お知らせ&NEWS

日本酒の魅力&春の野草ごはん 多賀里の駅・一圓屋敷

日本酒の魅力再発見&春の香り・野草ごはん

多賀里の駅・一圓屋敷の「およばれ」

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 毎月第1土曜日は、多賀里の駅・一圓屋敷の集いと試食会。
 午前9時からは、多賀野鳥の森での植物観察会があり、そのあと、名家「一圓屋敷」で、多賀の楽しいお話と多賀クラブの女性たちが作る地元の食材を使った料理を楽しめます。(500円)

サプリより日本酒?
 さて、4月7日は、多賀の蔵元、多賀株式会社社長 福元 修さんが、「日本酒の魅力を再発見しましょう 」というお話しをされました。日本人の叡智が凝縮された日本酒は『日本人の心と美容と体』に一番合うお酒であることを、米麹を使う製造法や成分などから説明されました。
 日本酒には他のお酒よりアミノ酸がバランスよく含まれていて、「アミノ酸、とるならサプリより日本酒」だそうです。また、日本酒の隣に、おいしい水を用意しておいて、ときどき「和らぎ水」を飲むとよいそうで、スローでヘルシーな新しい飲み方を提案され、多賀(株)の新しいお酒も紹介されました。

春の香り・野草ごはん」
 お昼の試食会は、春の香り・野草ごはん。
一の皿は、セリの白和え、ノビルからし味噌かけ、梅の花添え 、
二の皿は、やぶつばきの花、にわとこ、ゆきのした、よもぎの四種天ぷら、
そして、「秋の詩」ごはん、みつばのお澄まし、
回し皿は、のかんぞうのお浸し。
 古民家で大勢が食べる「田舎のおよばれ」の楽しさを満喫しました。
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多賀の「およばれ」
 たしかに、昔の田舎では、あるものに手間をかけて工夫したので、野菜料理が中心でした。ところが、今は人手がかかる料理が作れなくなり、親戚で料理屋に行って定番の料理を食べることがほとんどです。やむを得ないのですが、料理の違いは明らか。
 この「春の香り・野草ごはん」は身体が軽くなる気がします。

 ところで、この集い、正式な名前がついていないのです。
もし、許されるなら「多賀のおよばれ」と呼んだらどうでしょう。
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by hikonekeikan | 2012-05-06 10:26 | 多賀里の駅・一圓屋敷

よみがえれ!辻番所・足軽屋敷

よみがえれ! 辻番所・足軽屋敷

                                  足軽辻番所サロン・芹橋生活27
 

d0087325_10164615.jpg 2012年2月19日(日)午前十時より芹橋二丁目足軽屋敷太田邸で開催されたサロンでは、「旧彦根藩足軽組辻番所および組屋敷(辻番所、旧磯島家住宅)の保存修理工事の概要」について、彦根市教育委員会文化財課の深谷覚さんがお話をされました。

 足軽組辻番所・旧磯島家住宅は、辻番所を併置した足軽屋敷で、日本で唯一の現存例とみられます。
 平成20年、取り壊しの危機にあった建物を守るため、彦根景観フォーラムはトラスト運動を市民に提案し、集まった寄付金を彦根市に寄付しました。その後、市によって買収され、平成21年2月彦根市指定文化財となりました。現在、この建物の機能を回復させ足軽の生活様式を伝える文化財としての保存を図るとともに、住民の皆さんが活用できるように保存修理工事が進められています。
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 深谷さんは、芹橋の位置や関係する都市計画の法令、足軽組屋敷の特徴、組屋敷の建物の構造や配置等について解説され、その後、建物の解体と発掘調査の状況を写真で詳しく説明されました。
 そして、新たにわかってきたこととして5点を挙げられました。
1.旧磯島家は、江戸期以後、ほぼ2回の増築・改変がされている。
2.辻番所と旧磯島家は、現在はつながっているが、建築当初は別棟であった。
3.旧磯島家の外壁は、中塗りで仕上げられ、内部のトオリニワ壁面は荒壁で仕上げられていた。
4.旧磯島家のナンドの押入れ部分は増築されたもので、当初は開口部が設けられていた。
5.旧磯島家のカマドの位置も増築にあわせて位置が変わった。

今後は、後世の改変部分を復旧し、耐震補強を施して往時の姿に再建される予定です。
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by hikonekeikan | 2012-05-06 10:22 | 辻番所・足軽屋敷

それぞれの彦根物語 ゆるキャラは妄想が命

それぞれの彦根物語90

 「笑顔のもと」「元気のタネ」
     ~街の駅での素敵な出会いから~


やまもと ひまり さん (「しまさこにゃん」たちの母、ラジオパーソナリティ)

