鍾馗さんだけじゃない、屋根の上は「宝の山」
それぞれの彦根物語96
鍾馗さんを探しにまちへ出よう
鈴木達也 まち遺産ネットひこね、彦根景観フォーラム会員
2012/11/17 @ひこね街の駅・寺子屋力石
いま、屋根の上がおもしろい!
ときおり降っては止む秋雨の中、「それぞれの彦根物語」の会場である寺子屋力石は、現在の店主のセンスが加わり、日々、美しさを増しているようだ。2年前の正月に火災にあい、その後、多くのボランティアの協力と市民の寄付で応急再興された建物とは、正面から見る限り、思えない。
今回は、「まち遺産ネットひこね」の鈴木達也さんが、初公開の「ひこね鍾馗さんマップ」とマップを使ったまち歩きイベント「鍾馗さんを探しにまちへ出よう」を紹介された。
鍾馗さんは、「それぞれの彦根物語91」で、「鍾馗さんにはかなわぬ、波兎(なみうさぎ)」と引き合いに出されるほど人気が高い。鈴木さんによれば、彦根市内には70体ほどの鍾馗さんが確認できるが、マップには中心市街地の歩ける範囲にある15体をのせている。まち歩きイベントは、11月24日(土)14時に宗安寺前から出発する。「鍾馗さんを探せ」の著者小沢正樹さんも来られ、解説されるという。
実は、当日は参加できなかった。そこで、翌日、実際にマップを持ってまちを歩いてみた。すると、これは、鈴木さんの話以上に面白い。彦根の屋根の上には、鍾馗さんだけでなく想像もできなかった沢山の宝物が載っているのだ。あまりのおもしろさに、翌日も町を歩いた。こんな「宝の山」を見逃していたなんて・・。
まち遺産ネットひこね
鈴木さん達が活動している「まち遺産ネットひこね」は、彦根市男女共同参画センター「ウィズ」の学習会で知り合った歴史好き5名で結成された。そして、全国の歴史遺産めぐりを楽しむうちに、彦根のまちなかに残る歴史遺産のすばらしさに気づく。
代表の尾田英昭さんは、「身近な暮らしの中にある歴史遺産である「まち遺産」を掘り起し、そのすばらしさを多くの人に知ってもらい、まち遺産の保存と活用を図りたい。」と、活動のねらいを語られた。
その活動である「ぶらひこね」プロジェクトは、まちなかに隠れている歴史遺産を発見し広く紹介するマップづくりから始め、まち歩きイベントによって、多くの方に実際に現地を巡って楽しんでもらおうというもので、2012年の湖東地域定住自立圏「地域創造事業」に採択されている。
鍾馗さんとは何か?
鍾馗さんは、中国生まれの道教の神様である。唐の時代に実在した人物といわれ、科挙試験に不合格になり自殺してしまうが、高祖皇帝に手厚く葬られた。後に、病に伏す玄宗皇帝の夢枕に鍾馗が現れ、玄宗を悩ませていた鬼を退治した。病から回復した玄宗皇帝は、夢に出てきた鍾馗の姿を絵に描かせ、祀ったという。
このような伝説から、鍾馗の姿が魔除けとして信仰を集めるようになり、日本では、文化文政年間に、京都のある女性が病気になった時に、向かいの家の恐ろしい鬼瓦のせいだということになり、鍾馗さんの置物を屋根に載せたところ病気が治ったという話が伝わる。
年代確認ができる最古の瓦製の鍾馗さんは、文政11年(1828年)で、近江八幡市のかわらミュージアムに保存されている。
ひこね鍾馗さんマップ
鈴木さんは、「ひこね鍾馗さんマップ」を手に、中心市街地の鍾馗さんを紹介した。
花しょうぶ通りの「とばや旅館」の玄関屋根から通りをにらむ鍾馗さん。登り町グリーン通り商店街の結納屋・中村松寿堂には、奥の民家の門、主屋の屋根の両端、蔵、離れと5つの異なる鍾馗さんがある。長松院前の民家には、不思議な造形の鍾馗さんがあり、長松院の北側には、昭和初期にご主人を病気から救った鍾馗さんが長松院をにらんでいる。宗安寺の周辺にも寺をにらむ3体があり、その一つである奥野医院では20年前に鍾馗さんが屋根に置かれたという。その近所には、明性寺をにらむ鍾馗さんが2体ある。
一方、中心市街地以外では、市南部の蓮台寺町蓮台寺前、日夏町正福寺前、石寺町名願寺前、本庄町光明寺周辺などの民家の屋根で見つかっている。
彦根は鍾馗さん分布の北限?
