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NPO法人 彦根景観フォーラム

芹橋辻番所の会 第3回辻番所サロン  2009/02/15

芹橋足軽組の居住配置の復元
                                渡辺 恒一 (彦根城博物館学芸員)
 

 毎月第3日曜日、芹橋二丁目の足軽屋敷で開かれる辻番所サロン「芹橋生活」。
 第3回目は、彦根城博物館学芸員 渡辺 恒一さんが、御城下惣絵図や古文書などを駆使して足軽組の居住配置を復元し、これまで漠然と語られてきたイメージをくつがえすとともに、辻番所の役割や配置を解きあかす重要な手がかりを示された。
 今回も狭い足軽屋敷は、60人を超える人で超満員となった。

リーダーの歴史から市民の歴史へ 
芹橋辻番所の会 第3回辻番所サロン  2009/02/15_d0087325_204675.jpg 渡辺さんによると、これまでの近世の歴史研究は、武将や大名、有力家臣などの政治や権力争いなどの解明が主力であったが、近年は足軽や武家奉公人、商人、農民などの一般庶民の生活にスポットが当たってきており、彦根でも足軽に関する基礎的な事実が明らかにされてきた段階だという。(「新修 彦根市史」、「彦根藩の藩政機構」に収録)
 本格的な研究はこれからだが、当面、
①江戸時代を通じての足軽組の編成の推移
②足軽の職務実態、勤務体制、組織の機能
③足軽組の屋敷配置のあり方 
の3点の解明が課題とされている。 今回は、③について、最新の研究が披露された。

足軽組の居住配置を復元する
 滋賀大学経済学部附属史料館所蔵青木家文書絵図20は、原題が欠けているが、寛政12年から文化5年の「足軽37組家並帳」ともいうべき絵図である。この文書は、同じ組の屋敷を束ねる形で「いろは」文字が朱書きしてあり、誰がどの組に属しているか、その住宅がどう配置されているのかがわかる貴重な資料だ。渡辺さんは、これを天保8年の武家の屋敷配置を描いた御城下惣絵図と重ね合わせて、善利組足軽組配置図(芹橋1丁目~7丁目)を作った。

芹橋辻番所の会 第3回辻番所サロン  2009/02/15_d0087325_2047124.jpg食い違う足軽組屋敷のイメージ 
 試作図につき転載できないのが残念だが、これまで、南北の細い道筋毎に向かい合って同じ組の屋敷が配置された(両側町)とされていたのが、実際には組と道筋は必ずしも一致しないことがわかった。
 また、20人1組、30人1組とされてきたが、実際には23軒、27軒などとなっており、どの組にも入らない家さえみられる。
 さらに、「普請手代」や「御番人」と呼ばれる人たちも善利組屋敷の地域にまとまって住んでいたことがわかってきた。「普請手代」とは土木工事などの監督に携わる人たちで24俵3人扶持と足軽より2俵多い禄を受けている。また、「御番人」は城内や城下町の門の番人などを勤め、禄も16俵2人扶持と少なく、足軽などが高齢になり兵役には適さないが長年の貢献により門番を勤める「御番上り」ではないかと推定された。

辻番所の配置と管理
 青木家文書絵図には「辻番」の記述があり、その右肩にも「いろは」文字が朱書きされている。これは、辻番所も組の物頭が管理することを示しているのだと判明した。地図に落としてみると、ほぼ組毎に1つの辻番所があることがわかった。
 芹橋地区では、中辻通りと記入された通りに接して辻番所が多く配置されており、城下の警備体制の一環として計画的に配置されたとみられるが、組の配置によって中辻通りからはずれる場合もあり、辻番所の性格としては組の詰所の意味がより強いとみられる。試作図でも、普請手代や御番人の居住地には辻番所は見られない。
芹橋辻番所の会 第3回辻番所サロン  2009/02/15_d0087325_20534839.jpg

辻番所とは何か?
 さらに、それを補強する史料が「奥平源八火事割申渡書」(佐藤家文書D-316、彦根城博物館寄託)である。これは、奥平源八という足軽組の物頭が、火事の場合の消火班、防火班、連絡班などの分担を個人毎に示した命令書で、その組の構成員から青木家絵図の「そ」の組に該当するとわかった。
 そこには、次のように書かれている。

                    田附員平(たづけかずへい)
                    西村孫右衛門(にしむらまごうえもん)
右両人辻番ニ残り、組中火之元万事心ヲ付可被申事
(みぎりょうにんつじばんにのこり、くみちゅうひのもとばんじこころをつけもうさるべきこと)
 
 以下省略。
 これは、他の者が消火に行っている時に組の防火に注意する役を田附と西村の2名に命じており、場所を「辻番に残り」としていることから、辻番所は組が管理する組詰所として機能していたことを示している。
芹橋辻番所の会 第3回辻番所サロン  2009/02/15_d0087325_2041094.jpg

 渡辺さんによると、足軽に関する史料は、各藩士の家の古文書や彦根市立図書館保管文書などに少なからず伝えられている。今回、御城下惣絵図、家並帳、古文書を連結することで、具体的な足軽組や組屋敷の場に即して足軽の生活実態を把握することができることがわかったという。
 さらに、人別帳などとも連結されれば足軽の生活文化史が克明に見えてくるのではないだろうか。ますます、目が離せなくなった。 (By E.H)

次回のお知らせ
芹橋辻番所の会 第3回辻番所サロン  2009/02/15_d0087325_20551142.jpg 第4回は、3月15日(日)10:30~12:00 彦根市教育委員会文化財課 課長 谷口 徹さんによる「芹橋地区の歴史遺産の保存活用 -世界遺産に向けて-」です。

 コーディネーターの母利・京都女子大学文学部教授・彦根景観フォーラム副理事長は、前日まで山口県の萩に出張され、彦根ではほとんど残っていない500石取りクラスの武家屋敷が多数残っていることに驚いたそうです。
 しかし、足軽屋敷となると皆無で、そもそも城下町に足軽が全部住んでいたということが珍しく、「日本中で足軽屋敷が現地にあるのは唯一彦根だけだろう。その意味で『足軽屋敷こそ彦根の売りだ』」と感慨を込めて話されました。
 その貴重な歴史遺産を保存活用する方策について、次回はお話しいただきます。 お楽しみに。
by hikonekeikan | 2009-02-22 21:25
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