             2012年4月21日 (土) 10:30~12:00  ひこね街の駅「寺子屋力石」

d0087325_21133750.jpg 彦根は、ゆるキャラ天国、ゆるキャラの聖地だ。「ひこにゃん」は、ゆるキャラ人気No.1といわれ、2008年以降毎年10月には「ゆるキャラまつり」が開催されて、全国から200を超えるキャラ達が参加、多くの人出でにぎわう。
 今回の彦根物語は、「しまさこにゃん」などの彦根独自のゆるキャラを生みだしている やまもと ひまり さんが、ゆるキャラたちの誕生物語を披露した。ゆるキャラにとって大切なのは、生みの親より育ての親、応援する人々の大事に育てるという思いがないと、ゆるキャラは広がらないという独自の見解に、目が開かれる思いがした。


ゆる人間・ひまりさん?
 やまもとひまりさんの肩書は、「しまさこにゃん」の母、ラジオパーソナリティ・びわ湖放送彦根支社勤務だが、本当はもっと幅広い。彦根市内の小学校で、国語の社会人講師として本の朗読をしている。さらに、演劇の俳優、脚本作家でもある。彦根で大活躍しているので市内在住と思われているが、大津市在住だ。楽しい方向にアンテナを向けて、笑顔のもと、元気のタネである「ゆるキャラ」を生みだす。 彼女自身の魅力的な生き方が「ゆるキャラ」に結実している。


しまさこにゃん誕生物語
 ひまりさんが、ゆるキャラの母として新しい人生を踏み出すきっかけになったのが、寺子屋力石と、そこに集う人々との出会いだった。

 国宝彦根城築城400年祭の前年に当たる2006年、エフエム彦根のラジオパーソナリティをしていたひまりさんは、おもしろい人たちが集まる「街の駅・寺子屋力石」を取材した。当時行われていた手作り甲冑教室の取材の後、京都の町屋とは違う江戸っぽい力石の雰囲気が珍しく、二階にあった提灯などをみせてもらった。そして、一階の中央にあった400年祭応援メッセージボードに、「400年祭をド~ンと盛り上げよう!」というメッセージをイラストとともに走り書きした。好きだった司馬遼太郎の小説「関ヶ原」に登場する島左近を猫にした、目つきの鋭い兜をかぶった一匹のしま猫「しましま柄のしまさこにゃん」だ。
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 この小さなイラストに注目した人がいた。当時、「彦根左近の会」を主宰し、甲冑教室で島左近の甲冑をつくっていた熱烈な島左近ファンの小杉さんだ。「左近が好き」つながりで、話が盛り上がり、花しょうぶ通りのお茶の店の店主、通称「お茶の店博士」(御茶ノ水博士のパロディ)が、立体の着ぐるみにしてくれた。

 こうして、さこにゃんが誕生すると、まちおこしを企画していたLLPひこね街の駅のメンバーによって独自のプロフィールが与えられた。さこにゃんは、400年前から城下町の七曲がり仏壇街の古い蔵にひそかに暮らしていた。性格は、粗野で無骨、普段は飄々としているが切れ者であり、心根は優しく、義理と人情に命を懸ける。好物は日本酒。特技は奇襲戦法や待ち伏せ作戦。司馬遼太郎の『関ヶ原』を読んでは密かに泣き、佐和山で再び主君の石田光成と花見酒を酌み交わす夢を見る。

 酒好きということで、最初の商品はワンカップのお酒のラベルになった。そして、400年祭の公式キャラクター「ひこにゃん」の白くて丸くてかわいいイメージに対して、灰色のシマシマ、酒好きで戦いに生きる武将のイメージは、「ひこにゃん」に物足りない歴史ファンや歴女、熱烈な戦国ゲームファンを惹きつけた。

 ひまりさんによると、花しょうぶ商店街は「ゆるゆる」商店街であるが、そこに集まる人たちは「濃~い、濃~い」人たちで、しまさこにゃんは「ど・ストライク」でその人々の心にはまったのだった。LLPひこね街の駅は、このキャラクターを商標登録し、コンテンツ・ビジネスを展開、戦國丸の開店につながっている。


いしだみつにゃんの誕生
 佐和山で主君と再会を果たし、桜を愛でながら酒を酌み交わすことを夢見る猫というストーリーを与えられた「さこにゃん」は、2007年9月の佐和山一夜城プロジェクトで初めて佐和山に登った。そして、佐和山主従の再会の実現のため、石田光成のゆるキャラ「いしだみつにゃん」が誕生した。

d0087325_21364928.jpgd0087325_21374172.jpg 手には扇子を持ち、陣羽織には石田三成の旗印「大一大万大吉」をあしらっている。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」しあわせな世の中をつくるという大義だ。性格は、自意識過剰で普段はツンツンしているが、本当はさびしがりや。好物はお茶(日本一の茶名人)。苦手は柿(丹の毒)。人を差配するのが得意なのに、「義」に生きる不器用な生き方で誤解を招く。筆を持ったら並ぶものなし。神経質で、すぐお腹をこわす。夢は、もう一度佐和山で「島左近」ら家臣と花見茶会(酒ではない)を開くこと。