屋根の上の鍾馗さんは、京都を中心に、滋賀、奈良、大阪、三重、愛知に分布するのみで、関東や四国、九州ではわずかしかない。滋賀では、湖東・湖南に広く分布し、湖北・湖西ではほとんど見られない。彦根以北では、米原市にわずかにあるが、長浜市の市街地では、一体も確認されていない。彦根は、鍾馗さん分布の北限といっていいようだ。
彦根の鍾馗さんは、お寺の近くにある。お寺の屋根の立派な鬼瓦は魔除けの役割を果たしているが、鬼瓦によって除けられた魔が近くの民家にふりかかってしまう。これをはねかえすために、お寺の近くの民家に鍾馗さんが置かれているのだ。
設置場所は、市街地では屋根のてっぺんが多く、造形は型から起こした量産型が主である。これに対して、集落部では、お寺の周辺のみにあり、設置場所は屋根のてっぺんに限らず、お寺に向けるのに最適の位置が選ばれている。さらに、造形は個性的で一品生産のものが多い。
これを京都の鍾馗さんと比較してみると、京都では、お寺とは関係なく、たくさんの町屋に置かれており、その数は3000体ぐらいといわれる。1階部分のひさしの屋根に置かれ、寺ではなく通りに向いている。造形は、量産型が多い。
鈴木さん達の調査では、滋賀県の大津の市街地も京都と同じである。ところが、奈良県の奈良町は彦根と同じで、屋根のてっぺんに置かれ、お寺の方向を向いているものが多い。さらに、通りがT字形に交差する突き当りには、魔が溜まりやすいといい、「突き当り鍾馗さん」が設置されている。
鍾馗さんの謎
ところで、鍾馗さんはいつごろ、誰によって作られたのであろうか。
鈴木さん達の聞き取りによると、現存する彦根の鍾馗さんは、ほとんどが明治から昭和にかけてのものだ。同じ型から作ったと思われるものと、瓦職人手作りのものがあるが、松原の瓦屋、大垣の瓦屋、敏満寺などで作っていたという。
なぜ、足軽屋敷地にはないのかという質問があった。これは、武家や町人という江戸時代の身分に由来するのではなく、そもそも武家地にお寺がないことが原因らしい。さらに、分布が近畿や東海の一部に限られているのはなぜか、なぜ、彦根以北にはないのかという疑問が出されたが、これは謎のままだ。
鍾馗さんを使ったまち歩きの可能性
鍾馗さん探しのおもしろさは、宝探しのおもしろさだ。屋根の上で小さくて見つけにくいだけに、見つけられると楽しい。普段は歩かない路地を歩くため、まちの奥深さが見えてくる。さらに、感性が研ぎ澄まされ、普段は気づかない町屋の細部にも気づく。たとえば、船町の古い舟倉の屋根にのる大黒様、長曽根の教善寺前の民家の鬼瓦に描かれている宝船にも気づくようになるという。
このようなおもしろさを観光とまちづくりの両方に生かそうとした先進例がある。「長崎さるく」、「大阪あそ歩」がそれで、40から150のコースを開発し、市民ガイドが500円から1000円の協力金をいただき、奥深いまちの魅力を案内する。鈴木さん達は、「大阪あそ歩」に参加してみたが、観光客より地元の人の方が多かった。地元の人が、それまで気づかなかったまちの魅力を初めて知ったという声が多く聞かれたという。
鈴木さん達も、まち歩き観光をめざしている。そのメリットとして、既存のまち遺産を再発見し活用できること、彦根城・ひこにゃん依存の観光からの脱却が図れること、多様なコース設定により何度でもひこねを訪れて楽しめることをあげられた。
彦根城外堀マップも
「ぶらひこね」プロジェクトでは、「ひこね鍾馗さんマップ」につぐ第2弾「彦根城外堀マップ」が予定されている。12月20日に彦根市民プラザで開催される歴史手習塾「彦根城の外堀今昔」で、初めての公開となる。いまは完全に埋められている彦根城外堀、鈴木さん達はどんなまち遺産を見つけたのか楽しみだ。
まち遺産のすばらしさに気づき、その楽しみを伝えたい、残したいと思い、具体的なプロジェクトにまとめ上げて、資金を獲得し、仲間を募って、活動する。そのことによって地域のさまざまな課題を解決していこうとする。市民活動やNPOの理想的な姿をみたようで、すがすがしい気分になった。彦根景観フォーラムも協力できればと思う。
屋根の上は「宝の山」
では、私が見つけた屋根の上の宝物の一部を紹介しよう。初めは、鍾馗さんだ。これは、小さな希少種で「ひこね鍾馗さんマップ」の助けがないと到底発見できない。宗安寺の鬼瓦と鍾馗さんがにらみ合っている姿には、なんともいえないユーモアを感じる。鬼瓦にはね返され、鍾馗さんに睨み返された魔はどこへ行くのだろう?
次は、鬼瓦だ。長曽根町の三連倉で、彦根物語91以来探していた波兎をついに発見。その隣の倉の屋根には巨大魚が。
しかも、裏に回ってみると屋根の両端でデザインが違う波兎と巨大魚が見つかったのだ。
鈴木さんの紹介された船町にある古い船蔵倉庫の屋根の恵比寿さんと大黒さん。
その隣の家の屋根にも宝物が。タイをもっているので恵比須さんだろう。屋根の反対側のこれは何か? 頭巾からみて寿老人かもしれない。すごい迫力だ!
同じような古い船蔵倉庫が松原町にある。行ってみると、なんと恵比寿さんと大黒さんが載っているではないか。しかも、表情が違う。
魚屋町の商家の屋根にも恵比寿さんと大黒さんが載っているのを発見。これらは、商家や倉庫の屋根につけられ、商売繁盛を願ったもので、屋根の上の産業遺産と言える。
そういう意味では、これも屋根の上の産業遺産かも?
もうひとつ、家族遺産というべき鬼瓦もある。
井桁は井伊家の家系か? 扇の家紋もある。 再生された尾末町の池田家長屋門の2枚矢羽の家紋。
次は、長の字のつく屋号?。これはどう読むのかわからないが、ユニーク。最後はSR。これは我が家の祖父が大正時代にカナダから帰国して家を建てた際に作ったもの。SRは名前のイニシャルである。
シティ・ウォーカーの心得
屋根の上は、あまりにもおもしろい。たちまちハマる。
しかし、上ばかりに目が行って、前や足元を見なくなるので、自動車や自転車、側溝には注意が必要だ。できれば、2人以上で歩くことを勧める。
さらに、もう一つ注意しなければならないことがある。屋根の上の宝物を探す貴方は、他人からみれば不審者に見える。特に家の所有者にとってはただ事ではない。家の人がおられたら声かけしよう。わかってもらえる場合もある・・。 (堀部栄次)