それぞれの彦根物語92
毛筆・硬筆・・
活字から変体仮名を使って書き起こす楽しさ
田中貴光さん (書家)
平成24年6月23日(土)10時30分~12時
ひこね街の駅「寺子屋力石」
6月の花しょうぶ通りには、早くも夏の日差しが降り注いでいた。しかし、寺子屋力石に入るとひんやりとした町屋特有の涼しさを感じる。
今日の彦根物語は、書家の田中貴光さんだ。寺子屋力石には、書道を習っていると思われる女性がたくさん来られていた。若い人も年配の人もいる。いつものにぎやかなお喋りとは違い、話し声がおとなしい。隣に座っている若い女性に声をかけてみると、彼女はアメリカ人で、週3日愛知県の企業で働き、残りの2日はミシガン州立大学連合日本センターで日本文化を学んでいるという。彦根でホームステイしていて、ステイ先の若い女性と一緒に来ていた。小声だが的確な日本語だ。
そうしているうちに開始時間となり、田中貴光さんが紹介された。
硬筆も毛筆も一流
田中貴光(きこう)さんの貴光は雅号だ。小学校一年から始めて60年弱の書歴があり、多くの展示会に出展、「大書心会」硬筆・毛筆大賞を受賞。硬筆、毛筆ともに文部省認定書写認定1級である。この認定は、客観的な技量判定基準を持つ唯一の公的認定で、1級は指導者としての資格が認められる最高位である。
田中さんのすごさは、最高位を硬筆でも毛筆でも持っている点にある。漢字も仮名も、大きな字も小さな字も、太い字も細い字もすべてを極めている。当然ながら、彦根を中心に5会場で書道教室を開いている。
すばらしい実力を持つ田中さんだが、姿からは芸術家らしい華やかさが伝わってこない。小柄な身体に長く黒い上着を着て、黒いスラックス姿という黒づくめの服装で、大きな丸テーブルの隅でうつむき加減に話される。
平仮名は、美しくなければならない
田中さんの主張は、わかりにくかったが、あえて一言で言うなら「平仮名は美しくなければならない」ということだ。日本語独特の文字である平仮名、その美しさの追求のために、田中さんは、現在では使われなくなった変体仮名を使って書の作品をつくる。
「活字から変体仮名を使って書き起こす楽しさ」とは、平仮名の美しさをどこまでも追求する田中さんの方法を示していたのだ。
変体仮名とは
現在、私たちは、「ア」に当たる平仮名に、「あ」(「安」に由来)の字ただ一つだけを用いている。しかし、明治33年以前は、「ア」の平仮名を書くのに、「安」に由来する「あ」と、「阿」に由来する字、「悪」に由来する字を自由に用いていた。この安・阿・悪を仮名の「字母」というが、平仮名は、字母の音(字音、字訓)だけを使ったもので、意味による使い分けはない。(字体は右の写真を参照されたい。)
一音に一仮名文字と決められた時、「あ」以外の、「阿」に由来する字、「悪」に由来する字は異体の字として教えられなくなったが、当時は、まだ使われており「変体仮名」と呼ばれた。つまり、「あ」には2つの変体仮名が、「い」には、「意」、「伊」、「移」を字母とする3つの変体仮名があり、明治以前は、平仮名・変体仮名という区別がなく、平仮名を使うときは、さまざまな字体を自由に使っていたのだ。
紀貫之の『土佐日記』、清少納言の随筆『枕草子』、紫式部の『源氏物語』のような平仮名文学、井原西鶴の「日本永代蔵」(大金持ちになる方法)のような草紙物、また手紙や個人の手記なども変体仮名で書かれている。これが、現在の私たちにとって古い文書が読みにくい原因の一つになっている。
変体仮名で美しく
当たり前のように思っているが、現在の活字になった平仮名文は、一音一字で書かれている。そこに、変体仮名を使うことによって、平仮名文はどのように美しくなるのだろうか。
田中さんによれば、
①さまざまな形の文字を混ぜることにより、字面を美しくすることができる。
②同じ文字が文章の中で重ならないようにできる。
③字体により長さや幅が異なるので、一行の長さを調整したり、前の行の文字との間隔を空けてバランスをとる「散らし」ができる。
の3つの要因により、格好よく、変化をつけて流れるように平仮名を構成して書くことができるという。
そして、どこに、どの変体仮名を使うかは、美に対するセンスの問題であり、字面の美しさ、バランスなどは古典に学んでいるという。
平仮名の美を表現する
田中さんの作品は、いずれも小さくて繊細な平仮名が流れるような書体で書かれている。