 2007年11月23日、400年祭の最終イベントでは、さこにゃんが彦根城黒門に、みつにゃんは表門に配置された。そして、2008年4月、ついに桜の佐和山で主従の再会劇が多くの家臣団とともに開催された。さこにゃん、みつにゃん、大谷にゃんぶには、家臣団という熱烈な支援グループができていて、家臣団の中から戦國丸で結婚式をあげたカップルも生まれた。


キャラさん大集合
 ひまりさんの子供達を挙げてみる。
 しまさこにゃん、いしだみつにゃんに続いて、しまにゃんきち(小杉氏の依頼)、やちにゃん(彦根らぼらとりぃ社)、いいにゃん弼(どんつき瓦版、HIKONEキレイキャンペーン隊)、ひごにゃん・さにゃだゆきむら(彦根らぼらとりぃ社)、やかたん(NPO法人小江戸彦根)、ひこっち(エフエムひこねコミュニティ放送)、彦鬼(げんき)くん・美鬼(みき)ちゃん(彦根城オニバスプロジェクト)、けやっきー(積水ハウス「コモンステージ彦根東」)、ひこどん(彦根鉄砲隊)、らんまる君・ぼうまる君・りきまる君(安土町観光協会)、ひらつかためにゃん(大谷吉継家臣平塚為広ファンの依頼)、ハートちゃん(犬上ハートフルセンター)と、次々にゆるキャラが生まれている。そして、そのいずれもが頼んだ人の思いと物語を形にしていることが実感できた。
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ゆるキャラは、妄想が命
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 ひまりさんは、ゆるキャライベントの司会も担当する。すると、キャラの性格や好き嫌い、生い立ちなどがたくさん書きこんである紹介文と、ある町の活性化のために誰がいつ製作した何歳の女の子といった表面的なことしか書いていない文がある。 

 ゆるキャラは、着ぐるみになっても喋らない、動くだけのキャラで、平面だと動きもない。アイ・コンタクトだけで相手とコミュニケーションをとるのが宿命だ(大きな目はこのためにある)。しかし、同時に魅力的なプロフィールが与えられていると、好きなものが同じなら共感できるし、嫌いなものはどう克服していくかでストーリーが生まれる。ゆるキャラが愛され共感されるには、妄想が大切なのだ。

 ひまりさんは同じことを演劇で経験している。舞台稽古の最中に、演じている主人公のプロフィールを監督から聞かれる。主人公の経歴、過去の人生経験、家庭や職場の環境、相手との人間関係を突然、聞かれる。そうした人物像が自分の中で明確になっていないといい演技ができないのだ。

 「しまさこにゃん」などの人物キャラは、歴史上の実在の人物がストーリーになる。そのことによって性格や運命が与えられ、人物像に深さがにじみ出てくる。ローカル・キャラは、地域の特徴や地域にかける思いの深さがストーリーとともに説明されて、初めて共感される。
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 ゆるキャラにとっては、生みの親より育ての親、使ってくれる里親の方が大切な存在であり、大事に育てていこうという思いがないと共感は広がらない。戦国丸に集う家臣団は、いわば育ての親。キャラは人に見られ、応援されて育つ。
 フォロアーがリーダーを育てるという考えは、花しょうぶ商店街の人たちが常に強調する町づくり、人づくりの基本でもある。


つながる妄想? 
 「キャラは、笑顔のもと、元気のタネ、楽しい方にアンテナを向けて、みんなの笑顔を増やしていきたい。」 そう話す彼女を応援する人は多い。クラウンブレッド平和堂の馬場さんからは、巨大なカステラパンの差し入れがあった。そして、はるばる千葉から(柳生)獣兵衛さんも会いにきた。
 この日は花曇りで、彦根城周辺の桜が満開を過ぎ一斉に散りだした。帰り道の桜吹雪の中で、しまさこにゃんが夢見た佐和山で酌み交わす花見酒とはこんなものだろうかと思い、自分の妄想に思わず笑ってしまった。(By E.H)



次回の「それぞれの彦根物語91」は、
平成24年5月19日(土) 10:30~12:00

「鐘馗(しょうき)さんにはかなわぬ、波兎(なみうさぎ)」
 杉原 正樹 さん(DADAジャーナル編集人)

 民家の屋根に厄払いの願いを込めておかれる鐘馗(しょうき)さん。そのほかに、家屋や蔵、お寺には、波と兎を描いたキュートな文様があり、これは「竹生島文様」とよばれる。彦根に存在する竹生島文様を中心に、湖東湖北の波兎を紹介しながら、近江発祥の妄想を語る。
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by hikonekeikan | 2012-05-04 22:21 | 談話室「それぞれの彦根物語」