作品1は、百人一首の全句を変体仮名を使うことで扇型に揃えて書くことができた傑作である。
作品2は、寅年に書かれた作品で、万葉集から虎に関係する歌を集めて、中心に和歌を書くことで真中を散らした作品である。真中に一本の文字の列が上下に貫いているように浮かび上がる。
作品3は、掛け軸に扇型の文のまとまりを流れるように構成したうえで、源氏物語の活字本から変体文字を使って書き起こした作品である。
作品を観賞するポイントは、まず、紙に注目する。紙は、和紙の継色紙を使う。赤い料紙の上に別の色の料紙を継いでその上に文字を配置する技法である。
次に、仮名は、右流れに振る形が美しいので、字体の結びを右流れに振っているかを見る。
さらに、字の形と余白のバランスが美しいと感じられるかを観賞する。
田中さんが作品を作るときは、まず、全体の形を構想する。その上で、変体仮名で形に表現し始める。一行目を見ながら二行目を書く。上の文字と次の文字の間の余白、右の行との間の取り方、字の大きさなどを調整する。そして、墨がかすれるまで書く。墨を継いだときの濃淡も一定のリズムを構成するように調整する。
さらに田中さんならではのこだわりが、本来硬筆ではあらわれない「かすれ」などの毛筆の特長を硬筆で表現するテクニックだ。
平仮名の美意識と「倭漢抄」
田中さんの話は、わかりにくかった。その原因は、活字文化に慣れた私たちには、毛筆で手書きの時代にあった日本の伝統に根ざした平仮名の美意識が実感できないからだろう。
平仮名は、日本語独自の文字として、また多くの異体字を持つ文字体系として、平安時代が終わる12世紀にほぼ完成していた。その後は、一貫して平安時代のものが平仮名の手本とされてきた。
その代表が、藤原道長によってつくられたとされる国宝「倭漢抄」である。「倭漢抄」は、5月27日まで京都国立博物館で開かれていた近衛家の名宝展「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」に出展されていた。縹(はなだ)色(薄水色)や橙(だいだい)などの柔らかな色合いの紙に亀甲や唐草、鳳凰などの装飾文様が刷り出された美しい料紙を32枚も継いだ巻紙に、中国の白楽天らの漢詩文と、紀貫之や柿本人麻呂らの和歌がしたためられている。和歌の平仮名は、流れるようになめらかな柔らかな線で毛筆で書かれていて、独特の「雅(みやび)」な美しさを表現している。
「倭漢抄」は、調度手本とよばれ、最も格の高い贈り物にされた。藤原道長は、書の名手に依頼して調度手本をいくつも作らせ、宮中の要人に贈り、出世競争に勝ち抜く手段にした。
源氏物語も、道長が紫式部を起用して平仮名の物語を書かせ、完成後は数多くの写本を作らせ、宮中に配布した。そのようにして、道長は平安文学の流行の先頭に立ち、歌合せなどの華やかな文化サロンを演出して、宮廷政治をリードしたと言われる。 当時の貴族は、特に男女の恋愛では面と向かって逢うことが稀だったので、和歌が重要なコミュニケーション手段になった。貴族たちは、歌を贈り、歌を返した。そこでは、和歌の内容と文字や紙の美しさが交際の重要な判断材料となった。多数の調度手本や和歌集を贈った道長は、やがて天皇家との婚姻に成功し、最高の地位につく。
この時に、日本の平仮名の美が決定づけられたといっても過言ではない。
書家のカッコいいアイテム
田中さんは、毎日10時に部屋に入り、作品づくりに没頭して1時に上がる生活を続けている。
書家というと、彦根では、「日下部鳴鶴」を連想する。明治三筆の一人で、 近代書道の父と言われた。白いひげを豊かにたくわえた紋付羽織姿の老人の写真が思い浮かぶ。この世界では、田中さんはまだまだ若い方だ。
ところで、田中さんの胸に、古い和本の表紙を付けた手控え帳のようなものが入っているのに気付いた。これは、なんだろう。ぜひ聞いてみたくなったが、機会を探しているうちに彦根物語が終わってしまった。
もし、それが手控え帳で、田中さんがさっと取り出して、和歌を毛筆で書きつけているとしたら、それは相当にカッコいい。(By E.H.)
次回の
「それぞれの彦根物語93」は、
「彦根の『殿様文化』を打破するためには」
山田 貴之さん(滋賀彦根新聞社編集長)
日時 平成24年7月21日(土)10時30分~12時
会場 ひこね街の駅「寺子屋力石」
コーディネーター: 山崎 一眞(彦根景観フォーラム理事長)
お楽しみに。